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自己観察について - こうすけ仏教が自己観察を薦めていますが、外に意識を持って行ったほうがコミュニケーションがとりやすく、自己観察よりもエゴが抑えられ、平常心を保ちやすく感じました。
内に意識を持っていくべきなのか、外に意識を持っていくべきなのか、それとも私の自己観察が間違っているのでしょうか。2012年01月10日 (火) 13時53分 No.1593
こうすけさんへ - いづるご参考になると思われる長老の文章を勝手に引用します。
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■何にでも正しい方法がある
例:お粥を作るにも正しいやり方がある。お米の量と水の量がある。水が減ると普通のご飯になる。先に米を空煎りしてから作ると別の食べ物になる。アーユルヴェーダではお粥も治療方法だから、調理の仕方によってそれぞれ効能が違うのです。だから、正しい結果を得たければ、言う通りにしないといけません。お粥であっても作り方があります。そこは変えてはいけない。悟りに達する方法について、釈尊は微妙にも変えることはできない方法を説いたのです。
このポイントがなぜ重大かと言うと、こころはすごく管理しがたい大変なものだからです。
瞑想したからといって、うまくいくとは......限りません。
こころは分かりにくい働きをします。それを仏教で説明していますが、つまり、こころは幻覚を作り出すのです。こころが自分で結果を考えて、その「考えた結果」を自分で作り出します。考えた結果は「幻覚」なのです。いつでも結果に達している「つもり」になってしまう。お化粧するのと同じです。こころが「美人でいたい」と決めてしまう。それでこころに何か塗って、美人になったつもりになる。我々はそういう「つもり」の世界にいるのです。服を着る時も、かっこよくなった気分でいる。こころはそれで満足しているのです。客観的な結果は気にしません。
■「つもり」の世界では満たされない
こころはそうやって、何か希望を作るのです。希望に達した気分になって、吾輩は良かったと満足する。でもそれは幻覚、「つもり」だから、エネルギーはない。次、また何かやらないといけなくなる。たとえば最高な御馳走を食べたつもりでお茶づけを食べる。ご馳走を食べた気分になっても、実際に御馳走を食べたわけではないのです。「食べた気分」が生まれただけ。実際に御馳走を食べて得られるエネルギーはそこにはない。だからすぐ次のことをしないといけないのです。でもまた「つもり」で喜んでしまう。我々はそうやって、「つもり」の世界で生きているのです。幸福になったつもり、成功したつもり、最終的には、「悟ったつもり」にもなります。
ですから、全智者であるブッダが、悟ったブッダが説かれる方法には微妙にでも触れてはならないのです。そのまま実践するしかないのです。仏道を微塵も変えるなよ、触るなよ、そのままの形でやりなさいと言うことなんです。sammadakkhaataというのは、大変な単語です。わずかな変化もダメなんです。線路で例えれば、軌道にミリ単位の微妙なずれがあっても、先に進めば進むほど方向は大きくずれてしまう。行きたかったところに到着できない。仏道を微妙に変えたら、自分のこころで、「つもり」のこころで変えたことなのだから。
つもりのこころで生きてきた人にとっては、つもりのこころで作ったものが分かりやすいんです。だから人気が出ます。日本で昔、浄土教がサーっと広まったのも、「つもり」のこころには分りやすかったからです。念仏を唱えれば、死後は極楽浄土に行けるという教えですから。神を信仰する宗教が人気出るのも当たり前。西洋の一神教は、「つもり」の世界の代表です。そういう智慧のない、論理性のない人々の考えを見るとよくわかります。一般の人はそれなら分かりやすい。論理的な正しい方法はやりたがらないのですが、「水をかぶれば罪が消える」と聞いたら、飛んでいってやりたがる。こころを持っている生命には、人間に限らずそういう問題があるのです。
自分で期待をして、自分で幻覚をつくって、なった「つもり」になる。でも何か困るのです。そこで新しい希望を作って、挑戦してなったつもりになって、またちょっとちがうから、次の希望をつくって......無限に続くんです。「つもり」の輪から、脱出できないのです。
■行ったことのない場所のガイドブックを書く
真理は、「花より団子」なんです。
花より団子を取る人こそが賢いのです。
こころは間違えて、花より団子は間違い、という生き方をしているのです。
そういう、ややかしいところがあるから、お釈迦様はsvaakkhaata、sammadakkhaataという言葉を使っています。人にそれを改良する資格はまったくない。悟りに達していないんだから。歩んだことのない世界のガイドブックを作るものじゃないのです。ガイドブックを作る資格があるのはそこを歩んだ人なのです。
しかし人々は、自分が歩んだことのない、経験したことのない世界について、自分でガイドブックを書いてしまう。書いて、それからやってみる。すると、「つもり」になるんです。子供はよく「つもり」遊びをやっています。フィギアを持ってきて、いろんな怪獣の話やら、いろんなキャラクターを持ち出して。あれは子供たちの「つもり」あそびです。つもり病は子供のこころを見るとちゃんと見えます。
人間にある、「つもり」病にかかると、悟れません。だから解脱に達する人は少ない。
「死は乗り越えがたい」のです。
…
http://gotami.j-theravada.net/cat35/
また法話音声より一部分引用します。
『慈悲の瞑想で生まれ変わる』
…(5分2秒~)
まぁねえ、世の中の人は自分のこと措いておいて、かっこつけてね、他人のことを…それは成り立たないんですよ。自分の心観てないバカがどうやってきれいな心作れますかね?それは自分の心観るところから始まるんです。
…
http://gotami.j-theravada.net/2006/08/dhammacast-28.html
ご参考にして頂ければ幸いです。
幸せでありますように。2012年01月11日 (水) 15時48分 No.1596