日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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生きとし生けるものが幸せでありますように。

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雑談への対処の仕方について - butter
非正規雇用にて作業系の仕事をしていた者です。
私は職場にて心が汚れる機会を減らそうと、業務遂行に関わる話・他人から話しかけられた時の返答以外に他者と会話をしてこなかったところ、コミニュケーション不足のクレームが出たことを理由の一つとして契約の更新が不可能になってしまいました。
一般社会通念上、他者と雑談をするのが適切な状況でこちらから話しかける場合、どのような精神状態でどのような内容で話しかければより心の汚れを発生させにくくできるでしょうか?
よろしければ皆様の知恵をお貸し下さい。
2011年04月13日 (水) 14時22分 No.1252
butter様へ - いづる
無駄話・世間話ほとんどが貪憤痴によって作られる話ですから、それに波長を合わせるのは得策ではないですよね。一方で、無駄話をする人々は他人にそういった波長を合わせてほしがるものです。明らかに我侭です。そういったジレンマがありながらも心を汚さずに他人とうまく人間関係を保っていくのは簡単ではないかもしれませんね。個人的な意見としては、その職場に拘る必要はないのではないかと思います。無駄話をしなくても、もっとbutter様がご自分の能力や資質を活かせて、幸福に生きられる職場環境があるならば、そちらに移られても良いのではないでしょうか?もっとbutter様の存在が喜ばれる場所があるのではないかと僕は思います。
ここまでは僕の文章ですので、半分に読んで下さい。これからご参考になると思われるスマナサーラ長老のご法話の一部分を紹介します。
February 4, 2007, 10:03 pm
གྷ_1/21関西定例瞑想会@アラナ精舎<1>
下段(24分13秒~)

エネルギーが上向きになるような生き方しようではないかと。例えば喋る。喋ったら何喋るかわからないんですね、面白いことに。喋るっていうことは人に何か言うことでしょうに。喋ってる本人にあなた何を言いたいのかと、分からないんです。だったら最初から喋らないほうが良いでしょうに。一旦喋りだしたら喋るは喋るは喋るは本人が何喋ってるか分からない。それが確実に悪業なんです。物凄い下向きのエネルギーなんです。なぜならばいとも簡単にダムが壊れちゃったような感じで喋ってるんだから。…そういう喋り方・話は下向きで悪業で地獄行きなんです。そこで人をみたら何を喋るべきか、こういうことをこの人に言わなくちゃいけない。それだけ喋って終われば、この人は喋ることに戒めを入れたんです。でも楽ではないんです。…それが善行為で上向きのエネルギーなんです。それから喋るっていうことは相手の心に物凄い影響を与えることなんです。…人の人生まで命まで運命まで変えてしまいます。…それで我々は普通に皆様と一緒にこんにちはお元気ですか今日は顔色がよさそうでなにか良いことあったのかとかね、そうふうに普通に喋るでしょうに。その普通に喋り方が上向きにすることも下向きにすることもできます。…
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/282354.html

ご紹介したい部分を転記すると少し長いのでほんとうにパラパラとしか引用してませんので、もしご興味があればぜひとも音声をお聞きになってみて下さい。お役に立つ内容であることは保証します。物凄~く為になるご説法ですので、できれば前後もお聞きになってみてください。

ご参考にして頂ければ嬉しく思います。
幸せでありますように。
2011年05月01日 (日) 18時07分 No.1255
慈悲の瞑想 - ぱん MAIL
2500年前の話になりますが、ヒマラヤの近くで五百人が修行していると、山の神が邪魔をしてきたそうなのです。どうすればよいかと、お釈迦様に質問したところ、説かれた経典こそが慈経であると由来にあります。

慈経の由来が掲載されているサイト
http://www.j-theravada.net/sutta/Metta_Suttam.html

社会や自然からクレームが出たときは、慈経にルーツがある慈悲の瞑想に取り組むのがよいかと思います。

私自身も、最近、会社から注意を受けました。そして、お坊さんに相談したところ、慈悲の瞑想をすすめられました。

生きとし生けるものが幸せでありますように
2011年05月01日 (日) 18時07分 No.1256
簡単なお返事 - 小渦
明るく前向きな精神状態で、必要とされるような役に立つ内容を心がければ心の汚れは少ないのではないでしょうか。
2011年05月01日 (日) 18時07分 No.1260
できる範囲のことでよいのでは - 隣に住む人
嘘をつかない、悪口を言わないぐらい気をつければよいのではないでしょうか。
在家の者は在家らしく、でいいと思います。まして戒を受けている在家でもなく、仏教に強く関心を持っている程度なら、俗世間で生き、会話をしながら心の汚れを発生させにくくしたいといっても、難しいのではないのでしょうか。少なくとも、私自身は無理だと思います。無理をしても逆に怒りがたまる気がします。
在俗の私たちとしては、瞑想を少しでも真剣にやる、といったようなできることをできる範囲でやり、その範囲が少しずつ広がっていけばいいなあ、ぐらいでいいのではないでしょうか。
2011年05月01日 (日) 18時07分 No.1261
すみません。気になったので。 - 通りすがりのモノ
butterさん。こんにちは。
たまたま、この掲示板へたどり着きました。
私は仏教の本を読んだことがないのでよくわからないのですが、”心の汚れ”とは、どういうものなのでしょうか?

人と話すと心が汚れるのでしょうか?

