日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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脳は反応するだけ? - ヴィリヤ
瞑想をしておりますと大抵の感情は胸の辺りで生じるという実感があります。仏教の伝統的な考え方(心基)が正しいのではないかと感じます。思考(尋伺)は頭で働いているような気がしますが、どちらかというと、脳は先に生じた心に反応して感覚を作り出しているようなだけに思われます。間違っていますか。
2024年08月27日 (火) 23時04分 No.6174
心と科学 - イエモン MAIL
こんにちは

>大抵の感情は胸の辺りで生じるという実感があります。
この辺りの心と身体の機能には、かなり複雑なメカニズムが働いているようです(参考書籍1)。
簡潔に述べると、次のようになります。

「非明示的知性⇄感情⇄明示的知性」

非明示的知性とは、自動的に生体内部の環境を維持しようとする機能で「ホメオスタシス」と呼ばれています。

明示的知性とは、概念や思考・妄想を駆使して、計画を立てたり、推論したり、はたまた人間関係のドラマを構築したりといった心の機能を指します。

そして、その両者を(神経系によって)繋ぐハイブリッドな役割を果たすのが感情だそうです。
つまり、ホルモンや神経電脱物質を介して内受容器(内臓平滑筋などに分布)に影響を与える機構です。

ネガティブな思考(尋伺)を行い、その後、不快な感情(怒りなど)が身体(胸など)にも不快な感覚として感じられるのも、感情が心と身体を繋ぐハイブリッドな役割を果てしているからだそうです。

>脳は先に生じた心に反応して感覚を作り出しているようなだけに思われます。
まず、前提として整理しておきたいのは、
・科学者や唯物論者は、脳が心を生み出しているという前提に立っていますが、
・テーラワーダ仏教では、心のエネルギー(業)が脳は基より三次元的な身体のすべてを作って制御していると考えています。

数年前にスマナサーラ長老が対談された慶應義塾大学の前野先生(参考書籍2)は、前者の立場ですが、実験結果から受動意識仮説を提唱しています。

この仮説は、例えば「お茶を飲もう!」と思考する約0.35秒前には、既に脳が活動している。という事実から、自由意志による能動的な決断の殆どは錯覚に過ぎない。つまり、受動的な反応の上に「私がお茶を飲みたいと判断した」と(後付けで)錯覚しただけというものです。

これは、単に五蘊(受→想→行→識)の「受→想→行」分のタイムラグなだけであるように思うのですが、よくわかりません。

つまり、(心→)脳の活動電位が弱~強へと増していき、ある一定のレベル(閾値)に達すると「お茶を飲もう」という衝動(サンカーラ)が意識に昇る。という解釈です。

詳細は、参考書籍を読まれてみてください。

参考書籍
1)アントニオ・ダマシオ(著)『ダマシオ教授の教養としての「意識」―機械が到達できない最後の人間性』
2)アルボムッレ・スマナサーラ、前野隆司『仏教と科学が発見した「幸せの法則」:「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』
2024年09月07日 (土) 21時54分 No.6187
興味深い二冊の本の提示に感謝します。 - ヴィリヤ
イエモン様、丁寧なご回答ありがとうございます。
感情が感覚や思考や概念の橋渡しをしているのですね。ここら辺はなんとなくわかるんですが、何が最初に起きているのか?はよくわからないんです。感覚が先、思考が先の時もあるように感じる時もあります。しかし科学者もすごいことに気づいているんですね。
何故、このような質問をしたかというと脳が介在してなさそうな現象の流れがいくつか確認できるからです。(凡夫の妄想なので観察力不足かもしれません)
腕に痒み→掻きたいという衝動(意思)→もう片方の手で掻く
という一連の流れに脳みそが役割を果たしているかよくわからないんです。
怒りや欲や眠気を喚起しかねない感覚が身体に起きる→同時に気づく
すると実際には怒りや欲や眠気の感情につながらないわけですが、これも脳が介入しているようには見えないので、質問に至りました。
気づきで意思が生じるのを防ぐ?(厳密に説明できませんが、感情的であることに甘えるのを阻止)と一応感情は制御できていると思います。
自由意志については確か、限定的な範囲内での意思と考えればいいんですよね?
興味深い書籍の紹介ありがとうございます。
2番目の本は図書館に入っていましたので、勉強します。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2024年09月11日 (水) 06時16分 No.6193
情動由来の感情 - イエモン MAIL
こんにちは

>脳が介在してなさそうな現象の流れがいくつか確認できるからです。

厳密には脳は大いに介在しているんでしょうが、
ヴィリヤさんの例を読む限り「感情を伴う思考・妄想(心的イメージ)が介在するか否か」を「脳が介在していない」と表現しているように思いました。(間違っていたらすいません)

実は、ほんの数日前にヴィリヤさんの疑問の解答となる内容が書かれた書籍を読んだところでしたので、何かの共時性を感じているところです。

前の投稿で挙げたアントニオ・ダマシオ氏の別の著作で『意識と自己』という書籍ですが、かなり難解で殆ど理解不能でした(汗)。
ですが、最後に「訳者解説」があり、ここでの内容が分かりやすく、ヴィリヤさんの疑問に答えています。

