「代休」という名の風邪による病欠。
これを機に、やっぱり「観せる」作品に関するコラムを書いていこうかと。正直なところ、
「レイソルが勝ったとかポルトガルのサッカー選手とかどうでもいいでしょ?」
本日のテーマは、「『容疑者・室井慎次』の最後の空港のシーンは要らない」。
いくつか理由はあるのだけれど、一番大きな理由は、「青島が見送りに来ないことの不自然さ、むなしさを増長させてしまう」ということ。
あの映画の象徴的なシーンが「新宿北署を出るシーン」なのだから、新宿北署の外で話を終わらせれば良かったものの、わざわざ空港のシーンがある。いくら仕事があるとはいえ、青島が空港に来ないのは不自然。確かに、室井さんが機内に消えるところまでは表現していないので、「このあと青島来ましたよ」という逃げ方はできるのだが、わざわざ田中麗奈と最後の会話をするために空港をセッティングるする必要はなかった(それもたいした会話じゃなかったし)。
他にも理由はいくつかある。あのシーンがあることによって、筧利夫の「広島に飛ばした優しさ」が、「あぁ・・・、ホントに行かされるんだ・・・」と“マジ”“リアル”になってしまう、という点。また、大きな事件があった後に続編で室井さんを本庁に戻す理由が作りにくい点などが挙げられる(何らかの理由で広島には行かないことになった、ということができなくなってしまうため)。
真下映画でもそうだったように、事件があったその喧騒と安堵が交わるその場所で終わる、というセオリーに則っても良かったんじゃないかと。
なぜ、新宿北署で終わらなかったのか、と。