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障がい者雇用を推進している所で働いています
①
指示についてですが、それは世話なのか命令なのか、その線引はなんでしょうか?
②
波羅蜜の布施とは、財施や法施を言うそうです。
弱者、困窮者を手足で世話し口で世話し、つまり介護で助けるのは波羅蜜の布施には相当しなく、仏教の管轄外
介護、下賎の仕事でしょうか?
この理解は合ってますか?2024年11月27日 (水) 17時15分 No.6347
がんばってください - なみ2の布施波羅蜜はよくわかりませんが、
命令と世話の決定的な違いは本人ができるか出来ないかだと思います。
お世話は本人のできないところまでを助けるのがお世話で命令は考えることをやらせようとする。
なので本人の意思は関係ありませんね。
押しつけです。
お世話は本人が断ればやりません。
時々何でもかんでも言われるがまま、思いつくままお世話しようとする人います。
しかし、貪瞋癡を助けるお世話は返ってその人を地獄に落としていると私は思います。
逆にそれが例え命令でも貪瞋癡を減らす、なくす行為であればそれは立派に人を助けたことになると思います。
その結果として、感謝されるか罵倒されるか、それはその時の因果法則の流れです。
真理は心の貪瞋癡にあるので、たとえ感謝されても悪いことをしているときもあれば罵倒されても良いことをしているときもあると思います。
食べたいという欲求だってそれがお菓子やら何やら際限なく食べたいという話であればそれをお世話するのはちょっとグレーといった感じです。
本人が不幸に思わない程度にお世話する。指示する。
指示に反発されたら、こういうのはあなたの為にならないと思いましたと説明するのです。
それが一番安全な考え方ではないでしょうか。
その上で、反発するならもう仕方がないと思いますよ。
心は堕落したいものですから悪い方へいきたがるのです。
2の末尾にある介護についてですが、げせんの仕事ではありません。これは断言できます。
しかし、これも気持ちの問題に思います。
例えば、俺は世話してやってるんだぞという態度であればちょっと危ない。
かといって、こんな仕事は……といって自分を卑下するのもおかしいです。
仕事というのは自分が食べるためにやってるのですから偉いとか下等とかいうものはないんです。
食べるための行為は動物でもやってますよと長老も話しています。
そこに人間の慢というものを入れて、上とか下とか考えている時点で相当嵌まってしまっていると思います。
長老はそういう考えが動物未満なのでやめましょうといっているくらいです。
なので、みんなが不幸を感じないよう慈しみの心(心配してあげる気持ち)で頑張って見てくださいと皆さん仰るのではないでしょうか。
私はそう思います。
2024年11月29日 (金) 18時16分 No.6355
してあげる - ポンタこんにちは。
その方が必要なことを「してあげてる」ので、介護は立派なお布施だと思います。
あとは、どこまでビジネス感覚というか損得勘定なしの「見返りを求めない気持ち」で介護できるか?という気持ちの問題になるように個人的には思いますが。
1についてはわかりません。
一応、ご参考までに。2024年11月29日 (金) 18時16分 No.6360