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[4184]輪っか - 投稿者:さき
その「輪っか」は、いつも閉じているものだと思っていた。 私と、私に良く似た誰か。あるいは私に良く似た誰か×2。閉じるのは3人が限界。4人ではもう閉じられない。 でも一方で、私は「輪っか」が閉じていないこともちゃんと知っていた。 私は一人っ子で、父と母との3人家族だった。しかし、私が小学生のころ、父はホストになり、店を持たせてやると騙されたあげく、肝臓を悪くして、私が高校生のときからは、もう家から一歩も出なくなった。そのころ、母は、勤めていた会社で千葉に住む男と八王子に住む男を天秤にかけたあげく(話を聞く限りどっちもダメ男だったけれど)、八王子のほうを選んで家を出て行った。 私たちの「輪っか」はいつの間にか閉じるのをやめていた。 でも、私は「輪っか」を閉じたかった。 小さい頃から、特定の友達ができず、かといって仲間はずれにされるわけでもなく、何となく、そういう人間が集まって仕方なくできたような無難なグループに属していた自分にとって、「輪っか」を持つ人は羨ましい存在だった。 特定の誰かと、ずっと一緒にいること。 他の誰かが入ってきたり、自分が他の誰かのところへ行ったりすることは決してない、二人以上三人以下の世界。 性別は男でも女でもいい。私の「輪っか」は恋愛とは違うからだ。だから、もしも男なら、私によこしまな感情を抱くような人はだめ。逆に私がそうなるのもだめ。 それなら「輪っか」のなかで何をするのか、といえば、私の答えは決まっている。 はなし。 どちらもが話をしてどちらもが話を聞く。かいわ、ともいう。 どちらかが一方的に話をしたり、聞いたりするのはだめ。あくまでバランスが大事。 話が、したい。 たとえそれが一生分の時間分の何秒にしかならない短い話し合いだとしても、一日の何分でも何時間でも何十時間でも、場合によっては何日でもいい。とにかく話がしたい。 他愛もない話で、私たちの「輪っか」を閉じていたい。 毎日のように、目の前の誰かに、そう語りかけるのに。 私に良く似た誰か、は「輪っか」を開けてしまう。 母親は男のもとへ。親友は彼氏のもとへ。 違う誰かのところへ去り、後には作り笑いで見送る私と、元私に良く似た誰かだけが残る。私は、どこへも行かないのに。どこへも行きたくないのに。 あなたにとって、「輪っか」はなんですか。 あなたにとって、「わたし」はなんですか。 本当は、「輪っか」なんてどうでもいい。ひとりになりたくない。 きみと、はなしが、したい。
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2009年04月06日 (月) 23時04分 )
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- RES -
[4185] - 投稿者:みらいすもも
輪っかってなんだろう?って読んでいると、 ああこれは!って思ってしまいました。親友と呼べる友達もなく、いまだに輪っかが閉じていたことはないなーと。自分のせいなんでしょうけど、どうやったら輪っかの中で友達ができるんだろう?って、いまごろになって小学生みたいなこと考えてしまいます。
輪っかの微妙なニュアンスがよく表現されていて、そうそんな「輪っか」に入りたかった。って感じました。
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URL
2009年05月13日 (水) 11時35分 )
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