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生きとし生けるものが幸せでありますように。
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私はまだ真理が「苦」だと確信できません。
しかし、苦であると信じるなら、例えば何かを捨てることで軽くなるのではと思い実践しています。
なにかお聞かせいただけませんか?2025年06月12日 (木) 04時07分 No.6556
https://youtu.be/PW-X73fGjLI?t=910
動画を開くと、スマナサーラ長老が真理第一の苦を説いているところになります。
動画のすべてをご覧いただくと、より理解が深まると思います。
それと座る瞑想を実践してみると、生きる事は苦であると分かると思いますよ。
生きとし生けるものが幸せでありますように~2025年06月12日 (木) 11時49分 No.6558
楽も苦しい - なみまず人間には、五つの感覚ありますね。
それで苦という言葉の意味をどのように解釈しますか?
数字の1を理解するには0が必要でしょう?
そういうことだと思います。
つまり、苦なくして楽があり得ない。
経典のストーリーにもありましたが、出家した良いところの坊ちゃんが粗末な食べ物を食べて見て初めて自分が裕福な家の出だと知るようなものです。
苦を知らなければ楽が成り立たないのです。
なので、生命が、生きることが良い、生きたいと思うのなら真理は苦です。
苦に支えられて楽?命?があるという長老の言葉もありました。
苦がなければ眼に光も感じません。光は苦しみですよ、瞼を閉じずに映画見られる?
味も、触覚も、音も、匂いも、妄想も、全部刺激という苦しみなんです。
なんとかほどよい波にしてようやく楽だと思えるような毒物。
楽だと思っていても錯覚でそれは苦しいんです。弱い毒を気持ちいいと言っているようなもの。
試しに同じ音楽ずっと聞いてみなさいという長老の言葉もあった気がします。
なんか結局長老の言葉の引用になりましたが、そんな話が私には一番わかりやすかったですね。2025年06月16日 (月) 09時20分 No.6563