日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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国内で出家修行できる場を - ぱん MAIL
国内に専門道場が必要なのか、不要なのか、など意見をお聞かせいただければ幸いです。

3年ほど前、コーサッラ長老に出家について質問する機会があり、「ミャンマーに行くのがよい」という助言をいただきました。それから2、3年努力した結果、ミャンマーはなかなか行きにくい国であり、などもあり、実現できない状況です。ですから、「国内で出家修行できる場があったら、」という思いを強くしました。

他の上座部系の寺で質問しましたが、現在出家を受けてつけていない、ということで、基本的に国内で出家の可能性はゼロなのです。自分たちの努力が足りないということもありますが、出家の制度自体が、まだ整っていないのではないか、など個人的な努力だけでは解決できないところもあるのではないかと思いました。

先人たちの努力のおかげで、在家で上座部を学ぶことができる、これは日本仏教史上の長い歴史から見ると、それだけでもありがたいことではあるのですが・・・
2012年09月14日 (金) 14時54分 No.1897
疑問 - naagita(admin)
こんにちは。

ミャンマーまで修行のために渡航された日本人の方は、私が知っているだけでも複数名いらっしゃいます。ですので、「行きにくい国」という表現には少々疑問を感じます。

修行したいという熱意を持った人にとってはけっこう恵まれた環境が用意された国という印象を受けます。

ばんさんは、2,3年にわたって具体的にどのような努力をされて、結果として何が障害になったのでしょうか? 

個人的な事情と専門道場の必要性を混ぜて考えることはできないと思います。
2012年09月16日 (日) 20時40分 No.1900
Re - ぱん MAIL
ナーギタさん

返信ありがとうございます。どういう努力をしてきて、どういう壁にぶつかっているのか、という問いに対して、三つのポイントで書きたいと思います。


①在家は土台

スマナサーラ長老とワンギーサ師のアドバイスに従って、出家の前に在家という土台をつくること。つまり、バイトや仕事を、2、3年つづけてからならば出家させようという話でしたので、それを実行しようとしました。なぜそれが実行できなかったのかというと、メンタルです。小さなことが気になり、長続きしないのです。

瞑想で心を強めたいが、瞑想のためには在家の仕事をする必要があるが、在家の仕事をするためには瞑想で心が強くなければならない、ということなのです。


②ミャンマーについて

国が違うといろいろ違います。代表的なのは、お金が違います。政府の言っているお金の値打ちと、民間で通用しているお金の値打ちが違う。いろいろ小さなことが気になってしまうのです。ある程度、心の広さみたいなのがないと、なかなか踏み出せない。心の広さのようなものを得るために修行したいが、その修行をするためには、心の広さがないといけないという感じで、そこがなかなかハードルが高いのです。


③日本で修行して日本で悟るというシステムを

鈴木一生さん講演会 2006.10.9
http://hachisu-net.com/issei/kouen3.html#a12

鈴木さんは、ヴィパッサナー瞑想のためには、まずサマタ瞑想をする必要がある。など、ご自身の経験から、非常に参考になることが書かれているなと思いました。鈴木さんは六年前にこういう話をされている。鈴木さんの言っていることを、この掲示板で紹介し、実現に向けて一歩前進させようと思い、このように意見を聞こうと思ったのです。
2012年09月18日 (火) 12時59分 No.1901
re: - naagita(admin)
返信ありがとうございます。

①在家という土台を作る必要というのは、日本に道場があろうが無かろうが変わりませんよ。ですので、自分に合った仕事を探すように努力を続けてみて下さい。

②ちょっと仰っていることも意味がわかりませんでした。

③それは鈴木さんの私見です。協会ではサマタ瞑想しないとヴィパッサナー瞑想できないとは言っていません。鈴木さんが正しいと思うなら鈴木さんのところで修行すればいいだけの話でしょう? 協会でスマナサーラ長老の仰っている指導を受けているなら、そのやり方に従って下さい。

自分で摘み食いして色んな話を混ぜると、けっきょく空回りするだけだと思います。
2012年09月18日 (火) 16時16分 No.1902
Re:出家修行 - もくぎょ
>バイトや仕事を、2、3年つづけてからならば出家させようという話でしたので

あわわわ~~・・パ、パンさん~~。

お二人からこんなお約束?をいただけること自体、めったにないのでは・・?

