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ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―物質の分析)でスマナサーラ氏は商売や人間関係は仏教が解決することではないと言っていました
それなのに、私は仏教を習いながら、商売と人間関係を悩んでいます
仏教は苦しみの根源の解決法を提示していると理解しています
つまり、人間の苦しみの根源は商売や人間関係ではないということでしょうか
商売や人間関係を疎かにするつもりはないですが、囚われてもいけないということでしょうか?2025年07月01日 (火) 17時57分 No.6582
商売と人間関係の苦しみは煩悩でもある - なみはい、人間の苦しみは商売と人間関係ではないと思います。
ばっさり言えば、その二つは人格向上と無関係です。
自分の人格を調べるときに他人と接するということはあっても、他人が自分の人格向上を代わりにやってくれるということはありませんよね。
商売は生きていくための手段というように理解しています。
それがないと人の生活が成り立たない。
ということが真理だと思います。
それから人の苦しみはこの肉体に壊れて壊れていく、瞬間瞬間の変化による苦に支えられたものであると理解しています。
この壊れる、「死」というものが私たち一切生命の支えであると理解しています。
私はこのように理解し、納得しております。
人間関係と商売は生きていくための手段と、生きる根源がどう結びつくのかといえばそれはどちらも瞬間の変化にあるものと思います。
それで、商売と人間関係というのは煩悩と妄想で成り立っていると思います。
ご飯にしても皆、よりおいしいものを求めています。
それはおいしいという妄想の刺激が欲しいからですね。
人間関係もより自分に都合の良いものを求めるでしょう。
ですからこれらに仏教的なアプローチはその刺激について理解すれば難なく乗りこなせる事象だと思います。
それで、私たち仏教を学ぶ者は苦しみがどこからくるのかを理解し、脱しようとします。
端的に申せば商売や人間関係に必要なのは刺激だと世間が叫んでいるのは一つの事実と申しあげた方がわかりやすいかもしれません。
ですから仏教がそこに割って入ってしまうのは矛盾、もしくは妥当ではないと私も感じます。
解決そのものが今の世の中の条件では大変に難しいことでしょうから。2025年07月07日 (月) 19時31分 No.6585