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生きとし生けるものが幸せでありますように。
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自殺の是非について - くろ私はスッタニパータとダンマパダを読んでみたのですが、そのなかに自殺を悪だとする文章はありませんでした。
はたして仏教的には自殺は悪なのでしょうか。
自殺は殺生を禁じる教えに反するから駄目だとするものは読んだことがあります。でも、自殺はある意味、人生を捨てるものであり、一番大切なものを捨てる行為だと思います。
かごいっぱいの金塊を無意味に捨てている人がいたら、それは愚かかもしれませんが、それは罪なのでしょうか。私は死にたいです。2014年01月15日 (水) 16時04分 No.2850
J.クリシュナムルティ「自由と反逆」より - auma>「なる」ことの中には常に二元性が存在する。「ある」ことの中には二元性は存在しない。あなたが怒っているとき、怒りのその瞬間には二元性[=分裂]は存在しない、つまり、そのときあなたは怒って「いる」状態にあるのだ。しかし、「怒っている」ことは困惑を産み出す。それであなたは怒っていたくないと思う。平和的で「あり」たいと思う。この「なる」ことが二元性をもたらすのである。感情が起きたその瞬間には二元性は存在しない。二元性はその感情が名づけられたときに初めて見いだされる。その中には時間的な要因がある。もし「なる」ことがなければ、そこには二元性はなく、どんな葛藤も、時間的な要因も、欲求不満の感じも、その他どんなものもない。
以上のクリシュナムルティの言葉をお釈迦さまの言葉で言い直すと、
>不放逸に励め。
ということになるのだと思います。
そしてそれは自殺よりなにより幸せへの最短距離なのだと思います。2014年01月16日 (木) 15時01分 No.2854
罪です。 - ボート部自殺は怒りを増幅した結果の自己破壊です。
不幸につながりますので、悪行為で罪ですよ。
自殺は捨てる行為ではなく破壊行為になる、というわけです。怒りがはたらいていますから。
スマナサーラ長老著『自殺と「いじめ」の仏教カウンセリング』(宝島社新書刊)を、一度お読みになってはいかがでしょうか?良い本ですよ。
それではどうぞお幸せに。
生きとし生けるものが幸せでありますように。2014年01月16日 (木) 15時01分 No.2855
死なないでください - massa814くろ様
自殺について書かれている仏典は、主にサンユッタニカーヤの「ヴァッカリの自殺」「ゴーディカの自殺」、中部経典の「チャンナの自殺」などです。(間違っていましたら申し訳ないです)
これを読む限りでは、釈迦は自殺を絶対的な悪だとして禁じているとは思えません。これが史実だったとすると、釈迦は死にたいと言う人を止めはしなかったです。
しかし、仏教という教えは、「今を生きている人間」に対して説かれた教えです。今を生きている我々が、人生をどう実りあるものにしていくか、いかに苦を捨てるか、いかに幸せになるかということを教えてくれるものではないですか。
釈迦は「人生は苦である」と言いました。がしかし、「苦を捨てたいなら死になさい」と言ったことは、少なくとも僕の記憶では一度もありません。
水谷修という方をご存じですか。この人は主に薬物問題の専門家ですが、自殺、OD(処方薬過剰摂取)リストカット、引きこもりや非行や犯罪について人生をかけて戦ってこられた方です。
メールによる相談を行っておられますので、必ず著書を最低一冊は読んでから、メールされてみてください。
毎日10キロ以上は歩きましょう。
そして、美しいものに触れましょう。大好きな音楽や、映画、本など。
そして少し心が落ち着いたら、他の生命に対して何かしてみましょう。道路のゴミ拾いや、家事、掃除、なんでもいいです。
くろ様の幸せを心より願っております。2014年01月17日 (金) 14時32分 No.2859
ありがとうございました - くろauma様、ボート部様、massa814様、ご意見ありがとうございます。死にたいという気持ちはかわりませんが、励まされました。
私が死にたいのは、死後に幸せになりたいからではありません。価値観の相違からです。私は、いじめられて以来、ずっと孤独に生きてきました。決して望んでそうしたわけではなく、誰も話しかけてくれず、自分から話しかけても無視されたからです。
努力しなかったわけではなく、色々なことを試しました。それでもだめでした。それならば、私は個人主義で、もっと個人的な生き方をしたいのですが、この国(素晴らしい国だとは思います)はチームワークに大きな価値を置く国であり、私のような者は受け入れられず、罪人のような目で見られます。私が「個人的に生きたい」と書いたのを読んで、眉をひそめた方も多いではないでしょうか。
