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パターンの破り方について - 無スマナサーラ長老への質問です。
私は幼少期から他者に頼らずに生きようと様々な努力を積み重ねてきました。一方で、他者に頼られたら自分なりに助けるようにしてきました。しかし、ひょんなことをきっかけに振り返ってみると、周囲には私の努力の結果を横取り(搾取)しようと狙う人が常に現れ、努力の結果を奪われるパターンに陥ってしまっていたことに気づきました。つまり、本当は助けが必要ないのに、楽をして生きようとする人たちを私は見抜くことができませんでした。以来、人間に失望し、努力することに積極的になれず、生きることにもどうしようもなく疲れてしまい、苦しいです。そこで、質問です。①これは過去世などの業なんでしょうか。このパターンから脱出するにはどうしたらよいんでしょうか。②生きることに希望を失った今もなお生かされているということは、私を必要とする誰かや何かがどこかにあるということなんだと思います。本当に助けが必要な人は助けてあげたい想いがまだ強く、ただの怠け者と本当に助けが必要な人を見分けられるようになるにはどうしたらよいかを教えていただけませんか。2024年04月19日 (金) 00時27分 No.6079
とりあえず - ポンタこんにちは。
とりあえずは、「そんなもんさ」って割切ってはいかがでしょうか?
人間、みんな奪わないのなら「五戒」なんて無用の長物になると思います。
隙あらば奪おう奪おうとする。他ならぬ自分の利益のために。
だからこそ、お布施することや慈悲の気持ちに意義があるように考えてはいます。
まぁ、人生そんなもんさ、、って気持ちになってから、冷静になれたら、その段階で解決策を考えられたら宜しいかと。。
一応、ご参考までに。。2024年04月20日 (土) 20時15分 No.6082
今更ですが似たような長老の動画から - なみ長老の法話の中に1つ印象に残った言葉があります。
それは誰にも頼らずに生きてやるというのは悪人の生き方でしょうという言葉です。
私はこの言葉に大いに感銘を受けました。
そもそも、誰にも頼っていないと思うこと自体が傲慢だと説かれたのです。
その通りです、私たちは生まれてこの方何一つ知らない世界で色々な方々にどれほど苦労と迷惑を掛けてきたかわかりません。
両親や育ててくれた人がこの世にいなければ野垂れ死ぬしかないほど弱い生き物だったんです。
それを思えば、ちょっと他人に騙された、搾取されたと騒ぐその性根が腐ってますと言われた気分でした。
なので質問者さんも他人を助けたいと思うのならまず人格を向上することに余念がない人になって欲しいと思います。
過去生の業だというのは逃げ道です。
自分を正当化したいという傲慢さの表れだと思います。
だって、他人に迷惑を掛けているとも思ったことがない人で人にやられたことはしっかり覚えてるんですから。
ですから、他人に施されたことは絶対忘れないでくださいと長老も仰っていました。
そして最後の質問ですが、それはないです。
長老も仰っています、人生に意味なしと。
あなたを必要とする誰かや何かは妄想の結果であるとまず理解しなくてはいけないかもしれません。
私もそう思っていたことがありましたが、結局それは自分が偉そうに生きたいというだけなんだと今では思っています。
ちょっと想像したら分かります。
あなたの前に助けを求めてきた人があなたの助けを借りて「ありがとう」の一言も言わずに去って行ったら、どんな気持ちですか?
それではっきりあなたの悪感情が出るはずです。
なので、まずは自分がその悪感情にやられているんだと理解した方がいいと思います。
それから貪瞋癡を減らす訓練をしましょう。
人格向上を目指し、人と対立しない、自分の心を汚さない人間になることがあたなに関わるすべての人のためになります。
最後の一文は長老ご自身の言葉を引用したものです。
解決になりましたら幸いです。2024年12月06日 (金) 18時01分 No.6382