日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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洞察智 - 公一 MAIL
息の一吸い一吐が私を作り、瞬間瞬間の生成消滅が残像を遺す
事が業になる事と言う事ですか?行為の中に私が生まれるで合ってますでしょうか?
2025年02月11日 (火) 16時01分 No.6470
関連資料を調査した結果を共有します。 - 修行者
仏道に関する有益な情報を提供することにより、功徳を積みたいので、書込させてください。
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【トピック①:「私」について】
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は、次のようにおっしゃっています。
「アビダルマでは、物質と心を徹底分析します。これ以上分析できないところになったら、それを勝義諦と言うのです。物質は二十八、心は一つ、心所は五十二、涅槃は一つ、まとめて八十二のダルマがあると教えているのです。存在と言えばこれしかない、という意味でしょう」(『初期仏教経典解説シリーズⅢ大念処経』2016年p186)
また、ゴータミー精舎で行われたアビダンマ講座(https://liberi.jp/abhidharma/)で講師をつとめてくださった西澤卓美先生によれば、施設(せせつ)(概念やイメージ、名前など)は勝義諦として存在せず、対して、勝義諦(心、心所、色、涅槃)はそれぞれの性質を保ちつつ実在するものです(「マハーシ・サヤドーによるヴィパッサナー瞑想法の理論と実践:高い学識と指導力を持つ稀代の高僧が説いた涅槃に至るブッダの方法(特集 ヴィパッサナー瞑想)」サンガジャパン36:2020年p184)。
なお、「心所」とは、協会サイト https://j-theravada.com/world/keyword/keyword-11/によれば、心に溶けている成分のようなものです。
協会サイトhttps://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-079/で述べられているとおり、諸行無常(すべての現象は無常である)です。よって、物質(色)・心・心所は無常です。ちなみに、前掲講座の音声記録(https://liberi.jp/abhidharma/120211_03.mp3の53分頃)・講座テキスト(https://liberi.jp/abhidharma/ad-text_1.pdfのp51)によれば、涅槃は諸行には含まれず、恒常です。
以上より、「私」という概念は勝義諦としては存在せず、瞬間瞬間生滅を繰り返している無常たる物質(色)・心・心所のあつまりに対するイメージにすぎません。観察力が低いと無常を体験できず、変化しない確固たる存在として「私」が存続しているかのような錯覚を誘発します。しかし、観修習(ヴィパッサナー)で観察力を向上させた者ならば、無常を体験でき、現象の生滅を明瞭に観察できます(前掲テキストp70,75参照)。
五蘊を用いて説明されることもあるので、その点についても補足します。五蘊とは、勝義諦(心、心所、色(物質)、涅槃)について涅槃を除いた上で分類しなおしたものです (前掲テキストp58参照)。協会サイトhttps://j-theravada.com/world/keyword/keyword-08/にて、我々は五蘊(色蘊(体)・受蘊(感覚)・想蘊(知識)・行識(「何かをしたい」という気持ち)・識蘊(認識すること))を自分だとみなし執着しているとの解説があり、「私」という自我意識は、ほとんどが受蘊から生まれるとの指摘があります。公一さんは「息の一吸い一吐が私を作り~」とおっしゃいましたが、呼吸の感覚などの受蘊は、無常に気づけない凡夫において「私」という概念をつくる原因のひとつです。また、公一さんは「行為の中に私が生まれるで合ってますでしょうか?」ともおっしゃいましたが、行為を形成する五蘊のいずれもが、無常に気づけない凡夫において「私」という概念をつくる原因になりえます。
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【トピック②:業について】
協会サイトhttps://j-theravada.com/world/keyword/keyword-17/によれば、意志(行為を起こす動機となる想い)が業であり、「想い」が清らかなものか、貪瞋痴で汚れているかによって、善業か不善業かが決まります。
前掲講座の音声記録(https://liberi.jp/abhidharma/120428_02.mp3の13分頃)・前掲テキストp57によれば、心所全52個のうち思心所が業のはたらきをしており、五蘊でいえば行蘊が業に対応します。
公一さんは「瞬間瞬間の生成消滅が残像を遺す事が業になる事と言う事ですか?」とおっしゃいましたが、勝義諦における思心所や行蘊が業に対応すると理解するほうが正確と思います (勝義諦において、「残像」という項目はないから)。
なお、協会サイトhttps://j-theravada.com/dhamma/sehonbunko/buddhagaoshietakarma/によれば「業と過去は考えても終わりがない。考える人の心は狂気に陥ってしまいます」とのことです。よって、実践に役立つ範囲で業を学ぶこと(何が善業・悪業になるか、何が強い業・弱い業になるか等)は有意義と思いますが、実践に役立たない範囲においては業に関して深追いしない姿勢が無難と思います。 
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以上は関連資料の調査結果を私なりにまとめたものですが、まだ修行が完成していない私の言葉を介在させずに、上で紹介したような専門家の先生が作成なさった資料をご自身で熟読なさるほうが、より正確な理解をもたらすと存じます。
今回の書込が、公一さん・わたくし・閲覧された皆さん全員が仏道をすみやかに完成し、輪廻から解脱するためのたすけとなりますように祈願いたします。この書込によって得た功徳を全生命に回向します。この功徳が、全生命が幸せに暮らし、そして涅槃を得るためのたすけとなりますように。
2025年02月23日 (日) 23時01分 No.6472
私の発見のアドバイス - なみ
それは認識バイアスだと思います
呼吸瞑想の成果は自分の発見に基づきます
発見しない妄想、考えはすべてバイアスです
自分が妄想している場合は永遠に悟りに達しません
それが正解でもそこに拘れば本当の意味で理解に到達できないんです。

1つ例をあげます
自転車ありますよね。
あれはなぜだかわからないですが、全身の筋肉がうまく調和してばしっと乗れるでしょう。
それを説明して欲しいと言われれば説明はできます。
しかし説明された人はその後すぐに乗れますか?
乗れませんね。
あれと同じ感覚が起こって何かが理解できる状態。
それが悟りだと私は思います。

それまで何も妄想で歪めることなくただ自分の肉体の観察によって瞑想実践をしてください。
発見できるまで瞑想実践を続けてください。
自転車に乗るのと同じだと私は思います。
そのうちあっという気づきが生まれます。
2025年02月23日 (日) 23時01分 No.6473


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