一応、仏教と絡めて私の解釈を簡単に書いてみますが、もし、可能であれば、原著の「訳者解説」を読まれることをお勧めします。

あと、関連経典として、『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』も参考になると思います。

>何が最初に起きているのか?はよくわからないんです。感覚が先、思考が先の時もあるように感じる時もあります。

結論から言えば、次のような図式になるように思うのですが、合っているかはわかりません。

感覚⇄情動(気分)→心的イメージを伴う感情
(ほぼ無意識下) → 不放逸 ⇄ 放逸

すべてのベースとしては、受(ヴェーダナー)の「快・不快・どちらでもない」という感覚があり、本能(遺伝子情報)またはカルマでスイッチが生じることも多い。

さらに、身体内部では、筋肉や内臓平滑筋の収縮・弛緩、血圧・生化学物質の増減などと合わさって、常に無意識下で「情動」あるいは「気分(ムード)」が働いています。

>腕に痒み→掻きたいという衝動(意思)→もう片方の手で掻く
という一連の流れに脳みそが役割を果たしているかよくわからないんです。

これは、ヴィパッサナーによって、感情を介さないように行われた不放逸なプロセスだと思われますが、不快感(情動)は働いているはずです。

例えば、ここに蚊が止まっていたとして、「殺してやろう!」という思考・妄想(怒りの感情)が浮かんだとします。

つまり、
①不快感(情動)が出現
②蚊という心的イメージに結び付いた「叩き殺す」という殺意(怒りの感情)に発展する(情動由来の感情)。※他にホメオスタシス由来の感情というのもある。
③放逸の状態で、実際に殺害が実行されると悪業を犯したことになる。

>怒りや欲や眠気を喚起しかねない感覚が身体に起きる→同時に気づく
すると実際には怒りや欲や眠気の感情につながらないわけですが、これも脳が介入しているようには見えない

これも、情動由来の感情(煩悩)に発展する前に、情動(不快感)の段階で気づきを入れて思考・妄想や感情の流れをカットしたということだと思います。

自由意志に関しては、釈尊と「自由意志は無い」と主張するバラモンの対話の中で、
釈尊:「貴方、この椅子に座ることができますか?」
バラモン:「もちろん座れますとも」(と座ってみせる)
釈尊:「自由意志があるじゃないの!」
このようにバラモンの主張をいとも容易く一周したというエピソードがあったと思います。

感受(快・不快)や、思考・妄想がカルマによって自動的に現われた果報である限り、
放逸では意識は受動的(自動操縦状態)でしょうし、
不放逸であれば、それだけ能動的(自由意志)な場面が多くなるのではないかと思います。

長くなってしまいましたが、ヴィリヤさんの質問によって散乱していた知識が整理できました。
ありがとうございます。実践面でも精進したいと思います!

生きとし生けるものが幸せでありますように。
2024年09月13日 (金) 18時23分 No.6199
感謝 - ヴィリヤ
イエモン様、自分の質問がお役に立ったようで何よりです。
毎度知識をわかりやすいように解説してくださり感謝しています。
意識と自己は図書館にあったので早速予約しました。
前野さんの本は読みました。彼は科学の側からのやり方で「私」という観念が消滅して幸福を感じていらっしゃる様子でしたね。仏教と科学の違いが鮮明な部分が多く、これは瞑想して確認しなければならない領域だと思いました。
一つちょっとだけ訂正です。
>> すると実際には怒りや欲や眠気の感情につながらないわけですが、これも脳が介入しているようには見えないので、質問に至りました。

少しだけカッコつけて書きましたが、確かにこう感じる時はあります。しかし自分は、これはナーマか?これはルーパか?と瞑想中気付けない時も多い段階なので断言すべきではありませんでした。(イエモン様のいう情動と感情があやふやに感じる時がある)。仏法僧に懺悔します。

蜜丸経の解説本がamazonにありましたので後ほど購入します。
2024年09月15日 (日) 23時02分 No.6201
因果法則と補足 - イエモン MAIL
こんにちは

知識自体は「智慧」ではないですが、
実践の根拠やモチベーションに繋がったり、智慧を育てる助けになったりするようには思います。

そういうスタンスでもう少し深堀してみました。
因果法則で考えてみると、

【対象↓】
①感受:苦・楽・不苦不楽)→原因↓
②情動(感受に影響された情動)→結果・原因↓
③思考(情動に影響された思考)→結果・原因↓
④妄想(思考に影響された妄想)→結果・原因↓
⑤感受(妄想に影響された感受)→結果・原因↓

このように普通は①~⑤のような「妄想ループ」を形成しているので、
感受が先なのか?、思考が先なのか?
よくわからなくなっているのだと思いますが、各々の原因を観察していくと、結局のところ「感受」に行きつくのだと推察します。

