【広告】どきどきわくわくのAmazonプライムデー7月14日まで開催中

転転大陸 ~大陸をぶらぶらと~

お気づきの事など この掲示板に

名前
メール
題名
内容
文字色
URL
削除キー Cookie ON
[282] 霍去病の双子・衛青の子・中山靖王の子 /Name:将棋倒し

霍將軍妻一産二子,疑所為兄弟。……霍氏亦以前生為兄焉。
―『西京雜記』巻3 霍妻雙生

ここの「兄」って、霍嬗なんでしょうかね。

衛將軍青生子,或有獻騧馬者,乃命其子曰騧,字叔馬。其後改為登,字叔昇。
―同書 巻4 因獻命名

『史記』・『漢書』には名前だけ記録されていますので知り得ませんが、字に「叔」があるのを見たら本当に三男かも、って思います。

詔賜中山靖王子噲及孺子妾冰未央材人歌詩四篇。
―『漢書』巻30 芸文志

劉噲はここで名前が見えるのみで、爵位の記録はありません。



2017年09月05日 (火) 18時56分

レス(返信)
[283] 是正 /Name:将棋倒し

霍將軍云々の件は、霍去病じゃなく霍光でしたね。失礼いたしました。


2017年09月06日 (水) 17時24分

[288] /Name:G2

ご指摘ありがとうございます。
[280]の會宗と共に修正致しました。


私が調べた範囲では、『西京雑記』の内容自体が史実よりも小説寄りなので、『西京雑記』の血縁関係全てを否定するつもりは無いですが、今のところは霍氏、衛氏の部分は保留にしようと思います。
ただ、史記はまだ読んでいませんので、結果としては系図に載せるかも知れませんが…。

しかし、劉噲は系図に追加致しました。


2018年04月02日 (月) 01時50分



[281] 『漢書』呉浅・呉陽 /Name:将棋倒し

便頃侯吳淺:以父長沙王功侯,二千戶。
沅陵頃侯吳陽:以父長沙王功侯。
―『漢書』巻16

二人とも呉芮の子です。巻34に言及される「二人の庶子」です。


2017年09月05日 (火) 18時15分

レス(返信)
[287] /Name:G2

ご指摘ありがとうございます。
[280]の會宗と共に修正致しました。


2018年04月02日 (月) 01時48分



[279] 華キン・王沈の家系の補足 /Name:将棋倒し

1965年に発掘された華芳(華キンの末裔)に関する記録です。

これは墓誌に記録されている情報が膨大ですので、和訳が収録されているURLを変わりに記録いたします。華キンのみならず王沈の家系も共に記録されています。
(その中で、記録された「棗嵩の妻」の名前はこの墓誌によると王韶ですね)



2017年09月04日 (月) 23時00分

レス(返信)
[286] /Name:G2

墓誌というのは、貴重な資料だと実感させられます。
晋書の系図に新しく文粲と孫朝を追加しました。


2018年04月02日 (月) 01時48分



[271] 虞翻の弟 /Name:将棋倒し

有数頭男,皆如奴僕。伯安雖痴,諸児不及。観我所生,有児無子。伯安三男,阿思似父。思其両弟,有似人也。去日南遠,恐如甘蔗,近抄即薄。
―虞翻『与弟書』(『太平御覧』巻974に引用)

『與弟書』という名前から、なんと弟の存在が確認されます…-_-;
さて、「伯安」はいったい誰なんでしょうかね。


2016年06月16日 (木) 01時36分

レス(返信)
[275] 気になる伯安 /Name:G2

「伯安」と分かっているのに姓が分からないのはもどかしいですね。

二十五史の血縁関係を調べ終わってから他の資料を調べよう、との思いから、「太平御覧」や「資治通鑑」等に登場する人物の血縁関係はほとんど調べていないので、教えて頂いて感謝です。
(それ以前に、清史稿を調べるまでに私自身が生きているかどうかが不安だったりします…)


2017年07月14日 (金) 01時15分

[278] 伯安は… /Name:将棋倒し

「伯安」ってだれなのかな調べてみたら、他の人物も見つけました。

1.兄
『吳書』曰:翻少好學,有高氣。年十二,客有候其兄者,不過翻。
―『三国志』巻57虞翻伝 裴注

2.虞容(長子)
長子容當爲求婦。其父如此,誰肯嫁之者?造求小姓,足使生子。
―『與弟書』(『太平御覧』巻541に引用)

今考えてみましたら、とりあえず伯安は虞翻の息子に違いないと思われます。とにかく字なんでしょうけど、虞容と同じ人なのかな?

