日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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書き言葉と正語 - ポンタ
こんにちは。

書き言葉、つまりこうしてコメントを打つ場合も、それが「正語」かどうか?になりますか?個人的には「正語」に準じると思ってます。

身口意で考えると、正語は「話す言葉」になり、書き言葉は「意と身の行為」になるかと思います。「聞く言葉」も音の世界ですね。

しかし、これだけネットが普及し「書き言葉」でのやりとりが盛んになるとどうなんだろう?って思います。

他への影響という観点に立つと、ネット上での「書き言葉」は無視出来ないと思います。

現に、ネット上でのイザコザで「誹謗中傷された」と裁判沙汰になったりするケースがあります。話し言葉である「愛語」も「書き言葉」ではどうなるのか。

その点、スマナサーラ長老の法話を探してみたのですが見つかりませんでした。

スマナサーラ長老の法話で「書き言葉と正語」あるいは「書き言葉と愛語」について言及されてるのがあったら教えて頂くと幸いです。

宜しくお願いします。
2024年12月06日 (金) 18時01分 No.6389
受け取り方ひとつ、心の問題 - なみ
こちらをご覧ください。
http://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou262/

長老の結論はこうです。以下抜粋

完全に語ることのできる能力は、正覚者たるお釈迦さまにだけ備わっている特徴であって、他の人間は言語能力の完成に程遠いのです。ですから、我々は「完全に納得できるように喋ってほしい」と他人に期待するのを考え直すべきです。聞く人のほうにも、宿題があるのです。

2024年12月10日 (火) 15時34分 No.6410
書き言葉 - ポンタ
こんにちは。

なみ様、コメントありがとうございます。

また、法話の紹介ありがとうございました。

質問は、そのようなことが「書き言葉」にも適用されるかいなか?について、スマナサーラ長老が言及されてる法話はあるのでしょうか?

です。

チラっと「書き言葉」に長老が言及されたりしてる「正語」についての法話もありますが、たとえば「SNSと愛語」みたいなテーマの法話があるのかな〜って、、、ということです。
2024年12月12日 (木) 11時45分 No.6412
ダンマパダの意味 - ポンタ
私の質問は「書き言葉での正語」「書き言葉での愛語」に関するスマナサーラ長老の法話の有無でしたが、なみ様が引用されたダンマパダの408.

【Akakkasaṃ viññāpaniṃ
Giraṃ saccamudīraye
Yāya nābhisaje kañci
Tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
雅みやびに語り明確に 真理を伝えそれにより
いかなる人も傷つけぬ そをバラモンと我は説く】

以上がダンマ408の原文と翻訳です。

それから、


【Akakkasaṃ ――洗練されている。意味がしっかり含まれているから、相手に通じるのです。相手の心がよくわからない、と困るはめにはならないのです。

Viññāpaniṃ ――明瞭である。自我の錯覚が消えているから、自と他の差も、解脱者に はないのです。自我の錯覚があるゆえに、相手の心を傷つける気持ちが起こるのです。
ですから、解脱者の言葉には、相手の心を傷つける語は一切入らないのです。

Nābhisaje kañci ――いかなる人も傷つけない。もし、人の言葉がこのような性質を持っているならば、その人は真のバラモン(聖者)であるとお釈迦さまは説かれます。要するに、正しい言葉を使える能力を身につけるためには、心の汚れを落とす必要があるのです。】

以上がダンマパダ408の偈文の解説になっており、これがブッダが説かれたことになります。

従って、これがメインの主張(ブッダの教え)になるでしょうね。
2024年12月12日 (木) 11時45分 No.6416
ダンマパダ - ポンタ
スマナサーラ長老の解釈もなるほどと思いますが、このダンマパダの私なりの解釈は

1.「心を清らかにした阿羅漢は、表面的に粗野な言葉を発しても、それで人を害することがないのである。表面的な言葉だけで判断してはならない。」

2.「阿羅漢以外の心の汚れてるものは、愛語(又は正語)を話すようにすべきである。それによって人を傷付けるような言葉を発してはならない。」

ですね。ダンマパダの原文に忠実に解釈すればそうなるかと思いました。

2024年12月12日 (木) 11時45分 No.6417


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