実は、昨日、(私にとって)ショックな出来事が発生しまして(汗)、良い機会だと思い自己観察してみた結果、やはり、次のような心の流れが発生していたように観えました。

【あるショックな出来事↓】
①苦(不快)な感覚↓
②縮こまった心(情動)↓
③ネガティブな思考↓
④過去の後悔や未来の不安に関する妄想が増殖↓
⑤さらに不快な感覚↓

一応、今回のショックな出来事については、(素直な)慈悲の気持ちで対応するように心がけました。

ここから補足なのですが、
以前、長老の『大念処経』の心隨念の部の「十六種類の心の観察」を読んだ際、イマイチ腑に落ちず、あまり真面目に実践していませんでした。

ですが、今回、情動や気分、ムード、情緒などの考え方を学び、十六種類の心の観察が、心の背景となる「心の状態」を観察しているのかな~と納得感が湧き、この場をお借りしてシェアさせていただこうと思います。

それではお互いに精進しましょう。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
2024年09月18日 (水) 21時53分 No.6213
ありがとうございます - viriya
イエモン様の悩み苦しみがなくなりますように。生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。全ての生命が解脱に達しますように。

ネット越しの知識と智慧の教授感謝しています!自分は一応瞑想はやってはいるのですが、瞑想指導を受けたことがなく、よくわからないことも多かったんです!イエモン様が作ってくださった表をお借りします。

【あるショックな出来事↓】
①苦(不快)な感覚↓
②縮こまった心(情動)↓ →・ここで気づきを入れると苦を取り除きたいという意思や欲求がカットされるんですよね。          ↓ ↓ ↓
③ネガティブな思考↓ →・その結果、怒りや欲の流れが遮断して正思惟に移行するんだと思います
④過去の後悔や未来の不安に関する妄想が増殖↓
⑤さらに不快な感覚↓ →・ここの感覚が不善でも浄心でも胸に現れるように感じます。

最初の質問ですが、イエモン様の知見と質問後の自分の経験を照らし合わせると、かなり筋違いな勘違いをしていたのではと思うに至りました。(笑)。いわゆる意思も脳みそで働いている感じがします。結局は、私は胸に現れる結果としての感覚をナーマと勘違いしていたっぽいです(笑)。気づきを与えてくださったイエモン様に感謝します。ナーマはあまりにも早いので見落としやすいです。

一緒に精進していきましょう。生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
2024年09月20日 (金) 11時31分 No.6215
イエモン様への質問です - ポンタ
こんにちは。

ちょっとイエモン様に質問なのですが、①の感受と⑤の感受の違いというは、例えば①「痛み」と⑤「痛い」の違いみたいなことでしょうか?

突然ですが宜しくお願いします。
2024年09月20日 (金) 11時31分 No.6221
ヴィリヤ様 - イエモン MAIL
いらぬご心配をさせるような例を使ってしまい申し訳ありませんでした(汗)

細かい部分についての答え合わせは、
「自灯明⇄法灯明」で自らの心身で確かめる方が良いと思います。

まずは「五蘊の観察」から始めるのはどうでしょうか。気付きは「受(ヴェーダナー)」の直後に入れる方がベストだと思います! 正直大変ですけど。。

注)
表?の中の「情動」については、アントニオ・ダマシオ氏の書籍を読んで、私が勝手に入れ込んだものなので、取り扱いには注意してください。

長老の瞑想指導を受けることもお勧めします!
頑張ってください。お互いに精進しましょう。

2024年09月22日 (日) 08時31分 No.6229
ポンタ様 - イエモン MAIL
こんにちは

>①の感受と⑤の感受の違いというは、例えば①「痛み」と⑤「痛い」の違いみたいなことでしょうか?

私の例で言えば、
不覚にもその時は、放逸な状態でしたので、①も「(私が)痛い」、⑤も「(私が)痛い」です。

少し補足をすると、
1)最初の①の対象=声(音)刺激→耳門で感受。
2)音刺激が顛倒(概念→心→見解)機能によって素早く変換され(パパンチャ)、
3)「私が」不快(苦)な出来事を聞いたと認識。
4)さらに思考・妄想が増殖し、自ら作った空想(現実ではない)物語(法)を、再度、「私が」意門で⑤感受して、より不快な苦しみを「私が」認識した。

いわゆる「反すう思考」ですが、常に「私」が前提にあるので、どちらも「痛い」です。

実際には、仏教を学んで、苦しみが増すメカニズムを知っているので、
「気づき」を入れ、すぐに気持ちを切り替えることができました。ですので、思考・妄想が増殖することは殆どありませんでした。

つまり、「私が」を消し「痛い」を「痛み」に変換したということだと思いますが、言うは易し行うは難し。。ですね(汗)

回答になっていますでしょうか。参考になれば幸いです。
2024年09月22日 (日) 08時31分 No.6230
感受 - ポンタ
イエモン様、ご返信ありがとうございます。

なるほど、そういう意味でしたか。

「感受」の観察は瞑想の要諦でもあるため質問させて頂きました。

〜生きと生けるものが幸せでありますように〜
2024年09月24日 (火) 13時33分 No.6233


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