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母の性質が苦痛 - かにこ思い起こせばもう何十年も前から、50年近く続いているであろう母親の愚痴、悪口、批判…どんな事でも悪く受け止め、良い側面を探そうなどとはしない性格についての相談です。身口意の、口での善業と言われるような事は全く無縁の人です。それは分かってはいたのですが、ある事をきっかけに更に嫌になり…どこまでも自分勝手、自己中、自我の塊だなと思うと、接するのも苦痛な時間と思い過ごしています。いわば、今風での表現で「毒親」です。かなりな借金も払わされました。そんな事は当たり前ぐらいに思っています。自分の失敗やミスは決して認めません。
81歳の向上心もないような人間に今更仏教的な事を語っても聞く耳もたないどころか、小馬鹿にして鼻で笑うのがオチです。
で、あるけれど自分語りの際には、自分は情が厚く人として真っ当であるかのように話す時には呆れるを通り越して聞いています。
小学生の頃から、父親、自分の母親、義理の父、姑、舅、叔父、妹、娘
(私の妹)とにかく、他人は当然、身内という身内触れ合う人間全ての悪口を聞かされ続けています。子供の頃はわからず返事したり、頷いたりしていたのでしょうが、今となっては吐き気を覚えるほど母親のその態度、性格が嫌でたまりません。よくそこまで悪く捉える事が出来るなと思います。亡くなった父親、自分の旦那の悪口も平気で言い続けています。勿論ですが、私の事は妹に悪口を言っています。感謝とかいう単語は知らないんじゃないでしょうか。もうほぼ病気なのはわかっていますが、隣に住んでいるので会わないわけにもいかず…100%放っておきたいわけでもなく…こんな性格ではあるけれどたまには優しくしてあげたくもなり……私の心の持ち方は、長老のよくおっしゃる、ひたすら母親が吐く罵詈雑言を「音」とだけ認識すれば良い、とは頭では分かっているのですが…
まるで愚痴そのものですが、どなたかに聞いて頂ければ幸いです。2025年05月21日 (水) 10時37分 No.6523
そうですか - なみ人は誰でも自分が一番でしょう。
あなたも自分が一番大切だと思います。
だから、そのことについてあれやこれやと議論を持ちかける意味がどれくらいあるでしょうか。
結局誰もが自分が正しいと言いたいだけでしょう。
音と認識するのもそれはそれでいいのですが、あなたがお母さんに感謝してみたらどうですか?
お母さまのことは感謝を知らないと言い切っていますが、あなた自身はどうですか。
お母さまの力をまったく必要とせず生まれてから今まで生きてきたんでしょうか。
あなたがどこかで愚痴を吐きたいという気持ちもわかりますが、ここは一応仏教の掲示板なのでこのように答えました。
2025年05月23日 (金) 13時56分 No.6531
こんにちは。えりっちと申します。
かにこさんの想いが身につまされて投稿をしてしまいました。
自分は修行中の身で、なんとも人に御意見を言えるような人間ではないのですが、同じような経験をしてきたので何か参考になればと思い横やりを失礼致します。
まず親子問題は、どんな親であっても親に対して感謝の念すら抱かない子どもは、人間扱いされません。私がかつてそうだったので実感としてあるのですが、何より一度長老に「悪魔よりひどい」とたしなめられたことさえあります。
仏教でなくとも世間では親の悪口は全く受け入れてもらえなかったのではないでしょうか?私もそうでした。
だからこそ、こちらの掲示板にお話くださったのではないかと思うので、その気持ちは痛いほど分かります。
けれどなみ様が仰るように、親に感謝する、慈しむ、大切にする、ということは、ご自身を大切になさることと同一なのです。
お釈迦様のお話の中に子供に捨てられた父親の話が出てきます。この父親は何人もいる子供たち全てに捨てられたときに、世間のひとに「私の子どもたちは年老いた私を捨てた」とふれまわります。そうすると、子供たちはまるで大悪人のように扱われ、信用を失ってしまうのです。そうなると、世間で幸福に生きていくことはもうできません。
