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生きとし生けるものが幸せでありますように。
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タイトルの通りですが、これについては在家の仏教徒としてはどのように振る舞うべきなのか。深く日本に染み付いている慣習なのでそれに従うのがベターだと感じてはいます。誰かに強制されているわけではないので、自由に振る舞えば良いのかもしれません。しかし、周囲の不謹慎などのムードによって、「あけましておめでとう」が言いづらいと感じる時がありました。ことしも石川県で起きた災害で多くの方が被害を受け困難な状況があります。生きとし生ける者が幸福でありますように、悩み苦しみがなくなりますようにと念じています。それと共に、本当は心のどこかで新しく迎えた2024年を祝福したい気持ちがあるのです。わざわざ口にすることで火種を放り込むようでおめでとうは心に閉まってあります。どのように解釈し、どのように振る舞うことが良いかアドバイスをいただきたいです。2024年01月12日 (金) 10時39分 No.5983
Re - 凡人門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
という歌を一休禅師が詠んだそうです。新年を迎えることはめでたいが、しかし、また一年また一年と冥土に近づいているわけです。
お釈迦様は、輪廻から解脱するしかない。輪廻は危険だと45年間説き続けました。神に生まれようが、人に生まれようが、新年、年末関係なく、「誰が明日の死を知るだろう?」とおしゃってます
また、「諸々の事象は過ぎ去るのである。怠ることなく修行を完成なさい」とご遺言なさいました。
仏弟子が心の底から喜べる機会は、新年でなく、解脱したとき、あるいは修行に集中する機会を得たときなのではないでしょうか?
と、いいつつ、ブッダがどれだけの切実さをもって、輪廻からの解脱を説き続けたのか?私もたいしてわかれません······。2024年01月25日 (木) 14時05分 No.5996