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読書好きさんへ - 通りすがりこんにちは。
仏陀は無常無我を説かれました。ダルマがあって、誰もそれから逃れられないと。その現実に気づくと、涅槃を知ります。キリスト教的に言えば、神の愛を知り、自分がはじめから天国にいたと気づくといったところでしょうか。天国は誰にも平等にいつでも与えられており、天国から外にでることはできません。言わば、天国は押しつけられています。この世が地獄のように感じるのは、個人的に脳内に引きこもり、天国が地獄に見える色眼鏡をかけ、自分だけの世界(自我)にこもって暮らしているからです。仏陀は瞑想時に身体の前側に意識を置くことを指導されたと記憶しています。身体の前側は今を象徴します。仏陀は「過去(自我)にこもっていないで、出ていらっしゃい。苦しみはなくなります。楽しいですよ」と誘っておられるのです。無常だということは、常に新鮮だということです。同じことを体験することがないから、飽きることもない。永遠に楽しめるということではないでしょうか。実は私達はすでに、素晴らしい世界にいるのです。悟りとの距離があるとすれば、思考ひとつ分しか離れていないのです。
以上の無常無我の特徴を、理論的に確かめてみてください。大丈夫そうだ、どうやら世界は安全そうだと感じられたら、感情的抵抗は和らぐかもしれません。
また、本に書かれてある通りにしないと悟れないということは、ありません。悟りとは、今すでにあなたの目で見ていることに気づくことですから。無常無我は隠されておらず、明らかにされているのです。当たり前すぎて気づかないだけなのです。仏典にも、色々な悟り方をされた方々のお話がありますよね。ですから安心してください。
ヴィパッサナーは「当たり前」を観ていく方法のお手本です。身体を使うのは、今にいやすい瞑想方法です。ヴィパッサナーにプラスで、呼吸に意識を集中するサマタ瞑想もセットで行うとよいとされていますね。きちんと呼吸すると、身体がリラックスします。そうしてはじめて、今にいることが出来ます。
「呼吸」「身体を使う」が、キーになりますね(ちなみに普段の呼吸は、腹から吐いて、鼻で吸うのをおすすめします。吐くことだけでも意識しておけば、吸うのは身体がちょうどよく吸ってくれます)。
例えば掃除は、大切かつ効果的な修業です。毎日あるいは定期的に行えば、自分をはかるバロメーターになります。「今まで気づかなかった汚れや、掃除する箇所に気づいた。気づきのレベルがあがった!」「今日は手を抜きたい感じ…おっと、そんなときこそ普段のようにやる修業のとき!」といった感じです。
また、部屋を見たときに、目に見えるところの状態は「自分の意識」、引き出しなど隠れているところの状態は「自分の無意識」を象徴しています。まず部屋を整えるのも、解りやすくていいかもしれませんね。
料理でもいいんですよ。食材を同じ大きさに切ることに気を配ったり、味付けするときなど、集中して今にしないと決まらないでしょう。
一人ですることも、誰かといるときでも、生活のすべてが瞑想になります。座る方が瞑想が進む場合もあれば、動いている方が進む場合もあります。”今していることを心をこめて行う”ならば、正解です。今したらいいことから逃げ出したい気持ちが、涅槃を自ら遠ざけます。天国は今ここに平等に開かれてあるもので、今ここ以外にはないのです。
何を修業瞑想にするにせよ、苦しみが起こる場合もあるでしょう。それは修業を進めていくと現れてくる「お試し」です。「なあお前本当にそっち(天国)行くんか? 慣れてる方(地獄)がいいだろ~」という誘惑です。「お試し」ですから、あなたに乗り越えられないことは、起こりません。だから乗り越えてください。苦しみを終わらせるための、苦しみです。それから逃げることは、無限に増える苦しみの中に自ら入っていくことです。一番はじめが一番苦しく、進むほどに楽になるのが仏道です。今が踏ん張り処ですよ。
無我だと思い出してください。苦しんでいる自分という個人は、本当にはいません。「苦」と「嫌」という感情は、別々のものです。「痛み」と「嫌」も、別々のものです。「不安」と「嫌」もです。「苦」は「苦」だけ、「痛み」は「痛み」だけ、「不安」は「不安」だけを体験すると決めるなら、それらはかなり軽減されます。そうするとき、判断する自分、自我がいないからです。自我が生まれて「不安なの嫌や~」とか言い出しても放っておいて、「「不安」は「不安」、ただそれだけ」とピシャリと言ってやればいいですよ。
がんばるは頑張ると書きます。頑なさを張る、おもいっきり自我です。
誰かが、がんばるを顔晴ると書いていました。安心からくる、にこにこ笑顔。
お互いに顔晴りましょう。2013年02月14日 (木) 15時03分 No.2220