人と話す前に精神状態を意識しなければ、心の汚れが発生するモノなのでしょうか?

また、この心の汚れとは、
自分の心でしょうか?
相手の心でしょうか?

無知なのでよくわかりません。汗


人は一人では生きて行けません。
人が交われば、抵抗や反発が生まれます。

ですが、それと同時に、愛や感動、信頼や信用も生まれます。


すべてには対局するものがあります。

陰と陽
プラスとマイナス
光と影
好きと嫌い
生まれると死ぬ

・・・・・。

心が汚れるなら
心が癒されることもあるわけで


どちらか一方だけを得ることは
ありえないと、自分は思うんです。

心が汚れる機会を減らそうとしたあなたの行動が、実際には周りの人の心を汚している?結果になっていますよね?

そして、この文を読んで
「なんだこいつ、むかつく奴だ」

と思う人もいるでしょうし
「そういう考えもあるよね」

と思う人もいると思います。


きっと、バランスなんだと思います。


私のような人間では言う立場にないかもしれませんが、もっと自然体で良いのではないですか?

心が汚れたら、心を掃除したり洗濯すればいいんじゃないですか?

そしたら、また汚れるかもしれません。
そしたら、また掃除すればいいのではないかと。


「部屋を汚さないようにするにはどうすればいいのでしょうか?」
この質問に似ていると思います。

住まなくても、部屋は汚れます。



だから、人によっては瞑想したり、祈ったりするんだと思うのですが・・・。

えらそうにすみません。
また、支離滅裂な文章、申し訳ないです。












2011年05月01日 (日) 18時07分 No.1262
butterさんへ - nao21
初めて掲示板に回答するものです。

スマナサーラ長老の著作『こころを清らかにする言葉』の中に「いまの一分、二分を、みんなでわいわい楽しくやるうえで、『ああ、よかった!』と、あとで味わえるようにやればいいんだよ。」という節があります。
ご参考にされてください。

なお、以下は自分個人が感じたことです。
自分ごときものが回答してよいものかと思いますが、僭越ながら感じた範囲で回答させてもらいます。
自分も同じような悩みを抱えたことがあります。

適切に言葉を慎むことはとても大切なことです。
ただ日常生活を営む上では、やはり周囲への慈しみも欠かせません。
会社のような組織では、周囲に気を配り、自他共に働きやすい環境を整えるためにも、適切なコミュニケーションも慈しみの実践の内に入るものでしょう。
もちろんその場合も、自分の心が大幅に汚れてしまうのはよくないことであるので、慈しみの感じられるやさしい言葉(愛語)で接したり、常に自分の気持ちが悪い感情で汚れてしまってないか、気付きをもってチェックすることが必要だと思われます。
人に話しかけるときには、その人に対する慈しみを持って、今困っていることはないか、どんな些細なことでも自分がその人にしてあげられることがないかと、仏教的な態度で臨まれてはどうでしょうか?

ただご自身がもし性格が弱く、(悟っていない限り、弱い部分があるのは当然です)その人に接することによって、あまりにも精神的に悪い方向に流されてしまうような人に対しては、やはり影響されないように十分に距離を置くことも必要でしょう。
少し手厳しいことを言わせてもらうと、ご質問にあるように自分の心が汚れないようにと必要最低限な応答に留めておくというような頑なに自分の態度に固執することも、執着(心の汚れ)の一つとなるでしょう。
どのように会話すればよいかということは、周囲の状況と、その時その時の気付きが自然と決めてくれるはずです。。

とはいえ、コミュニケーションはとっても難しいものなのだから、うまくいかなくて当たり前、何度失敗しても当たり前です。
だから人を傷つけるような、後から後悔しそうな言動には十分注意が必要です。
その点もぜひ肝に銘じて置いておきたい点ですね。

適切に言葉を慎むことは確かに大切ですが、日常生活では周囲に気を配りバランスの良いコミュニケーションを取ることも、慈しみの実践の内です。
その時には、心からその人のことを思っているんだと感じられるように接するのがよいでしょう。
もちろん誰しも不完全なので、今現在範囲でよいと思います。
そのようなバランス感覚は智慧によってもたらされるでしょう。
また日常のコミュニケーションの場にあっても、自分の心の状態に常に気づくことが、智慧を開発していくでしょう。

では、頑張ってください。
幸せでありますように。
2011年05月01日 (日) 18時07分 No.1263
二回目の投稿です。 - けんぞ-
こんにちわ。仕事を解雇されたということは大変ですね・・・。ところでお釈迦様の教えを現代に活かすということはどういうことでしょう。仕事も辞め・周りの人とも調和せず・一人山奥で瞑想に浸ることでしょうか?それとも周りの人とも調和し楽しく生きていくことでしょうか?私は少なくとも後者を選びます。またお釈迦様の教えは一人一人の心が平安であることを教えられたと思います。実際問題として後者として生きていくならば・周りの人たちとの調和は避けられない問題です。ということになると、いろんな人たちがいる中にあっても心を汚さずしかも上手に付き合っていく処世術のもうなものを学んでいくことも大事かと思います。またそれも修行の一つだと私は思います。そちらは解雇されたわけですから次の職場にいかれたらそこに在籍している人たちと心を開きお付き合いしながらも愚痴や悪口に自分の心まで汚さない方法を身につけるように実践されてみたらどうでしょうか?
2011年06月26日 (日) 13時33分 No.1323


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