結局この父親は出家されて悟りをひらいたと書かれていたと思うのですが、子供たちの詳細は覚えておらず、申し訳ないです。
私がこのお話を聞いた時思ったのは、皆の気持ちがこの父親の〝子供に捨てられるような性格〟については向いておらず、問答無用で子供たちが悪いんだな、ということでした。
それに関して「なんで?」という疑問がありました。
けれどお釈迦様の教えは悟りへと向かう道がしるされているはずですから、悟りをひらいた父親に落ち度がないわけです。
ということは、親というものは子どもにとって、世間の善悪を越えた存在で、こどもは親に対してただひたすら感謝し、大切にしなければ、自分の存在が危うくなるという法則なんだ。
と解釈いたしました。
私は自分が大好きですから、こういう考え方で「親は問答無用で大切にしなければ」という方向に転換致しました。
しかし、やはり一緒にいるとすごくいらいらしたりするんですね。自分の替えたはずの考え方にまだまだなじめず、親に対して暴言を吐いたり、たしなめたりしていました。
けれどそれって全然幸福じゃない。だって法則に反しているから。
長老がよく、親には返しきれない恩があるとおっしゃっていてじゃあとりあえず、親が困っていたら助けよう、ぐらいに気持ちを切り替えるのですが、返しきれない恩があるからもちろんそれは当たり前のことで、親からの感謝なんか得られるはずもない。そうなると結構心にくるんですよね。親に対する恩は返しても返しても焼け石に水かあ…なんて自我と妄想丸出しで(笑)
でもだんだん回数を重ねると、親も私の影響を受けてくれてるのか、「ありがとう」って言ってきたり。以前とは確実に違う。微妙にですが。
こちらも、返しきれない恩があるから当たり前なのにってすっごく嬉しくなるんです。
親に喜んでもらえるのが子どもにとって最高の幸福なんだなあって思いました。(それができないのは苦しいですよね。でもほんの些細なことで大丈夫です。)
でもちょいちょい今でも喧嘩はするし、イライラもしてます。でも確実に前とは違う。
喧嘩も、後を引かない感じになっているような。
前よりマシな関係は築けてると思います。
親もあと何年一緒にいられるか分からないし…。
そして、私には姉がいるのですが、まさにかにこさんのような想いを吐露したりしていて、すごく苦しそうなのです。どうにかしてあげたいとは思うのですが、こればっかりはご本人の気持ちですから、私がしゃしゃり出るのも…というところです。
姉妹ですら伝えるのが難しいことなのです。それを承知の上で投稿いたしました。正直、私は仏教徒でよかった、長老に怒られて本当によかったと思うのです。
なみ様も、かにこさんのことを本当に心配してくださっているうえでのお言葉ではないかと。
だから私みたいな悪魔出身のものが横やりをするのはよくないかと思ったのですが、私も通って来た道で、周りの方の助言でなんとかやってきましたということをお伝えしたくて投稿いたしました。
何かご参考になれば幸いです。
また、かにこさんが投稿されたお陰で、自分も両親との関係を見つめ直す機会になりました。ありがとうございます。
それから、私のような者からしたら、かにこさんは充分親御さんに優しくされていると思います。
お幸せでありますように
2025年11月25日 (火) 02時09分 No.6655
えりっち様 ありがとうございました。 - かにこ心優しい沢山のお言葉感謝申し上げます。
こちらに、お返事するのを間違えて教会経由で個別に長々と返信を書かせて頂きました。ご確認いただければ、幸いです。
お幸せでありますように。2025年11月27日 (木) 17時56分 No.6658
かにこさま
わざわざお返事をいただきありがとうございました!
確認いたしました。
私もお返事をさせていただきましたので、お時間ある時にお読みいただけたら幸いです。
えりっち2025年12月02日 (火) 00時27分 No.6664
他者からの理解が一番の癒し。 - かにこえりっち様からのこのお言葉が、本当だなぁと深く納得し、また、人間同士いたわりあいながら生きていけたらなぁと思います。のお言葉にも感銘して、朝から温かい気持ちにさせて頂き慌ててお返事を書いております!