もしそうなら2、3年間は、もうどんなつらいことがあってもパンさんが頑張って仕事を続けて、その結果を報告すれば出家の道は、開けたのではないですかねぇ?そ、それなのに、それなのに、、

そのとき、日本での出家を望まないのなら長老様に相談すれば、スリランカでもミャンマーでもどこか紹介して骨折ってくださると思います。そういうお方だと思いますよ~。

長老様やワンギーサ先生が、いい加減なお話をするはずがありません。

日本に出家できる環境が整っていないのは確かでしょうけど、パンさんにはそんな周りの環境には関係なく確実に?出家出来るチャンスが与えられていたんではないですかぁ~?そ、それが、それが~~~、、、あああ、、

せっかくのお宝が手に入る仮契約書を、自分で破いて捨てちゃったみたいですよ~~。

ああ~~~、びっくりして、もくぎょ久し振りに投稿でございますぅ~(^^;
2012年09月19日 (水) 12時44分 No.1903
re - ぱん MAIL
ナーギタさん

返信ありがとうございます。
自分はまだまだだった、
ということがわかりました。


もくぎょさん

出家の前に在家。という話はうかがいましたが、
もしかしたら、2、3年という期限は、
自分で勝手に設定したものだったのかもしれません
正確には覚えていません。
ありがとうございました。
2012年09月20日 (木) 09時51分 No.1904
修行 - もくぎょ
>2、3年という期限は、
自分で勝手に設定したものだったのかもしれません

・・えっ?そ、そうだったんですか。ここ、曖昧なのは良くなかったかも。
おそらく長老様は、かわいい我が子を千尋の谷に突き落としそこから這い上がってきた子だけを育てるという、あのライオンの喩えをパンさんに試したのでは?でも、ロープウェイで昇ってきちゃったのかも。
やっるぅ~パンさん。あわわ・・。せっかくなのでパンさんがらみで投稿~。

以前、「七覚支は順番に成長するとのことですが、択法正覚支がへこんで弱いということはありうるのでしょうか?」
の質問にパンさんが参考記事を投稿されてましたが、協会施本「サンガーラワ経 能力を奪う五蓋と智慧を完成させる七覚支」の中の説明で、七覚支には低いレベルから高いレベルまであり(俗世間レベルと出世間レベル)、一般の例としてイチロー選手が取り上げられています。イチロー選手の野球に対する取り組みは、そのまま七覚支になっていたんですね。ですから、アルバイトや仕事でも、七覚支は育てることができるのです(^-^)

で、これだけ幅広いレベルがあるのなら、覚支に凹みがあってもおかしくないと思っていました。が、現在パティパダーで、パーリ仏典第一期1中部(マッジマニカーヤ)根本五十経篇Ⅰ」片山一良(先生)訳 大蔵出版 を基にしての長老様講義。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「パーリ経典解説 中部経典第十経 念処経講義 ブッダが説かれた「気づき」の実践方法」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
がいつまで続くのか痺れを切らしたもくぎょが、経典を借りてきました。2回目(^^;;
この経典の中に「覚支の部」が出てきて、お釈迦様がこう仰っていました。↓念は念覚支のことです。
・・・・・・・・・・・・・・
覚支の部
さらにまた、比丘たちよ、比丘は七のすぐれた覚りの部分である法において法を観つづけて住みます。では、比丘たちよ、どのようにして比丘は、七のすぐれた覚りの部分である法において法を観つづけて住むのか。比丘たちよ、ここに比丘は、

内に念というすぐれた覚りの部分があるならば<私の内に念というすぐれた覚りの部分がある>と知ります。内に念というすぐれた覚りの部分がないならば<私の内に念というすぐれた覚りの部分はない>と知ります。また、未だ生じていない念というすぐれた覚りの部分がどのように生じるかを知ります。また、既に生じている念というすぐれた覚りの部分の修習がどのように成就するかを知ります。あるいは、

内に法の吟味という・・・・

内に精進という・・・・・・

内に喜びという・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

と続いていきます。長いので省略(^^;;

これを読んで思ったのは、たとえば出世間レベルの喜覚支が顕れた修行者の方ならば、俗世間レベルよりも遥かに高い境地でしょうから、<私の内に喜びというすぐれた覚りの部分がある>と知っているはず、ですし、
順に成長して覚支が顕れてくるなら、手前の法の吟味(択法覚支)を、私の内に法の吟味というすぐれた覚りの部分があるか、ないか、又は足りないか、知らないはずはない?のでは。と思ったんですが・・。またまた解らなくなったので、保留中です。

えっ、もくぎょ、おまえはどうか?ですって、「えっと、念がないのは知っている・・法の吟味もない・・精進もない・・」
ヒェーーーッ。逆七覚支の、完成だぁ~~!。
2012年09月24日 (月) 14時47分 No.1912
Re - ぱん MAIL
もくぎょさん

むずかしい話は、今はしている余裕がないのですが、アルバイトについて、10社落ちています。バイト探しも大変なのです。この一年間で、一つもバイトすら決まらない。ですから、在家で悟るというのが、私にはもはやできないと思います。

これからの話はもくぎょさんに対してだけのレスではありませんが、たとえば、初期の教団では、アナータピンディカ居士が、貧民救済活動のようなことをしています。アーチャンチャーの『生きた仏教の教え』にも、タイではお寺が駆け込み寺のような役割を果しているとあります。

働く場がない、会社から不要とされた人材。そういう人に対して、手を差し伸べることは、仏の道に反しないと思います。ぜひ、社会に居場所を失った人間に、衣食住を施し、仏の教えの何たるかの御手本を示していただけたら幸いです。
2012年10月01日 (月) 15時06分 No.1933
ぱんさんへ - simauma
ぱんさんこんにちは。ばんさんの身体機能に働く上での特別な問題がなく、ある程度若い(60歳以下)という前提で話しをさせていただきます。間違っていたらごめんなさい。

>アルバイトについて、10社落ちています。バイト探しも大変なのです。

まさか1年年間で10社ではないですよね? 3日ですか? 1週間ですか? もし1年間で10社しか面接に行かないのでしたらとんでもないことですよ。

それからどんなところに面接に行きましたか? 工事現場の交通整理や新聞配達、清掃業、介護職などは検討しましたか?