「皆で無視する」という罰は、サンガの中で重罪を犯した僧に課せられた罰だそうです。わたしはもうこのような孤独に耐えきれないので、この人生は捨てたいと思っています。
同じように、苦痛(病苦)に耐えきれずに自殺した僧もいたと記憶しています。私も長い間耐えてきましたが、もう耐えきれそうにありません。
海外に行けばいいと言う人もいるかもしれません。実は私は海外の某大学に合格したのですが、円安の影響で授業料が払えず、断念しようと思っています。すると残るは死しかないと思います。
私の投稿で不快になってしまった方がいましたら、申し訳ありません。ごめんなさい。
生きとし生けるものが幸せでありますように。2014年01月20日 (月) 14時33分 No.2861
混同したらダメですよ。 - ボート部仏教的な無視と一般的な無視は違いますよ、くろさん。
そこを混同したら、いけません。
スマナサーラ長老著「怒らないこと」(株式会社サンガ刊)を、一度読んでみてください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2014年01月21日 (火) 14時08分 No.2865
追記。 - ボート部まず、くろさんには堂々と生きる権利があるということを、忘れないでください。
あと、せっかくテーラワーダ仏教に出会えたのだから、もっと徹底的にテーラワーダ仏教を勉強してください。
まだまだ、理解が浅いです。自己流に解釈したらダメですよ。2014年01月21日 (火) 14時08分 No.2867
道は大学だけですか? - ポケット東南アジアに行って現地で生計を立てるとか色々道はありませんか?
息苦しい日本で暮らしていくよりは、いっそ海外に飛び出したい、ということですよね
日本は同調圧力が強い国だと思います
以前TVで、日本で暮らしている若い東南アジアの女性が、一緒にいる日本人から半ば、軽い仲間外れにされている(?)と思しき光景を見たことがあります。
明るい子なんですが、彼女の素朴な振る舞い方は、空気を読むことを求められ、見えない壁がある、日本人同士の距離感とは合わなかったのかな、と思いました。
たぶん、彼女みたいな子も、東南アジアの人間関係では割とナチュラルに受け入れられるんだろうな、と思いました。
人間関係のために死のうと思うのなら、多少、生活水準を落としてでも気楽な人間関係の国で暮らしたら幸せなんじゃないかと思います。
くろさんの悩み苦しみがなくなりますように!2014年01月21日 (火) 14時08分 No.2868
くろ様、「女性との接し方」のスレに返信をしておきましたので、よろしければご確認ください。気づいておられましたか?2014年01月27日 (月) 15時47分 No.2871
もう死にたい - くろ私は女性の友人が何人もレイプされています。犯人は何人か捕まりました。まだ何人か野放しのやつもいます。もちろん友人たちは真面目な人達でした。きれいで優しかったので狙われたのかもしれません。
私自身もずっといじめられていました。なんとか社会になじもうとがんばるたびに気持ち悪いとか死ねとか言われてきました。
私の運が悪かっただけなのかもしれません。でもなにもかもが嫌だし、意味のないことに思えるのです。
私はその女性のひとりに恋をしていました。一緒に警察にいったり弁護士を調べて電話したりしました。もう何もかもが嫌です。
この国の女性の権利を軽視する文化がおかしいのではないかと思いました。でももう、なにかどうでもいいかんじで、ときどき本当に死にたくなります。真面目に、人を助けて生きて何の意味があるのでしょうか。
お釈迦さまは自殺者を明確に非難していることはないようでした。本当に優しい方だと思いました。2014年01月27日 (月) 15時47分 No.2872
くろ様はもう十分に頑張ってこられました。
もう、頑張らなくていいんです。生きてさえいれば、それでいいんです。
>真面目に、人を助けて生きて何の意味があるのでしょうか。
違います。人を助けることこそが、人の生きる目的です。まずは、誰かにやさしさ配ってみましょう。人のために生きてみましょう。そうすれば、新しい明日は自然に来ます。
以上のことは、特にスマナサーラ長老のご意見とはかなり違いますが、もし参考になればうれしいです。
くろ様の明日は、暗いどころか、目を覆いたくなるほど眩しいです。2014年01月30日 (木) 15時07分 No.2873
覚悟。 - ボート部こんばんは。(夜に書いてますので)
さて、くろさん。今の日本の社会をどう思いますか?