えりっち様の言うように、自我なるもの常々横に置くのが難しく(笑)、日々反省の毎日です。母親とのことはこちらで心情を吐露させて頂いた時よりは、気持ちが少し''嫌"から離れている、という程度ではございます。
思い立って旅行に出かけたきっかけは、約20年前のビデオを子供がつけておりその映像で、日々孫の事にこんなにも奮闘しながら一生懸命力になってくれていたんだ、、、目を向けるのはイヤな部分にばかりなっており、素直に感謝することもある、というのを忘れていた。という情けない気付きからでした。
私も、大変母親が喜んでくれて良かったと思いますし、母もしきりに感謝してくれていましたが、なにせ、はじめにも申しましたが、自我の塊同士ですので、いまだ全てが上手くいっている訳ではありません。
だからこそ、えりっち様の下さったお声かけ、お言葉が身に沁みて、嬉しくもあり、自分も周りにそうなれるようにならなければと再認識させて頂きました。
スマナサーラ長老に、瞑想中、まともに瞑想も出来ない時、いいですよ、私は困りませんから、困るのはあなた達、自分ですから…と言われ……
そうなんですよね。素晴らしい教えが身近にあっても、とにかく、自分が気付きを継続させねばならないといこと。あたりまえがなかなか出来ず、情けない結果が多いですが、そんな時にでも、えりっち様に掛けていただいたお言葉に出会えて、前向きな気持ちになり感謝の気持ちでいっぱいです。
間違って、えりっち様にお返事をしてしまったのですが、掲示板がいたわりあいの出来る場所になればいいなぁというえりっち様のお心と、私も同じ気持ちですので、こちらに書かせていただきました。
どなたかのお役に立てれば幸いです。
お幸せでありますように。
2025年12月02日 (火) 00時27分 No.6665
かにこさんの勇気ある投稿に感銘を受けております。
こちらこそありがとうございます。
とても嬉しいです。
世の中、他人への批評や、条件付けが一層厳しいと思うのですが、
人間であるからには、人間として胸を張って生きるために
せめていたわりあいたいと願っています。
あくまで個人的な願いですが。
2025年12月05日 (金) 13時51分 No.6668
ちなみに…
私も母親には苦労しました。
何か参考になればと思い、私の経験から述べますが、特定の方々を誹謗する目的ではないことをご了承ください。
私は以前知的障碍をお持ちの方々のグループホームに勤めていたことがあるのですが、その方々と接していてふと感じたのが、
〝母と似ている〟
ということでした。
どこが似ているのかというと、社会的に不具合が生じたときにする対応の仕方や思考回路のようなものです。
彼等は落ち着いているときは重度の方でなければ何も問題が無いように見えるのですが、一度何かをきっかけにパニック(不穏になるといいます)になると、収拾がつかなくなるのでそうならないように気をつけて接します。
おもにパニックになるきっかけを与えない、そういう状況にしない、という方法になります。
その中で、自分で出来るところは自立できるように支援します。
私の感覚では、脳の回路に何か支障をきたしていて、学習することが困難なのだと感じました。
なので、一般的には普通に出来ることも、彼等にはかなり困難な道のりになります。
そして一度学習してルーティン化してしまえばこなせることも、ちょっとしたことでそのルーティンが脅かされることでパニックになります。
それで生じた社会的な失敗を咎められたり、抑圧されることで感情が制御不能に陥るのかな、とも感じました。
そういった方々を心やすくしてあげることが今の社会には能力が無いように感じました。
話を元に戻すと、この学習が困難な状況は、子どもにも見られると思いました。まだ未発達の子どもの脳は、感情のコントロールも難しく、学習も大人が考えるより困難です。(個人差があり、物覚えは子どもの方が早いですが。)
なのでもしかしたら知的障碍の方の脳は、私の感覚で言うと小学校低学年くらいのままなのかもしれない、と感じました。(あくまで私的見解で、個人差があり、ゆっくり学習していく方もいます。)
私の母も、知的障碍とは認定はされてはいないが、脳の一部分が未発達なのかもしれない…
と感じました。
もちろん、親とうまくいっていない家庭のすべてにあてはまるわけではありませんが、私はこのことを経験してから、少し楽になったのです。
母をそうさせている何かがあるのであれば、母そのものを怒っても仕方がないのだと。
(まだイラッと来る時もありますが。)
そうしなくてもすむ道があるんじゃないかと、少しだけ楽になりました。
知的障碍をお持ちの方を引き合いに出して申し訳なかったのですが、
社会的にもここは宿題なのかな、と個人的に思ったのと、(私の居たグループホームが叱ったり怒鳴ったりすることで場を収めていたので)
彼等や子どもというのはシンプルな心をさらけだしてくれるので、とても勉強になります。
あぁ、「自分がいる」と思うのです。
なので、今では母にも私にもお互い未発達の部分があると感じています。
もちろん困っていたら助けたい存在ですが、好きなことに夢中な時などはきらきら輝いているような方々なのでむしろこちらが学ばせていただいています。
そういう意味で出させていただきました。
これはあくまでひとつの糸口ですのでご参考までに。
2025年12月05日 (金) 13時51分 No.6669