日本テーラワーダ仏教協会の質問&議論用の掲示板です。
投稿は個人情報を削除した上で編集しHPや協会機関誌等に転載する場合があります。
YouTube「日本テーラワーダ仏教協会事務局」チャンネルのQ&A動画で取り上げる場合もあります。
画面左上の検索フォームで過去の書き込みをキーワード検索できます。
投稿は管理人が内容を確認後に掲載します。不掲載の理由問合せにはお答えできません。
質問や相談にコメントする場合は"真理を守る"謙虚な姿勢を心がけましょう。
お問合せは、info@j-theravada.net まで。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
こちらの関連記事へ返信する場合は下のフォームに書いてください。
慈悲の瞑想の結果 - 匿名教えて下さい。
慈悲の瞑想の結果、自他共に環境が改善する事は経験したことがあるのですが、逆の事はあり得るでしょうか。
先日、慈悲の瞑想をした際にかなり深く念ずる事ができたのですが、その日以降、急に敵対する方が出て来て驚いています。現在でもその方に感情を乱されている状況なのですが、慈悲の瞑想の結果、このような事は起こり得るのでしょうか。2023年12月19日 (火) 16時10分 No.5962
原因と結果 - Tony思いもよらないような計り知れない色々な原因があって、次々と様々な現象が現れてくるのではないかなと思います。そのような状況になったのは、慈悲の瞑想の結果なのでしょうか?そこにちょっと疑問を感じてしまいました。
ある人を敵のように感じてしまうのはどうしてか、などを突き詰めていくと慈悲を無限に拡大するチャンスになりそうに思いました。
少しでもご参考になりましたら幸いです。
—-
怒りの無条件降伏
中部経典「ノコギリのたとえ」を読む
https://j-theravada.com/dhamma/sehonbunko/ikarinomujokenkofuku/8/
比丘たちよ、また、もし、凶悪な盗賊たちが、両側に柄のあるのこぎりで手足を切断しようとします。そのときでさえも、心を汚す者であるならば、彼は、私の教えの実践者ではありません。
—-
久しぶりに読んでみたのですが、厳しいな…と思いました。頑張りましょう!
生きとし生けるものが幸せでありますように2023年12月20日 (水) 23時05分 No.5966
瞑想のことは詳しくありませんが、想像した原因としては - test01ab前提として、「善人と悪人は相容れない」と経典にあったと思います。
経典によれば「慈は布施、護戒よりも功徳が大きい」とあったはずです。
慈を起こしたのであれば、匿名さんは、より善に近づいているのだと思います。
また、「世の中では、善人が少なくて、悪人が多い」と経典にあったと思います。
まとめますと、
慈によって、善の性質が高まったことで、悪人との差が広まり、
攻撃されるようになったのではないかと想像しました。
僕も、善になるようにつとめてますが、攻撃してくる人はいました。
4年ほど耐えたら(いくらかの対応はしましたが)、報いが起こったようで、
僕を取り巻く状況は改善しました。2023年12月20日 (水) 23時05分 No.5967
ありがとうございます。 - 匿名「ノコギリのたとえ」を見てかなり落ち着きました。ただ気になる事があるので教えて頂ければ幸いです。
私の感触ですが、慈悲の瞑想をすると確かに怒りは治りますが、一時的なものになります。頭の中に理不尽な事をされたイメージや未来にされるかもという妄想が湧いて怒りが再燃します。
そこで気になったのが、慈悲の瞑想とは怒りに対して対処療法のようなもので、最終的には智慧によって怒りを克服するのでしょうか。
または、常に慈悲の思いを巡らす事で徐々に怒りが湧かなくなるのでしょうか。
宜しくお願い致します。2024年01月12日 (金) 10時39分 No.5986
ヴィパッサナー瞑想 と 慈悲の瞑想 - Tony最終的には、智慧によって怒りが生じなくなるのだと思います。
無明に縁って、行が生じる、行に縁って、識が生じる…という『因縁の教え』から智慧によって無明を破れば、それ以降も生じなくなる。と考えられます。
ちょうど怒りと因縁についてスマナサーラ長老が解説されたページがありました!
「因縁」を見れば怒りも消える
https://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-068/
—-
[補足]
慈悲の瞑想については、
「仏教を実践するうえで土台となる心を育てる」とスマナサーラ長老が解説しておられました。さらに、慈・悲・喜・捨の『捨』は智慧に近いそうです。
「ヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。
〜中略〜
この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。」
慈悲の瞑想
https://j-theravada.com/world/metta/
「〜中略〜upekkhā と智慧はかなり近いのです。「Upekkhā が育つ」と「智慧が育つ」は同義語と言っていいほどです。」
Upekkhā ウペッカー:捨
https://j-theravada.com/world/keyword/keyword-18/#sect-4
『捨』と智慧について日常生活の例え話で語られており分かりやすく感じた動画です。こちらもご参考になれば幸いです。
ウペッカー(捨)という智慧 すべての生命には個性がある|スマナサーラ長老の切り抜き法話(初期仏教Q&A)
https://m.youtube.com/watch?v=W811uscHFQA
ヴィパッサナー瞑想と慈悲の瞑想について、「慈悲と智慧は仏教の二本柱と言えるほど、どちらも欠かせないものです」とスマナサーラ長老が書かれていたのを読みました。
個人的には、なるべく慈悲の瞑想で心を穏やかに保ちつつヴィパッサナー瞑想を進めるような感じでしょうか、以前と比べると徐々に怒りは少なくなっているように実感しています。
調べてみて私も勉強になりました。質問者様の疑問の解消のお役に立てれば幸いです。2024年01月12日 (金) 19時28分 No.5988