ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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[717] 2025/01/06/(Mon)17:10:32
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(17)
本文   ※追記更新 25/01/07 19:43

ドストエフスキーの小説においては、登場人物の心の葛藤を描いていく中で物語の筋(すじ)が展開していく。

そのことを、作家の伊藤整氏は次のように適格に指摘している。

ドストエフスキイの小説においては、人間の心が善から悪にかわり、悪から善にかわる、というその変化と心の戦いのあいだに筋が進行する。それは古い小説においての、善人と悪人がたがいに相手を打ち負かそうとして戦いあう、というあつかいと同質のものである。つまり、古い小説では、善玉と悪玉の対立で物語が書かれたが、新しい小説では人間の心の中の、愛情や我欲の対立と変化を描くことが小説だというふうに考え方も書き方も変(かわ)って来たのである。
[伊藤整著『文学入門』(光文社1954年初版)より。]


従来の物語は、人物が、善玉と悪玉に分かれていて、その争いや戦いで物語が進んでいくが、ドストエフスキーの小説の場合は、個人の内面の善と悪が争い変化していって、個人の内面劇になっているという指摘は実に鋭い。

ドストエフスキー自身も、そのことを、

・わたしは、人間のたましいの奥底をあますところなく描き出しているのだ。
 (「メモ・ノート」より。)
・神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。
(『カラマーゾフの兄弟』の長男ドミートリイの言葉。)

と述べている。
  

      
     
[716] 2025/01/02/(Thu)17:30:34
名前 Seigo
タイトル <幸福になりなさい――そうすれば、あなたは、立派になれるし、成功できるし、健康にもなれる。そして、他人に対しても、もっとやさしく感じ、やさしくふるまうことができるようになる。 > マックスウェル・マルツ(アメリカの美容外科医)
本文 佐藤さん、
新年早々(そうそう)から、投稿、どうも。

佐藤さんらしいドストエフスキーとドストエフスキー論者の言葉の引用と気の利(き)いた問題提起で、善行・救済・幸福・奇跡・信仰・自己犠牲のこと等、いろいろと考えさせられました。ありがとうございます。

ページ内の更新し投稿した記事に対して気付きなどがあれば、また、いつでも、投稿してみて下さい。今年もよろしく!
       
[715] 2025/01/01/(Wed)22:53:11
名前 佐藤
タイトル <現実主義者にあっては、信仰が奇蹟から生まれるのではなく、奇蹟が信仰から生まれるのである> カラマーゾフの兄弟
本文 Seigoさん

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

かねてより気になっていたのですが、ドストエフスキーについての評論について、白眉とも思える大変優れた書物について紹介させていただきます。
それは、作田啓一著 <ドストエフスキーの世界> 筑摩書房です。
Seigoさんもたぶんお持ちだと思います。

気になっているのは次の箇所です。359Pの以下の記述です。
<ゾシマの思想に従えば、人が天上から地上へ降りてくる時に、「実行的な愛」をたずさえてくるのである。「実行的な愛」は地上から天上へゆくための切符ではない。ここで通りすがりに一言付け加えよう。いくつかの世界宗教の教義を解釈する人びとの中には、善行は必ずしも救済の条件ではない、という主張が時として見いだされる。ゾシマ=ドストエフスキーの主張もそれである。善行は救済の結果であって、条件ではない。>

私も大変気になっていることですが、そもそも信仰の目的は何かということです。自分が救われたいから信仰するというのはもっともなことでしょうが、しかし、そのことだけに執着するとどんな結果になるのか、気になる所です。

本当の救いはそこから逸脱した、他者が救われるのなら、自分はどうなってもよいという自己犠牲の実践にあるのではと思います。
他者のために良い行いをするのは、自分が救われたいからということではなく、自分が救われている結果なのである。という解釈が大切なのかと気付されましたよ。
もっとも気付ただけではだめで、実行しなければね!! 
[714] 2025/01/01/(Wed)07:44:28
名前 Seigo
タイトル 謹賀新年
本文    謹賀新年

     今年もよろしく!
     