わたしは、組織としてはほぼ完全に壊れていると思います。個人ではしっかりとしている人はけっこういらしゃいますけど、全体から見れば少数派でしょう。
で、どういう社会かと言えば「いじめる社会」なんですよ。まあ、本当に汚れた社会なんですね。
ですので、この社会になじむ必要なんか無いんですよ。他人をいじめるような人間失格のバカとつきあう必要ありますか?ありませんよ。
少数派ですが「俺は俺の道を行く」で誰にも迷惑をかけずに立派に生きている人はいます。そういう人とつきあってください。
そういう人と出会うためには、自分もそう生きると覚悟する必要がありますよ。
あと、レイプをした人たちですが、きっちりと法の裁きを受ける必要があります。暴力的な人たちでしょうから、知恵を使って対抗してください。危険ですからね。
また、ひとりでは無理でしょうから、上記のようなしっかりした仲間が必要です。そのためには、あなたがしっかりと生きる覚悟する必要があります。
くろさん。
「生きる覚悟」ができなければ、あなたはただの負け犬なんですよ。
自分でも嫌というほどおわかりと思いますが。
生きる意味も、勝たなければ体感できません。
あと、くろさんが書かれた最後の文章の意味がわかりません。
輪廻転生の苦しみを無始なる過去から観察されたのがお釈迦様でしょう?
自殺しても、また生まれ変わって苦しむということをご存知であった方ですよ。
くろさんは、どういう文献を研究したんですか?
以上です。
生きとし生けるものが幸せでありますように。2014年01月30日 (木) 15時07分 No.2876
こんにちは。 - むぃむぃつい先日のことですが、仕事先とのやり取りで久しぶりにキレてしまいました。
それはもうイライラして、こんな仕事やめて低賃金でもいいから責任の少ない仕事に変わろうか、と思うまで怒りが発展しました。
私は昔から、世間的には低俗と言われているような仕事を結構してきたので、覚悟さえ決めれば戻ることも可能です。
それをしないのは今の仕事に対する立場や環境などの執着からです。
で、翌朝にふと思いました。
今の仕事を投げ捨てるつもりがあるのなら、なんで今の仕事をギスギスと必死こいてやっているんだろうと。
最悪の場合は辞めて退散するつもりなら、もっと気楽にやればいいのではないかと。
そう思うと、面白いことにイライラのほとんどはなくなりました。
変に気を使うことがバカバカしくもなりました。
なぜなら、どうせ捨てるつもりだったからです。
それなら人に迷惑をかけない範囲で、のんびり気楽にやればいい。
100均の品物のようなものです。
どうせ捨てるのだから。いらなくなれば買い換えるのだから。
そんな感じで使っているけど、不思議なことになかなか壊れないしなくならない。
でも執着は生まれない。
くろさんがもし本気で死にたいと考えているのなら、もう少し考えてみませんか。
死んだら今世は終わってしまいます。
どうせ死ぬつもりなら、捨てるつもりなら、そんなに深く考えずに気楽に生きていけばいいのではないでしょうか。
なぜなら、何か嫌なことがあっても捨てるつもりだったのだから。
それなら人に迷惑がかからない範囲で、死ぬまでのんびりと生きておくのが一興かと思われますけど。
「悩まない力」という本で、自殺について長老がこう仰っています。
”生きることへの気持ちが強すぎて、生きていたいと思うのに自分の望み通りに生きていかれないから、自殺するのでしょう”と。
私もそう思います。
どうせ捨てる100均のコップを高価な箱にいれて、誰か来た時だけ手袋を嵌めて割れないように気をつけながら見せて自慢してもバカらしいだけでしょう。
仕事にしろ人生にしろ、どうせしがみついててもなくなります。
上で私が思っていたように、くろさんが言われているように、両方とも自分で終わらせてやることもできます。
そんな自分で終わらせることができることに、そうでなくてもいつかは終わってしまうことに、何も必死にならなくてもいいではありませんか。
人を助ける意味ですか?
