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護摩、読経 - 匿 名おはようございます。 釈迦は、呪文(読経)や焚き火(護摩)を勧めなかったらしいですが、その根拠となる仏典はどこに在るでしょうか。
「護摩を焚いて清まるならなぜ鍛冶屋がカーストの最下層にいるのだ?」とかおっしゃったらしいです。2013年09月06日 (金) 16時07分 No.2662
返信が無いようなので…… - ハッピーライフ
私は仏典に関する知識が無いので、ご質問が学問的研究としての意味合いであれば、お力添え出来ません。なので、その場合は当返信を無視してください。
ただ、純粋に心の修養を目的とした場合のご質問の可能性を考慮して、あくまで本質論としてお答えします。
そもそも苦しみとは、全て心が生み出すものなので、苦しみを解決する方法は、自らの心を観察し、心にある苦しみの原因を取り除いていく事が、唯一無二の解決策となります。
ですから、仮に呪文(読経)や焚き火(護摩)をどれだけ熱心にしても、それは心の内側に向き合う事にはならないので、根本的な解決にはなりません。
ただそれだけの事です。2013年09月20日 (金) 10時15分 No.2676
ありがとうございます。 - 匿 名回答ありがとうございます。
仏教的なお答えですね。 縋りたい、頼みたい方にはいいのでしょう。
2013年09月22日 (日) 21時48分 No.2680
どうでしょうか - garosutta nipataの
249 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。
これが近いような気がするのですが、どうでしょうか。2013年10月21日 (月) 13時35分 No.2721