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修行が進むと隠れていた無明が次々と現れる? - 凡夫一つの大きな悩みを解決すると、別の、しかも昔のとっくに忘れていた悩みか顕在化して私を苦しめます。
これは表層の無明を撃退したら、さらに奥深くに隠れていた無明が顔を出したという解釈で合っているのでしょうか?
無明に捕らわれるとまた悪感情で戦うはめになりそうで、無明の思うつぼにならないよう気をつけてはいます…
修行が進んでいるかどうかの評価は、小悪党の無明を倒していって、最終的にはラスボスの無明を倒すようなロールプレイングのような感覚で合っておりますでしょうか?
瞑想実践されいるかたはどのように修行が進みましたか?
ご意見いただけますと励みになります。2024年09月13日 (金) 18時23分 No.6198
自我の錯覚 - ポンタこんにちは。
自我が錯覚であることの理解が深まれば、修行が進んだと考えてます。
一応、ご参考までに。2024年09月15日 (日) 23時02分 No.6203
ご返信ありがとうございます - 凡夫ご返信ありがとうございます。
私が実践の中で発見(?)したのは、自我は複数の無明によって成り立っているという事です。
善因善果の法則に従うならば、善に至って出てくる悩み事は必ず善果となるという信念から思考を巡らせると、そこには無明が隠れており、その無明が悩みの根本原因になっていることを発見しました。
その意味では、悩みの根本にある無明を探す(思考する)試みは必ずしも悪くないという結論に達しています。
少し大袈裟に言うと、智慧が育つと隠れている無明をあぶり出せるようになるという見解です。
無明に対してアプローチ(根性論、精神論ではなく実践)することで悩みの根本を断ち切ることを発見しました。
実践されている先輩方のご意見はいかがでしょうか?2024年09月18日 (水) 21時53分 No.6210
すみません - ポンタこんにちは。
すみません、自我は複数の無明によって成り立つ、ってどういう意味ですか?
例えば、渇愛は「五欲、存在欲、非存在欲」と3つあります。
また、怒りは「嫉妬、後悔、物惜しみ…」といろんな種類にカテゴライズされてます。
複数の無明。をひとつずつ明らかにしてもらえたら幸いです。
以上、宜しくお願いします。2024年09月20日 (金) 11時31分 No.6217
お忙しいなかご返信ありがとうございます。 - 凡夫複数の無明=過去世からの様々な業によって成り立つ私(自我)という特質体(個性)という意味です。
※過去世云々は凡夫の私にはもちろん管轄外であり仏教からの受け売りです。
渇愛も怒りも表層意識であり、無明はその表層意識を作り出している根本意識(無意識)だと理解しています。
よって表層意識をカットしても根本意識(無意識)である諸悪の根元たる無明を見つけない限り、悩み苦しみの解決はできないという個人的な見解です。
実際的に、この方法で問題は解決しつつあるので、実践されている皆さんも同じような経験をされているかご意見を伺いたかったのが主旨となります。
論理的には、無明を形成している行(業)と逆の行為(もちろん善行為)を行えば、自ずと問題(無明)が解決(打破)されるという体験的理解です。
ただし、仏教は思考については取り扱いが注意との教えの認識でおりますので、このような見方、実践方法が正しいかどうか実践者の方から是非ご意見いただけますと幸いです。2024年09月24日 (火) 13時33分 No.6238
渇愛 - ポンタこんにちは。
ご返信ありがとうございます。
仏教教義にもとづく見解だったようですね。
渇愛を滅する=無明をなくす、貪瞋痴を滅する=無明をなくす、と理解してるので、根本煩悩である無明でなくても、渇愛や貪瞋痴に焦点を絞って実践するのも当然有りだと考えてます。
ちなみに、十二因縁によれば「無明から渇愛」ですが、これはセットなので、無明が消えれば渇愛も消える、一方で、渇愛が消えれば無明も消える、と理解してます。
自我の錯覚が完全に消えるのが阿羅漢果であるならば、自我の錯覚が消える=無明がなくなる、となります。
理解的に考えると、無明が全ての煩悩の土台であるので、根本煩悩たる無明を消せばいい、となりますが、無明そのものを実感するのは難しいとは思います。
以上、ご参考までに。2024年09月26日 (木) 18時23分 No.6239
ややこしくなりますが - ポンタこんにちは。
話がややこしくなりますが、「無明から行」の行=業の箇所で、その業には「悪行為+善行為」が含まれていると理解してます。