助けられた人は助けてもらってうれしくなる。
助けた人は相手が助かってうれしくなる。
それ以上に何を求める必要があるのでしょうか?
小鳥を助けた。小鳥は嬉しい。小鳥の仲間もうれしい。助けた本人も嬉しい。でも狙っていた猫はくやしい。子猫は腹をすかせてひもじい。
「意味」なんてものは立場により取り方が変わるものです。
ようは自分がどの立場でいるのか、というだけです。
私ならもちろん小鳥を助けます。小鳥も死にたくなでしょうから。猫には別に小魚でもあげときます(笑。
言葉足らずで勘違いがとれてしまうような文章になってしまいましたが、最終的に言いたかったことはこうです。
どうせ死ぬ気だったのなら、いっそ死ぬ気で悟りを目指してみてはどうでしょうか。
死ぬのはそれからでも遅くはないでしょう。
穏やかでありますように。2014年01月30日 (木) 15時07分 No.2877
すみません - くろ孤独は感じるし不安定ですが、最近はすこし落ち着いてきました。すみません。私のせいで不快になったかたがいましたら申し訳ありません。2014年01月30日 (木) 15時07分 No.2878
ボート部さま
>「生きる覚悟」ができなければ、あなたはただの負け犬なんですよ。
自分でも嫌というほどおわかりと思いますが。
生きる意味も、勝たなければ体感できません。
一言言わせていただきます。
「負け犬」という言葉を使って、くろ様をさらに追い詰め、結果的にくろ様が自殺したら、あなたは責任を取れますか。その場合、ボート部さまは負け犬どころか立派な犯罪者ではないですか。
勝つとは、いったい誰に勝つことですか。お金ですか。名声ですか。それとも人格ですか。
本当に人格の高い人は、誰かに勝つ必要はあるのでしょうか。
”生きることへの気持ちが強すぎて、生きていたいと思うのに自分の望み通りに生きていかれないから、自殺するのでしょう”と。
では、長老とむぃむぃ様にお聞きします。
幼いころから親から虐待を受け、それで心を病み自殺する子供たちが世の中には多くいます。
彼らに面と向かって同じ言葉を言えますか。
僕は、はっきり言ってテーラワーダが嫌いです。
失礼します。
2014年01月31日 (金) 15時28分 No.2879
ありがとうございます - くろむぃむぃ様、ボート部様、massa814様お返事ありがとうございました。
読んでいてとても励まされました。
本当にありがとうございます。
ひとつ質問なのですが、お釈迦様は自殺を禁じていますか?質問として失礼なものでしたら申し訳ありません。
2014年01月31日 (金) 15時28分 No.2880
こんにちは。 - むぃむぃ>massa814さま
原因と対処法を同じにしていることに無理があります。
自殺するまで考えてしまう原因は、子供でも大人でも変わりはないでしょう。
望み通りに生きていかれない。
早い話が理想と現実のギャップです。
しかしそれに対する対処はそれぞれです。
massaさまの言葉ですと、原因が同じなんだから対処も同じにしなければならない、という風になってしまっています。
大人の場合は自分の力に応じて理想を捨てたり拾ったりして何とでもできるでしょうけど、
子供の場合はいくら捨てたくても自分が生きていけないのでどうしようもありません。
そんな子供に、きみは親に優しくされたいという理想があるから苦しいんだよ、と言ったところでどうにもなりません。
