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[46] 投稿者:副管理人・山 - リクエスト。


さっき、TAKA−HEROとも電話で話してたんやけど、本日、14時16分をもって、祖父が他界しました。
こんなことをここに書くべきじゃないのかもしれないけど、最近の「自分」を出せている場の一つとして利用させてもらいます。
僕が祖父と最後に会ったのはお正月です。それから、病院に入院し、見舞いに行くチャンスは何度でもあったのにいっていなかった自分は今、後悔の念でいっぱいです。
何のとりえも無い孫やけど、胸張って言える事はある。
遊びや趣味に長けている「自分」があり、そんな僕を愛して支えてくれる友人たちがいること。
で、何も祖父にしてやれなかった僕から今更ではあるけど、自己満足的であるけど、レクイエムてのを捧げたいと思う。よくわからんけど、自分にできることなんてホンマに些細なことしかなく、葬儀の手伝い程度です。それだけじゃやりきれません。洋楽なんてもちろん聞かない祖父やけど、孫の愛している趣味を今更やけど、見せてあげたいです。
もしよければ、TAKA−HEROはじめ、友人一同、K−KOさん、その他訪れた方々にリクエストします。

僕個人から祖父に捧げる曲は、
Eric ClaptonのTears In Heavenです。

数日前に祖父が残してくれた言葉は、「夫婦、家族、親戚と仲良ぉして、強く生きやぁ。」だったそうです。誰もがなぜそんなことを言うのかわかりませんでしたが、本人はわかっていたのでしょうか。享年79歳でした。

ホンマに気が向いたらでええんで、思いついたら、曲を出してください。こんなことぐらいしか思いつかないんで。

2002年04月10日 (水) 02時42分

[48] 投稿者:TAKA-HERO(Web-Master) -


祖父、改め『ホフ・ディラン』の「遠距離恋愛は続く」「極楽はどこだ」「欲望」なんてどぅ?

おじいちゃんとの、とてつもなく長い遠距離すぎる恋愛?は続くよ。 山っち。あんたは、そこに近付かんように。勝手に、近付かづいてくよ。

「極楽」は、もうそこだよ。おじいちゃん。

おじいちゃんに逢いたい。それが「欲望」ってもんだよ。

2002年04月10日 (水) 03時17分

[49] 投稿者:k-ko - i am sorry


私は意識のある内に身近な人が亡くなったことはなくて、
高校生の時に友達のお父さんが亡くなったのが
初めて私の中で、死を感じた時でした。

お通夜に参列して、私の順番になった時、
正座して参列者に挨拶をしていたその友達が
私の顔を見るなり私の名前を呼んで泣き出したの。
もう悲しいしどうすればいいのかわからなくて
結局何にもしてあげられなかった。

でも、どんな風に人の死に向かい合う時でも
後悔は生まれてしまうのだと思うよ。
これからでも、遅くないと思うよ!
色んな形でおじいちゃん孝行できるよ。

ホフつながりではk-koはユウヒーズの"愛のすべて"を。
(遠距離〜はきらいだよ!続かなかったもん)
もう一曲はDes'reeの"god only knows"を!

2002年04月10日 (水) 23時51分

[50] 投稿者:泉北代表 -


そうか、俺も身内の死はまだ経験してないからいざその時の状況を想像してもいまいち実感ないな。
けど、いずれは訪れることやからたまに考えたりはしてるけどな。
悲しみを乗り越えてこそ人は大きくなっていくものだと俺は思います。
そういう悲しみを乗り越えてない俺はまだまだちっちゃな人間だってことよ。
THE HIGH−LOWSの曲の歌詞にこんなのがあります
死んだ人よりも  可能性がある
なぜならオレは生きてるからだ
人を誉めるのは生きてるうちに
恋をするのなら生きてるうちに
きっと亡くなられた祖父もこれからの山の活躍を期待していることでしょう。
山の祖父のご冥福をお祈りいたします。

