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有騰兄冢,冢東有碑,題云:漢故潁川太守曹君墓,延熹九年卒。而不刊樹碑歲月。墳北有其元子熾冢,冢東有碑,題云:《漢故長水校尉曹君之碑》。歷大中大夫、司馬長史、待中,遷長水,年三十九卒,熹平六年造。熾弟胤冢,冢東有碑,題云:《漢謁者曹君之碑》,熹平六年立。城東有曹太祖舊宅,所在負郭對廛,側隍臨水。―酈道元、『水経注』巻23 陰溝水
ここには「潁川太守曹君」の諱は書いておりませんが、三國志・裴松之注に曹仁の父として潁川太守・曹褒が記録されていること、また、ここの「潁川太守曹君」の息子として(裴注に曹仁の父として記録されている)曹熾が見えることから、潁川太守曹君=曹褒だということが分かれます。 字が確認できないということが誠に残念ですが、とにかく曹褒が曹伯興・曹仲興・曹叔興の中の誰かだということは確かなんでしょう。 家系図にそのまま曹萌の子としてつなぐことは易しくはなかろうと思いますが、少なくとも注釈でも記録できれば、と思います。
ちなみに、この記録から曹胤(曹熾の弟)の存在も確認できます。
2015年06月20日 (土) 20時50分
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