|
小学5年の夏休み明けの2学期から「八分」(村八分の意味で、今で言うところのイジメ)になった。 中学を卒業するまで「八分」は続いた。 自らを守るために僕は自分だけの世界に閉じ籠もった。 教科書と言わずノートと言わず余白は全て漫画や絵で埋め尽くされていった。 描くべき余白がなくなれば地面に枝切れで絵を描いていた。 絵という自己の世界の中ではスーパーマンにも英雄にもなれた。 時にはいじめっ子の似顔絵を地面に描き、石をぶつけたりもした。
自由になりたい。一人だけで生きていきたい。 当時そんなことを思いながら学校と家を往復していた。 中学3年の時のY担任は美術科教員であった。 進路指導の際にY先生は、僕に「絵描きを目指せ。絵描きは良いぞ、一人だけで生きていけるぞ。」とそそのかした(笑)
幾露星。 それから既に40年が過ぎた。
自由でありたいと願っている間は自由は決して訪れないことも分かってきた。 自由を願うにはそれに匹敵するだけのエネルギーが要ることも分かってきた。 自由の対極にあったと思える不自由は、実は表裏の関係であることも分かってきた。 それでもなお、僕は自由という夢を見続けたいと願っている。 自由が、最も責任が付きまとう立場だとしても・・・。
|