[713] 2024/12/31/(Tue)20:01:21
名前 Seigo
タイトル ★グッバイ2024年 ― おかげさまで、今年もお世話になりました。
本文 皆さま、今年も、ページへの来訪、ボードへの投稿、ありがとうございました。感謝します。

今年は、ドストエフスキーの教えを、あらためていろいろと確認しました。大事な教えが数多くあり、今後、自分の生き方において生かしていきたいです。

おかげさまで、来年度も、引き続いて、ページの更新や投稿など、ページの運営を行(おこな)っていけそうです。

良き新年を迎えて下さい。
     
[712] 2024/12/30/(Mon)17:10:16
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (15)
本文   ※追記更新:24/12/31 10:26
      
  『イケ親爺の正夢』
     ←『伯父様の夢』
    (ペテルブルグに帰還する9ヶ月前のセ
     ミパラチンスクで服役していた59年
     3月に雑誌「ロシアの言葉」に発表さ
     れた復帰後の第一作目の長編小説。
     耄碌(もうろく)している大金持ちの
     老公爵(=伯父様)の争奪戦を面白お
     かしく描いている。)

イケ親爺(おやじ)になる正夢(まさゆみ)を繰り返し見て、耄碌(もうろく)親爺でなく、ますますイケ親爺になっていくイケイケ親爺の物語。
   
[711] 2024/12/28/(Sat)14:07:35
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (14)
本文   
  『他人の妻とベッドでして追っ手』
     ←『他人の妻とベッドの下の夫』
    (シベリア流刑になる年の前年の1848年に
    「祖国雑誌」に発表された中編小説。
     妻の浮気を突き止めようとした亭主(寝
     取られ亭主)と妻に裏切られた妻の愛人
     たちのひょんなかち合わせとそのやりと
     りを面白おかしく描いている。)

他人の妻達と次々と不倫を重ねて、その夫達が放った追っ手に幾重(いくえ)にも付きまとわれている妻達と男の堂々回(めぐ)りの物語。
  
[710] 2024/12/25/(Wed)19:43:05
名前 Seigo
タイトル ★Stop Putin & netanyahu Stop War (20)★、ドストエフスキーの社会主義者(共産主義者)批判
本文    
「ああした気違いじみた社会主義者や共産主義者が、それと同時にそろいもそろって、とても信じられないほどにけちんぼで、金儲け主義で、欲ばりなのは、あれはいったいなぜだろうね?」
(『悪霊』のステパン氏の言葉。)


ドスト氏は、社会主義の立場の本質を鋭く洞察し( → こちらなど)、成立した社会主義国家の行く末を鋭く予言し警告していた( → こちらなど)。そして、同時に、上のように、社会主義者や共産主義者に見られる人間性を鋭く批判していた。

ドスト氏は最初は空想的社会主義の気味がある秘密結社の会に参加して捕らえられ流刑となってからは、転向のような形で宗教の方に傾いていったが、流刑を終えてからは、国内外で新たな社会主義者たち(チェルヌフスキーやゲルチェンやバクーニンら)の著作を読み演説などを聞き彼らに実際に接していくなかで上で言っているような彼らのケチで欲張りな根性までも見抜いていたのだった。


このことは、権力に固執する自己保身と領土拡大の野心にまみれた今のロシアの社会主義の大統領プーチン氏にも見られるのではないかと思わざるを得ない。

アメリカのトランプ氏の登場で来年はロシアとウクライナの戦争の動向も変わっていくだろうが、プーチン氏は、本来の社会主義の精神、自分の初心に立ち戻り、ウクライナ侵攻を平和的に終結させていってほしいと思う。
   
[709] 2024/12/23/(Mon)17:45:58
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (13)
本文   
  『罠(わな)』
     ←『鰐(わに)
    (『地下室の手記』を発表した年の翌年の
     65年3月にドストエフスキー編集の雑誌
    「世紀」に発表された中編小説。
     店の見世物だった鰐(わに)に夫が呑(の)
     まれて夫が鰐の中から世間批評をつぶや
     く騒動を描いている。)

矢庭(やにわ)に相手に罠(わな)にはめられた男が続いて逆に相手を罠にはめ、引き続いてまた相互に罠にはめられ続けるという飲み込みの遅い人を食った多弁の男達の物語。
(語注: ・矢庭に=いきなり。)
   
  
    
[708] 2024/12/21/(Sat)09:24:43
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (12)
本文    
  『ネットにチカラをいれ
   て寝ずにいるのはよくないわ』
     ←『ネートチカ・ネズワーノワ
    (『貧しき人びと』を発表した年(46年)
     の6月に起稿し49年1月・2月・5月に
     「祖国雑誌」に発表されたが、同年4月
     以降のドストエフスキーの逮捕・収監
     ・流刑によって続きの発表は中断され、
     その後も完成に至らず、未完の小説と
     なった。
     若い女性「わたし(ネートチカ)」が自
     分の少女時代のことを回想して語る長
     編小説。

ネットの昔懐かしい曲の映像の鑑賞にふけって夜更かしを続ける若い後家(ごけ)有閑マダムが昼寝とレズばかりして健康を壊す物語。
    




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