タクシー運転手はどうですか? 私もやっています。私の知る限り、滅多なことでは不採用とはなりません。しかも正社員です(といっても固定給はありませんが)。アルバイトでしたら60歳過ぎの未経験者でさえ採用されることもあります。
但し、酒やシンナーの匂いをプンプンさせ、顔面血だらけで面接に出掛ける、なんてのは御法度です。
そのような目立った瑕疵がなければ百発百中です。最悪、5社受ければひとつは引っかかります。

採用されてしまえばこっちのものです。
暇な時間(これが長いんだ、ほんと)は慈悲の冥想。
運転中はのべつまくなし話し掛ける客を無視して運転に集中(しかし慈悲の念は忘れない)。
酔っ払いやヤクザにからまれれば、その罵詈雑言にサティを入れ、ゲロを吐かれれば不浄観の実践。
色っぽいおねえさんを乗せた時は、「見ています、見ています」……じゃなくて、「色、形、色、形」とひたすら念じ、
同僚から悪い遊びに誘われれば、
「悪魔よ去れっ!」
と叱り飛ばす毎日はまさに修業の連続。日々是好日です。
しかも一度嫌になって辞めたとしても、後日、同じ会社に再就職、なんてことも可能(入出自在)な実にお気楽な業界です。

どう? けっこう楽しそうでしょう? やってみたいでしょう? 検討してみたらいかがでしょう? ほんと。


えっ? でも、免許がない? 
取りなさいっ!

参考になれば幸いです。
ぱんさんが幸せでありますように。
2012年10月03日 (水) 14時42分 No.1939
Re - ぱん MAIL
みなさん、貴重なご意見ありがとうございました。
2012年10月06日 (土) 16時39分 No.1947
追加です。 - simauma
ぱんさんこんにちは。
お返事がないので心配しています。
仕事は探していますか?

ところでぱんさんは日本におけるテーラワーダ仏教の今後をどのように捉えているのですか?
今でこそ、スマナサーラ長老というスーバースターの存在もあり、勢いを増し、各地に聖舎も建立されてはおりますが、長老といえども生身です。ご年齢を考えますと、いつ活動ができなくなってもおかしくはありません。
その時、テーラワーダ仏教が今と同じように人々に受け入れられるのか、日本人の国民性を鑑みますとはなはだ疑問です。
そんな中で出家であることの責任は並大抵のものではないでしょう。なにしろお釈迦様の教えを根付かせられるかどうかがその双肩にかかっているのです。スリランカやミャンマー等、既に仏教の根付いている国の比ではないでしょう。
そのような重大な責任を背負う日本の出家が、自身の生活すらままならないというのはどうなのでしょう? そのような人の説法を誰が本気で聞いてくれるでしょう? 

確かに困った人に衣食住を施すのは仏道に反しないかもしれません。しかし、施しの必要な人が出家に相応しい人というわけではないでしょう。
少なくとも出家とは、より多く与える者であり、与えられる者ではない、と私は考えています。

ぱんさんならもうご存じかもしれませんが、改めてこちらの法話をお聞きになることをお勧めします。

http://gotami.txt-nifty.com/journal/files/2007_0624sokaihowa.mp3

ケネディではないですが、仏教に何をしてもらえるかではなく、仏教のために何が出来るかを考えた方が、幸せへの近道であるような気がします。

幸せでありますように。
2012年10月06日 (土) 16時39分 No.1948
Re - ぱん MAIL
simaumaさん

スリランカでは、不殺生戒を守れない漁師などは、キリスト教になるそうです。日本が上座部になっても、そのお釈迦さまの救いから漏れる人は出てきます。もしも、お釈迦さまの教えについてゆけなくなったら、イエス様についてゆくしかないと思っています。
2012年10月09日 (火) 15時37分 No.1962
ぱんさんへ - simauma
失礼を顧みず申し上げます。

ぱんさんは社会から見捨てられているのではなく、単純に社会に適応するための力がついていないだけであるような気がします。

ものごとをなんでも宗教がらみで捉えすぎるのも考えものです。
まずは仏教徒でもキリスト教徒でもなく、ごく普通の人間になって、自力で生活する術を学ぶことをお勧めします。

2012年10月10日 (水) 17時12分 No.1963


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