2002年04月11日 (木) 01時36分

[51] 投稿者:副管理人・山 -


今、自宅に帰りました。忙しかった。見舞いもしてやれてないから、通夜は朝まで交代しつつ、お線香の番をしました。僕は男孫の一番目にあたるわけで、色々と21年間かわいがってもらった記憶がめちゃあるわけです。遅いけど恩返しとして葬儀にできるだけ送り手として参加しました。
驚いたことがあったので、ここに記します。長いので軽く読んでください。

4月9日、僕が祖父の危篤の一報を聞いてから30分後に祖父は他界し、僕は祖父の死に目に会えませんでした。
病室に着くと、祖父の子供、つまり、叔父と叔母がいました。僕は弟と従兄弟とで病室に入り、遺体の傍に立ちました。祖父の顔にかけられた白い布を僕はとりました。とても怖かった。生き物感がない顔でした。表情からは苦しみは感じられず、綺麗な顔だったのですが、何か人形のような感じがして死のリアリティーがなかったのです。

バリバリの会社員である父は、その30分後に到着しました。危篤の情報しか伝えられていなかった父は、祖父の姿を見て、ため息を一つついていました。21年間で初めて、父の涙するところを見ました。

その日の僕は悲しみはあったものの、涙がありませんでした。現実として受け入れ難かったからです。泣けない自分が少し嫌でした。「俺はあんだけ世話なったのに涙なしか。」と。

次の日、通夜の会場である地域会館へ出棺する際、故人に持たせる物を棺に入れてました。最近は、不燃物・金属等はいけないらしく、メガネだけ例外として認めてもらいました。
僕は考えました。祖父はこまめな人で、生前、たくさんのメモ書きをしていたのを憶えてました。僕はノートと鉛筆を棺に入れることにしました。そして、補聴器の代わりに耳掻きも入れてやりました。
流石に僕も冷たくなった祖父を触りながら、品物を入れてると、涙が止まりませんでした。現実に直面しました。通夜の夜は会館で過ごすので、祖父にとって最後の我が家だったからです。「もう居なくなる」という現実です。

通夜の夜、歳の近い従兄弟4人でお線香の番をしていました。深夜3時過ぎのことです。僕は前もって、TAKA−HEROに通夜には読み物があるほうがいいと聞いていたので、30冊くらいの漫画を持ってきて、皆で読んで番をしてました。
僕は前の日からの疲れのため、漫画を読んだまま、恐らく目もつぶらずに1〜2分寝ていました。というより、精神がトんでいました。

そのときです。僕の右側に従兄弟たち以外の気配を感じました。そして、言葉を聞きました。「知くん、あと頼むなぁ。ほな、逝ってくるわな〜。」と。
生まれてから霊感など全くない僕なので、それが夢だったのかもしれませんが、僕にはかなりはっきりと聞こえ、感じられたので、やっぱり声をかけてくれたんやと思います。
とても驚き、周りに居る従兄弟にそのことを伝えました。

この奇跡的な出来事が起こったとき、僕はあなた方(TAKA−HERO、K−KO、泉北代表)のこの文章を身に染みて理解できました。

「おじいちゃんとの、とてつもなく長い遠距離すぎる恋愛?は続くよ。」
「これからでも、遅くないと思うよ!いろんな形でおじいちゃん孝行できるよ。」
「悲しみを乗り越えてこそ人は大きくなっていくものだと俺は思います。」

ありがとう!!

2002年04月11日 (木) 23時48分

[54] 投稿者:TAKA-HERO(Web-Master) - 逝きますかぁ???


最後の『ありがと〜』ってとこ猪木っぽくて面白い。
流石、重い話でも、我々の心を沈ませないノット・タイタニックなトーク展開は有無も云わせない。
笑いの神様と呼ばれるだけR(あ〜る)。

それでは、世界の平和を込めまして

い〜ち!!!

に〜!!!

さん!!!

http://www.inokiism.com/

↑「ダァ〜ッ」って言いながらクリックしよう。

2002年04月12日 (金) 05時42分



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