大晦日にやらなくなったことはひとつ前進だと前に書いた。でも結局、「大賞を決める→勝ち負けをつけられるのが嫌なアーティストは辞退する」「一部のレコード会社が影響力を持つ→どうせ勝てないと他のアーティストが辞退する」この構図が変わらない限りは「MステSP」と「FNS歌謡祭」を抜くことはできない。
どうすれば「M−1」のように賞が決まる瞬間にドキドキできるか。それにはやっぱり多くの人が納得するキャスティングができないとまず話にならない。そして、評価が妥当でなければならない。
ただ、そもそも根本には、「音楽にはジャンルがある」ということだ。つまり、音楽という同じ土俵で戦っているように見えて、実際は別の土俵の人たちと戦っている。JリーグのMVPやベストイレブンというのは決めやすいが、全部の「スポーツ」ひっくるめて一番を決めるのが難しいのと同じくらい、無謀なことなんじゃないだろうか。
趣味・嗜好は人それぞれ、それでも一番を決めるにはどうしたらいいか。
売り上げ枚数?今は音楽配信のせいでこれも万能な指標とは言えない。審査員?結局はお年寄りたちの話し合いに過ぎない。アンケート投票?申し訳ないがそんなものはまともに信じられない。
そうなると、もう「この1年間の世の中の空気を読む」しかないんじゃないだろうか。
たとえば、
新人賞・・・GReeeN『愛唄』
レコード大賞・・・秋川雅史『千の風になって』(発表は昨年だが)
だったとしたら、少しは納得がいくんじゃないだろうか?
そして、大前提として、「エントリーの辞退は禁止」「当日、授賞式に来なくてもOK」この2つを認めていかない限り、本当に価値ある賞はならないだろう。
今年も相変わらず、「曲の賞」ではなく「アーティストの賞」になっている。これはtrfが受賞した年からずっと続いている傾向なのだが、相変わらず「楽曲の良さ」を称えたいのか「アーティストの頑張り」を評価したいのかも分からない、曖昧なお飾りに過ぎなかった。
そういったぬるい空気があるからこそ、スイッチングや進行、尺計算に至るまでミスがOA中に頻発するのである。コブクロの歌い終わりから逆算し、境正章のコメント秒数を足して「確定」までのカウントダウンで尺読みをしたら、そりゃあエビちゃんは慌ててインタビューを遮ってしまう。曲中に境正章の〆コメと縮めることはできるわけだから、エビちゃんには「一応尺を読むけど少し押してもいいよ」と伝えてあげてないといけなかった。おかげでエビちゃんが「KYなカワイソウな子」になってしまった。エビちゃんのせいでもマチャアキのせいでもない。スタッフのせいだ。
同じドラマをやってもCXが強いとか、同じスポーツをやっていてもテレ朝が強いとかあるけど、少なくともTBSにはCDTVで培った人脈と情報量があるにもかかわらず、それを年末に一気にぶち壊すようなことを、毎年しているようにしか思えない。
また一歩前進したければ、一番手っ取り早いのは金賞にw-indsを選ばないことと、新人賞はどうせ審査員のお年寄りたちには分からないんだったら単純に演歌とポップスに分けて売り上げでそれぞれ1組と3組を選ぶこと。それっきゃないんじゃない?