ひとつ、勘違いしてはいけないことがある。
「著しく音楽のレベルが下がったのではなく、究極的に選考のレベルが下がっただけ」
もし候補曲に「純恋歌」や「しるし」が入っていたら?
確かに90年〜93年の受賞曲はすさまじい。ただ、それは選考が妥当だったからそう感じるだけであって、trfの大賞以来、なんとなく「曲の大賞」から「ここ数年頑張ったアーティスト賞」に変わってしまい、その選考の不可解さが今日まで来てしまっているように感じる。今回の氷川きよしだって、「辞退しなかったアーティストの中でここ数年頑張ったアーティスト賞」といったほうがしっくり来る。金賞のほとんどのアーティストが、昔なつかしの「だれやねん」のコーナーであり、むしろ当時「だれやねん」のコーナーで扱われたアーティストのほうが今や有名になっている。
兎に角、こんなしょぼい選考会ひとつで音楽自体が貶められるのはとても残念だ。
今年のM−1グランプリが「真剣勝負の中の妥当な結果」だっただけに余計にそう感じられるのかもしれない。
名ばかりの賞は、後世に何も残らないし、語り継がれることはないだろう。現状、音楽界最高の名誉は、「年間CD売り上げランキング1位」になり、後世もことあるごとにその年の1位として各局のテレビで取り上げられることなんだと思う。
それが一番、アーティストにとってオイシイのではないだろうか。