確かに子供が苦しんでいる理由は、親に優しくされないからです。
その理想と現実との違いが原因なのです。
親に優しくされていたら苦しむこともないでしょうから。
ですが、それがわかったところで子供は対処のしようがないでしょう。
まだ飛べないヒヨ鳥に、もうすぐ台風が来るから他に移った方がいいですよ、というようなものです。
自分で飛べる鳥は、移動するもしないも勝手にできますけど、飛べないヒヨ鳥にそれは無理です。
環境によりけりですが、子供のことを考えて別の対処法を模索するのが良いでしょう。
まとめると、
そいう思考になるまでの原因は同じですが、対処はそれぞれによるということです。
当然、対処によって結果も違ってきます。
あと思ったのですがmassaさんの場合、何かしら怒りの感情が邪魔をして道筋を混乱させているように見受けられます。
自己を観察して原因を探してみてはいかがでしょうか。
穏やかでありますように。
>くろさま
最初の質問の時に述べられているようですけど、自分を殺すことは殺生戒に反する行為になるので禁じられているのではないかと思います。
悩み苦しみがなくなりますように。2014年02月03日 (月) 12時52分 No.2882
生きとし生けるものが幸せでありますように。 - ボート部こんにちは。(今回は、昼に書いてます)
massa814さんへ。
はい。それぐらいの覚悟でお返事しています。で、勝つ相手は自分自身です。
具体的に言うと、「自分の心にある怒りに負けるな」ということです。
自殺の原因は、怒りですから。わたしも、過去に自殺願望が強い時期があったので、体験的に納得しています。自殺の原因は怒りだと。
また、怒りの種類もさまざまで、仏教の経典によると、いわゆる一般的な怒り、嫉妬、物惜しみ、後悔、悲しみ、悔しさ、憎しみ、恨み、悩み、執念深い感情、などいろいろあるそうですが、まあ、暗い感情は怒りと思って間違いないと思います。その暗い感情が、人を不幸にするわけです。
ですので、その暗い感情に負けたらいけないわけです。
くろさんへ。
前述の『自殺と「いじめ」の仏教カウンセリング』から引用します。
自殺に対する仏教の見解は「一般人の自殺はまったく報われない。自殺では苦しみから逃れたことにならない。だから自殺はやめたほうがいい」だそうです。
頭ごなしにダメ!と禁じるというよりも、損するだけだからやめときなさいというスタンスだと思います。
生きている間は怒りで悩み苦しみ、それから逃げるために自殺しても、暗い心のままで死ぬわけですから、生まれ変わっても良い環境のところに生まれ変わる可能性はとても低く、生まれ変わったところでまたさらに苦しむから、自殺はやめたほうがいいという感じでしょうか。
最後に、怒りを解消する方法ですが、「慈悲の冥想」をするのが良いですよ。
やってみると、不思議なことに怒りがすーっと消えていくのがわかります。
協会HPに慈悲の冥想コーナーがあるので、よろしかったら参考にして実践してみてください。
わたしの場合、頭に叩き込むために慈悲の冥想の文章をひたすらノートに書いてみたりもしています。
以上です。どうぞお幸せに。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2014年02月03日 (月) 12時52分 No.2883
横から失礼 - auma>]ひとつ質問なのですが、お釈迦様は自殺を禁じていますか?