つまり、「善因善果」のレベルでは無明を消せない、って話です。生きることを肯定してるという意味です。
これについては、他のスレッドで紹介させて頂いた、長老の『世俗の「ムダ」と、聖の「ムダ」』という法話を一読して頂きたいと思います。所謂善行為は精神的立場の第一ステップだと思います。
勿論、善行為を否定してるわけではありません。
一応、ご参考までに。
2024年09月26日 (木) 18時23分 No.6240
ちょっと纏めると - ポンタちょっと纏めると以下になります。
1.無明は全ての煩悩の土台であり根本なのは確かにそうだが、無明そのものは実感しづらいため、知識や概念になりやすい。
2.「無明から行」の行=業を悪行為だとすると、善行為の結果で解脱が可能になる。例えば、お布施をすることで無明をなくして解脱することも可能になるが、そうではない。従って、「無明から行」の行=業には「善行為」も含まれる、と考えるのが妥当だと言える。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜2024年09月26日 (木) 18時23分 No.6241
八正道大全 - ポンタちょっと補足です。
〉論理的には、無明を形成している行(業)と逆の行為(もちろん善行為)を行えば、自ずと問題(無明)が解決(打破)されるという体験的理解です。
問題点はここにあると思います。ポテンシャルエネルギー=行が消えないと無明も消えません。
先の投稿で、善因善果について言及しましたが、意味は同じです。
長老の『八正道大全』にその辺が詳しく書かれてますのでオススメしたいと思います。
以上、参考になれば幸いです。
2024年09月26日 (木) 18時23分 No.6243
簡略版 - ポンタ長老の『八正道大全』を紹介しましたが、無明と行についての動画がありました。https://youtu.be/BjRdrbP1oJE?si=CmKaKoZqIIxHKiX82024年09月26日 (木) 18時23分 No.6244
何度も何度も - 青い蓮華>実践されてるかたはどのように修行が進みましたか?
尊者のお話を、何度も何度も、聞き返し読み直しました。
たとえ些細と思われることでも、疑問がなくなるまで、聞き返し読み直しました。
数か月、3年で分かるようになったものもあれば、20年30年追求してきたものもあります。
>実践されてるかたはどのように修行が進みましたか?
お話になられていることが、ぜーんぶ分かるようになったことで、一区切りつきました。
今のところ、新たにお尋ねする疑問がありません。
お釈迦さま8万4千の教説。結局「妄想せずありのままに観なさい」ってことでしょうね。
無明とは何か、〇〇とは何か等々。まあ、どうでもいいくらいに受けとめております。
単に老化しているだけかもしれません。笑
>ご意見いただけますと励みになります
頑張ってください。2024年09月28日 (土) 23時51分 No.6249
アドレスありがとうございます。大変参考になります。 - 凡夫ポンタ様、青い蓮華様
大変詳細にご回答いただきありがとうございます。
また文献までご提示いただき誠にありがとうございます。
私の知識レベルでは仏法に則って語ることは不可能ですので非常に主観的ですが、私の経験による見解のポイントだけ列挙しますと、、、
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・無明を倒すには直接的にアプローチする必要がある=逆の行為(善行為)が最大の防御であり攻撃となる
・表層の悪感情をいくらサティでカットしても、病原体たる根元の無明に直接アプローチして根絶させない限り解決は不可能である
・無意識化の暗闇に隠れている無明を発見するには智慧の成長(光)が必要である
・智慧によって無明から生じる行、識(欲求の優先順位)を認識でき、無明を倒す武器(逆の善行為という具体的な行為)を得られる
・逆の行為(善行為)には無明の抵抗に抗する強い意志力、忍耐力、精進努力が必要である
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上記のアプローチによって、バイアスによって歪められていた記憶が突然思い起こされて事実に対して思い違いをしていた気づきや、サティでは制御できなかった沸き起こる悪感情を制御することができました。(できております。)
まだまだ未熟者ですが、常に死を念じながら、呼吸という脆い行為によって生かされている事を念じながら励んでいきたいと思います。2024年10月02日 (水) 15時33分 No.6250