翻━━━伯安━┳━思(阿思)
       ┣━□
       ┗━□

伯安の家系はこのようではないかと思われます。


2017年09月04日 (月) 22時39分

[285] /Name:G2

虞翻の兄は、系図に入れました。
『與弟書』の容(伯安)は、おそらく虞翻の長男かな?とは思いますが、虞翻の四男、五男、六男、八男の字が世洪、世方、世龍、世文なので、もしかしたら虞翻の長男の字も「世■」の可能性もあるかも、という疑問が出てきましたので、
「翻━━━容━━━思」とするのはやめておこうかと思います。
(でも、虞翻のページの下には記載しました。)


2018年04月02日 (月) 01時44分



[277] 孫朗(後漢の司空)ㅜㅐ /Name:将棋倒し

『隷釈』に後漢の安平相・孫根(111~181)の碑文が収録されています。

府君諱根,字元石。司空公之伯子,楽安大守之兄子,漢陽大守侍御史之兄,乗氏令之考。
―『隷釈』巻10「安平相孫根碑」

孫根以外の全ての人物の名前が分からないのが残念ですが、本文の「司空公」は孫朗に違いありません(『後漢書』巻7参照)。孫朗については梁冀事件の連坐以外は史書から蒸発され手しまいますので、誠に興味深い資料だと思います。
また、碑文の孫根の字が「元石」であることから、もしかしたら「孫賓石(孫嵩)」の同族ではないかという考えも…


┏━朗━┳━根━━━□(乗氏令)
┃   ┃
┃   ┗━□(漢陽大守・侍御史)

┗━□(楽安大守)

おおむねこのようになるんでしょうね。


2017年09月04日 (月) 22時15分

レス(返信)
[284] /Name:G2

碑文の資料までは全然手の届かない私なので、有難い情報です。

「伯子」の二文字を見たとき、私は
●長男
●伯父の子
どちらを意味しているのか判断できる情報が私には無いので、
将棋倒しさんの書いてくれた系図でいこうと思います。


2018年04月02日 (月) 01時42分



[280] 『漢書』會宗 /Name:将棋倒し

會宗は會姓ではありません。王莽の子・王宗の旧名で、「王會宗」が正しいです。


2017年09月05日 (火) 18時06分

レス(返信)


[272] ご無沙汰しております /Name:山芽

水龍頭の山芽です、こんばんは。
このたびプロバイダーのホームページサービスが終了となり
9月29日頃サイト消滅の予定です、すみません。
ブログだけは残る予定なのですが
9/29以降はホームページはリンクエラーとなってしまいます
間際で申し訳ないですが・・・お知らせに参りました。

最近は中国へ行かれてますか?
私は本土へは2012年以降行けてないですが
上海ディズニーランドもできたことなので(^_^;)
来年以降に行ってみようかなぁと思ったり・・・

それではまた覗きに来ますね~



2016年09月22日 (木) 03時15分

レス(返信)
[276] お久しぶりです /Name:G2

…とは言え、レスが10ヶ月後というグウタラぶり…申し訳ないです。

(大昔に)留学から帰ってきてのち、上海と広州へは行きましたが、両方とも仕事でした。二泊三日程度のヤツです。
三国志好きの私としては内陸のほうがアツいので上海や広州はちょっと…物足りなさ過ぎる感じでした。(でも中国独特の”雑多”な感じは久々味わいました)

