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悟りについて - ポンタこんにちは。
最近、星飛雄馬さんと佐藤哲朗さんの深夜対談を興味深く拝聴させて頂きました。https://youtu.be/YYtaWvddCXo?si=wRZoEP0U8kzrKS1j
預流果の条件についての内容です。初期経典にもとづくものです。
疑問は初期経典ではなく、アビダンマッタサンガハや清浄道論にもとづく預流果についてです。
「次の瞬間の心は、初めて涅槃を対象にします。初心者の場合は、預流果に達したことになります。」(『ブッダの実践心理学第8巻』P155)。
「涅槃とは一つの経験です。その瞬間には、対象と観察とが停止する。その二つのものが停止するのです。瞑想者には、全てが終焉したように感じられます。」(『自由への旅』ウ・ジョージカ・・セヤドーPDF.P213)。
上記、2つの説明では、預流果で涅槃を経験するようです。
さて質問ですが、涅槃体験は預流果の必要かつ十分な条件と言えるのか?です。
換言すると、涅槃を体験しなくとも預流果に達してるケースや、涅槃を体験したが預流果に達してないケースはあるのか?という意味です。
宜しくお願いします。2024年10月24日 (木) 13時29分 No.6275
滅尽定 - ポンタこんにちは。
初期経典とアビダルマで内容的に明らかに異なる点があります。
初期経典では「滅尽定は阿羅漢だけ」に対して、アビダルマでは「不還果と阿羅漢果が滅尽定に入れる」となってます。
なんか変だな〜って思ってます。2024年11月13日 (水) 12時37分 No.6314