[682] 2024/10/18/(Fri)07:23:41
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名前 |
Seigo
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タイトル |
ゾシマ長老の教え(5) ― 愛を伴う謙抑のこと |
本文 |
『カラ兄弟』においては、アリョーシャが編んだゾシマ長老の教説の箇所にあらためて注目したい。
ゾシマ長老の説く教えについては、罪の自覚の教えやゆるしの教えや克己の教えと並んで、愛の実践の教えが中心になると思うが、ゾシマ長老の愛について独自に述べた次の言葉は私にはいまだ気になっている。
愛をともなう謙抑は恐ろしい力である。あらゆる力の中でも最も強いもので、他にその比がないくらいである。 (語注: ・謙抑=謙虚で控え目であること。) (『カラマーゾフの兄弟』の第6編第3のゾシマ長老の言葉。)
ゾシマ長老が言う「あらゆる力の中でも最も強いもの」としての「愛をともなう謙抑」は、私には、傲慢な愛ということなどと比較することでなんとなくわかるような気がするが、完全にはわからないところもある。
マハトマ・ガンジー氏も、 愛はこの世でもっとも効果的な力だ。にもかかわらずもっとも謙虚である。 と似たようなことを述べているが、成し遂げていく力となるというよりも、控え目で目立たないながら相手へのその込めた愛の真心が相手を感動させていくということなのだろうか。
なお、 『新約聖書』の「コリントの信徒への手紙」に、 愛は自慢せず、高ぶらない。 (第13章より。) とあり、ドストエフスキー独自の考えというよりも、キリスト教の愛の考えからの影響があるようにも思う。
ともかくも、力としての大事な愛の形を述べている言葉だと思うので、今後、この言葉に対する理解をもっと深めていけたらと思う。
 [この分厚(ぶあつ)い一巻本の河出書房カラー版世界文学全集第18巻『カラマーゾフの兄弟』(米川正夫訳)は昔、古本で入手してこれまで繰り返し読んできた。ゾシマ長老の教説の章では自分は下線をやたら引いているがゾシマ長老のいくつかの教えには自分は感銘を受けてきたのでした。] |
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