きっちり内陸部に行ける日数があれば、五丈原や街亭に行きたいなぁ…




2017年07月14日 (金) 01時35分



[270] 『曹子建集』に見える曹氏 /Name:将棋倒し

『曹子建集』に他の史料では見られない曹氏の人物が見えますので、紹介いたします。

1.曹苗(曹植の息子。曹志の兄かな、と思います)
詔書封臣息男苗為高陽郷公,志為穆郷公。
-巻八 封二子為公謝恩章

2.曹金瓠(曹植の長女)
金瓠,予之首女,雖未能言,固已授色知心矣。生十九旬而夭折,乃作此辭。
-巻九 金瓠哀辞

3.曹行女(曹植の娘)
行女生於季秋,而終於首夏。
-巻九 行女哀辞

4.曹喈(曹丕の息子)
曹喈,字仲雍,魏太子之中子也。三月而生,五月而亡。
-巻九 仲雍哀辞


2016年06月16日 (木) 00時51分

レス(返信)
[274] いつも… /Name:G2

いつも二十四史以外からの資料を示して頂き、ありがたい限りです。
今となっては正史の「系図調査員」になってしまった私ですが、元々は三国志好きなので、曹操の新たな子孫がいると知ると、やはり嬉しいです。


2017年07月14日 (金) 00時41分



[269] 『漢書』の厳延年 /Name:将棋倒し

前漢の河南太守・厳延年(酷吏伝。以下「厳次卿」)と、執金吾・厳延年(武五子伝。以下「厳長孫」)は別人です。理由としては…

1.字が違う(それぞれ次卿・長孫)
2.酷吏伝には厳次卿が執金吾を歴任したことも、また女が昌邑王に嫁いだことも書いていない

あいにく、酷吏伝・武五子伝ともに見える張敞はこの「二人」を共に知っていたらしいです。そうであるからこそ、張敞が「臣敞故知執金吾嚴延年字長孫」と、わざと字を言及した理由が分かれます。

厳長孫の存在は武五子伝以外に、『漢書』巻19の表にも見えます(地節三年)。ここには「執金吾延年」と、苗字は書いていないんですが、時期から見ると厳長孫と思われます。


2016年05月16日 (月) 19時15分

レス(返信)
[273] 一年越しですが… /Name:G2

ご指摘ありがとうございます。
字までしっかりチェックしないといけないと痛感する事しきり、です。



2017年07月13日 (木) 23時52分



[256] 楊炳(楊文宗)の祖先 /Name:将棋倒し

『晋書』巻93に、楊文宗が蓩亭侯を嗣いだと記録されていますが…

敷早卒,子衆,亦傳先業,以謁者僕射從獻帝入關,累遷御史中丞。及帝東還,夜走度河,衆率諸官屬步從至太陽,拜侍中。建安二年,追前功封蓩亭侯。―『後漢書』巻54

『後漢書』巻54に、楊敷(楊震の孫)の子・楊衆を蓩亭侯に封じたという記録が見えます。

つまり、残念ながら正確な代数は分かれませんが、楊炳は楊衆の末裔だということになります(孫~曾孫ぐらいなのかな、とは思います)。
また、楊駿なども全員、楊震の末裔だということにもなりますね。ただし、それ以前『晋書』に家門が4世に亘って三公になったという記録が見えますのである程度推定はできたんですけど…



2015年06月20日 (土) 13時30分

レス(返信)
[265] 官爵 /Name:G2

楊衆と楊文宗を一つの系図に組み込みました。
これまではそれ程官爵を気にしていなかったのですが、
官爵も重要な判断材料になるなと感心しました。
字や本貫は気にして見ていたのですが…



2016年01月04日 (月) 00時30分

[268] 追加 /Name:G2

晋書巻40に
『永寧初,詔曰:「舅氏失道,宗族隕墜,渭陽之思,孔懷感傷。其以■亭侯楊超為奉朝請、騎都尉,以慰蓼莪之思焉。」』とあるので、楊超も家系図の中に入れました。



2016年01月04日 (月) 01時17分





Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】どきどきわくわくのAmazonプライムデー7月14日まで開催中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板