自殺という行為自体が成り立たないのというのが仏教的な解釈になると思います。なぜなら人間とは五蘊ですからね。そのあたりの詳しいことはご自分で勉強されるのがご自身のためになるかと思います。
>幼いころから親から虐待を受け、それで心を病み自殺する子供たちが世の中には多くいます。
彼らに面と向かって同じ言葉を言えますか。
上記はくろさんからの質問でも、私にされたものでもありませんが、重要な問題提起だと思いますので敢えて個人的な、あくまで私の個人的な意見を述べさせていただきたいと思います。
答えは「言うでしょうね」です。もちろん表現は変えると思いますが。ただし、それは相手が求めてきた場合に限ります。
理由はそれが真理だからというだけではありません。
仏教の基本が待機説法であるということはご存じだと思います。相手の問い掛けに対して答えるのが仏教なのであって、悩んでいる人のところにこちらから出向いて行って、あれこれ語るののが仏教なのではありません。
あくまで相手からのアプローチを待つのです。問題の解決を仏教の智慧に求めようとする主体的な意志、それが仏教との縁というものだと思います。それはまた無明から解脱へと至る因縁の始まりでもあるのです。それがなければ何も始まらないでしょう。
中部経典の第87『愛生経』において、一人息子をなくした資産家にお釈迦様がどのように語ったか、そしてその話しがどのように展開していったか。もしご興味があれが読まれるといいと思います。
誰もがこの掲示板へは自分の主体的な意志でやってくるのです。そしてこの掲示板が仏教を学び始めてはいるが知識の上でも人格の上でも中途半端な、いわば素人の勉強会のような場であることも理解しているはずです。
ですから時にとんでもないコメントをしてしまうこともあるでしょう。とんでもない回答に出会うこともあるでしょう。しかしそのとんでもないものを足がかりにしながら、質問者も回答者も自分自身の力でなにかを探っていくのがこのような掲示板の重要な意義のひとつであるのだと思います。ここは誰かの意見を鵜呑みにしたり、なにかの権威にひれ伏す場所ではありません。
くろさんをはじめ、質問者の方々もうち萎れることもあるかもしれませんが、無力な子供ではありません。自分の力でなんとかするべきです。そしてそれが出来ることを教えてくれるのが仏教なのです。
その契機を得るべく、大いに語るべきです。
以上、誰にともなく語ってみました。
さて、仏教のド素人の私から図々しくくろさんにアドバイスをさせていただくならば、冥想をした方がいいんじゃないだろうか、ということになります。できれば冥想会に出向き、スマナサーラ長老から学んでください。
文面から勝手に推測させてもらいましたが、まだ冥想のご指導を受けたことがないでしょう? ぜひ受けて下さい。
私からは以上です。
ところでこんなことは皆さんに関係ありませんが、私、最近、携帯電話を買いました。
携帯など持つつもりはない、というようなことを以前、この掲示板で書いたことがあるので、訂正させていただきます。
いや~、人の考えなんてコロッコロ変わりますなぁ。
大いに語るべき、と言いましたが、私自身はしばらく引っ込みます。
では皆さん、失礼します。2014年02月03日 (月) 12時52分 No.2884
まず、明らかに愛語でない言い方をしてしまったことを、深くお詫び申し上げます。また、くろ様への僕自身のアドバイスですが、正しかったのかどうか自信がありません。くろ様の幸せを願うばかりです。
むぃむぃ様
>原因と対処法を同じにしていることに無理があります。
自殺するまで考えてしまう原因は、子供でも大人でも変わりはないでしょう。
望み通りに生きていかれない。
早い話が理想と現実のギャップです。
しかしそれに対する対処はそれぞれです。
massaさまの言葉ですと、原因が同じなんだから対処も同じにしなければならない、という風になってしまっています。
僕は原因が同じだということを言いたいのではありません。言葉の理屈かもしれないですが、auma様の言われる(正しくは待機ではなく)対機説法や応病与薬は、「相手の素質や能力、病に応じて薬を出す」という意味です。それはつまり、「自殺するまで考えてしまう原因は、子供でも大人でも変わりはない」のではなく、自殺を考える原因は、100人いれば百通りの異なるものがあるので、100通りの解決法が必要になってくるということではないでしょうか。
だから僕は、「原因が異なるので対処も異なる」と言いたいのです。例えば異性への愛欲が原因で苦しんでいる場合と、毎日の生活費が足りずに苦しんでいる場合、当然解決法は違ってくるということです。
>大人の場合は自分の力に応じて理想を捨てたり拾ったりして何とでもできるでしょうけど、
子供の場合はいくら捨てたくても自分が生きていけないのでどうしようもありません。
その通りです。だからこそ、自殺する人(この場合は子供と大人)に向かって「生きることへの気持ちが強すぎて、生きていたいと思うのに自分の望み通りに生きていかれないから、自殺するのでしょう」と同じ言葉で一括りにすることはできないのではないか、と思うのです。
