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はじめまして。
私は胃腸が弱くそれに伴う病気に苦しんでいます。手術もしたし、それにならないための努力もしているのですが、体質的にぜったいにならないことはなく、完璧を求めるために心の病気にもなってしまいました(強迫性障害)
受け入れたいけどこころが体な病気を、受け入れてくれないときどのような心持ちになればいいでしょうか?毎日ではないのですが、繰り返す症状に疲弊しています2025年05月13日 (火) 11時42分 No.6521
お釈迦さまと共に - 青い蓮華痛いときは、痛いんですね。
鎮痛にロキソニンを処方してもらったのですが、その副作用で寝込んでおりました。(-_-;)
こんにちは、ももこさん。
体の具合が悪いとき、吐き気やお腹などが痛くなることがあります。←体の苦痛
痛いものは痛いんですね。
ですから、こういう場合は「ぎゃー」「痛~い」って大声出していいんです。
これで痛みを受け容れたことになります。
>こころが体の病気を受け入れてくれない
ですから、こういう場合は「ぎゃ~」「痛~い」って大声出していいんです。
これで痛みを受け容れたことになります。
これだけです。
冗談みたいでしょ。お気楽に聞いてください。(*^ヮ^*)
「これだけです」の部分は蛇足です。他には何も付け加えない、という意味になります。
「痛~い」でお仕舞です。あるいは「痛~い」「痛~い」「痛~い」でお仕舞です。
「受け容れる」ということを、おそらく少なくない人々がネガティブに捉えていらっしゃる。
希望を失い、最悪死を意識して、多かれ少なかれ現状に拒絶反応を起こしているかと思います。
それって妄想なんですね。
妄想で膨らませた世界を現状だと錯覚するところに問題が発生します。
生理的に受け容れたくない!と思う一方で、教理的に受け容れなければならない!と思ってしまう。
葛藤です。
では、お釈迦さまは、ご自身の苦痛に対して、どのように乗り越えられたのでしょうか。
-------< 大般涅槃経 >--------------------------------------------------------
Atha kho bhagavato vassūpagatassa kharo ābādho uppajji, bālhā vedanā vattanti māranantikā.
さて尊師が雨後の定住に入られたとき、恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こった。
Tā sudam bhagavā sato sampajāno adhivāsesi avihaññamāno.
しかし尊師は、心に念じて、よく気をつけて、悩まされることなく、苦痛を耐え忍んだ。
Atha kho bhagavato etadahosi:“na kho metam patirūpam, yvāham anāmantetvā upatthāke anapaloketvā bhikkhusangham parinibbāyeyyam.
そのとき尊師は次のように思った。
「わたしが侍者たちに告げないで、修行僧たちに別れを告げないで、涅槃に入ることは、わたしにはふさわしくない。
Yannūnāham imam ābādham vīriyena patipanāmetvā jīvitasankhāram adhitthāya vihareyyan”ti.
さあ、わたしは元気を出してこの病苦をこらえて、寿命のもとを留めて住することにしよう」と。
Atha kho bhagavā tam ābādham vīriyena patipanāmetvā jīvitasankhāram adhitthāya vihāsi.
そこで尊師は、元気を出してその病苦をこらえて、寿命のもとを留めて住していた。
すると、尊師のその病苦はしずまった。
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Copilotよりも中村元先生の翻訳の方が優れていたので、先生の翻訳を採用しました。
わたしは元気を出して・・・(出典:中村元訳「ブッダ最後の旅」岩波文庫刊 )
因果というものがあるんですけれど、
無常ってことがあるんですけれど、
その中で「わたしは元気を出して」自分を奮い立たせて、涅槃に入るそのときまでポジティブに生きられたんですね。
病気がちだと最初から明るくなんてできませんが、痛いときは痛いと叫びながらも、できるだけ明るく振舞うことができればいいですね。
そのうち本当に明るくなってくるから不思議です。
この先、苦しくなりましたら、大般涅槃経を開いてお釈迦さまと共に過ごしてみてください。2025年05月21日 (水) 10時37分 No.6524
心の苦しみの根元 - なみあなたの苦しみはあなたにしか理解しえないものだと思います。
特に会ったこともなく、同じ病気を抱えてもいない他人があなたに完全に共感することはほぼ不可能でしょう。
そのうえで、あなたが他人に求めるアドバイスというのは結構答えるのが難しい質問に思いますから理解できなければ忘れてもらって結構です。
まず、心の苦しみという部分であなたに言えることは体に期待しないということ。
それは成り立たないということです。
体はいつか壊れますから、ずっと完全でいることはないということです。
そこにわずかでも期待があると、どうして、なんで、と悩み苦しみにつながります。
頭で分かっていても心が付いてこないという理由ですが、心には常に先に期待があります。
そこから思考妄想が生まれます。
ですから、心持としては、そのお辛い気持ちになったときに自分は今期待しているんだと受け止めることです。
いずれ死ぬ私は今朽ち果てる体に期待して苦しんでいる。
そう思って、痛みが出てきたらこれは当然だ、だって体は壊れるのだからと心に言い聞かせる。
それで心が必要以上に混乱することはなくなると思います。
心が苦しいということは期待しているのです。
受け入れてくれないということは期待が先にあるのです。
ですから、生きる期待、あるのだと、その部分を心から認めてください。
どんな自分になってもその体への期待を捨てきれない自分がいるものです。
ですから慈悲の瞑想も効果的だと思います。
「私が幸せでありますように」
苦しみを感じたら、慈悲の気持ちを持って心の中でこのように唱えてみてください。
それが私から言える限界です。2025年06月03日 (火) 14時22分 No.6543