>あと思ったのですがmassaさんの場合、何かしら怒りの感情が邪魔をして道筋を混乱させているように見受けられます。
自己を観察して原因を探してみてはいかがでしょうか。
これについては心からお詫び申し上げます。正直に言うと、少し怒りの感情がありました。自分の向上に努めます。
ボート部さま
>はい。それぐらいの覚悟でお返事しています。で、勝つ相手は自分自身です。
具体的に言うと、「自分の心にある怒りに負けるな」ということです。
これには賛成いたします。
しかし、例えば虐待が原因で自死に追い込まれた子供は「自分の心にある怒りに負けたから」不幸なのでしょうか。世の中の(他人から見れば)幸福な人々、少なくとも自殺していない人々は、自分の心にある怒りに勝ったから幸福(生きている)なのでしょうか。
これはあくまで僕の意見ですが、絶対に違うと思います。
これについての理由の説明は必要ないと思います。
auma様
>ところでこんなことは皆さんに関係ありませんが、私、最近、携帯電話を買いました。
携帯など持つつもりはない、というようなことを以前、この掲示板で書いたことがあるので、訂正させていただきます。
いや~、人の考えなんてコロッコロ変わりますなぁ。
もしも僕の考えが明らかに間違っていた場合、心から謝罪します。
全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。2014年02月05日 (水) 09時44分 No.2885
ありがとうございます - くろmassa814様はやさしくて正義感に厚い方だと思いました。優しい思いやりをもっていただき、本当にありがとうございます。私はときどき、ふとなにもかもが嫌になって自暴自棄になってしまいますが、massa814様のような言葉は私を非常に励ましてくれます。ありがとうございます。
むいむい様
コメントありがとうございます。すると、自殺をしてはいけないという解釈でいいのでしょうか。とにかくできるところまで頑張ろうと思います。でも、辛くて我慢できなくなったらやめてしまうかもしれません。申し訳ありません。でもできる限り頑張ります。
ボート部様
優しい言葉をありがとうございます。今日は、慈悲の瞑想をしてみました。でも、嫌いな人の幸せを祈るのはまだ難しいようです。嫌いな人の幸せを祈ることだけはしませんでした。申し訳ありません。
じつは、自殺と「いじめ」の仏教カウンセリングという本は既に持っています。自殺は基本的にしてはいけないものだとは理解しました。でも、ときどきどうしても辛くなります。悲しみと激しい怒りをときどき感じます。
auma様
コメントありがとうございます。自殺はなりたたないのでしょうか。私はあまり頭がよくないのでよくわかりません。瞑想は時々します。それでなにか問題が解決したととも思いますし、依然として目の前には問題が山積みな気もします。わかりませんが瞑想をつづけてみたいとおもいます。
2014年02月05日 (水) 09時44分 No.2886
毎日、少しずつで良いんですよ。 - ボート部くろさんへ。
別に謝らなくていいですよ。できることを少しずつ毎日続けていけば良いと思います。
慈悲の冥想にはショートバージョンもあるので、しんどい時はそちらがおすすめです。
協会HPの慈悲の冥想コーナーにあるので、ダウンロードして聞きながら冥想されたら良いと思います。
生きとし生けるものが幸せでありますように。2014年02月10日 (月) 19時08分 No.2889
善行為だからと言って、苦を増す行為を自己承認するのはよくある手です。 - tamotsu自殺は、
ただ単に生の”苦”の側面から抜け出せなくて嫌になっている人が、
感覚をなくせば、”楽”になるのだ、
という誤解から為される行為です。
パズルや、計算をしていて、
もう訳もわからなくなってちゃぶ台を返すような
感じというえば、いいでしょうか。
他に、
善行為をしているからといって、
実は、欲からの行為を正当化するのは
よくある手です。
献体をするために自殺をしたと言っても
さすがに周囲は迷惑です。
お釈迦様の言う、
自分の為になる
相手の為になる
周囲の為になる
ときに(頼み事でしたか?)行動をするように
としたどの条件にも一致していないので、
やめていただきたいです。
仏教は、
現在、大切に思っていること、ものを捨てること
を奨励しているのではなく、
それらは、大切にしていてもなくなっていくものだということを承知できるような心に
成長しましょうよ、ということなので、
わざわざ大切と感じている命を捨てないでください。
人間である時でしか悟りは得られないので、
命ある限り、瞑想をしてください。
自殺をしたい、ということは、
死にたいという願望ではなくて、
実は生に執着しているのだということが分かります。
2014年02月15日 (土) 21時30分 No.2895