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[726] 2025/01/29/(Wed)17:31:16
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (23) |
| 本文 |
※追記更新 25/01/29 20:46
『けったいな小説からパクっ た爆笑小説のプラン』 ←『現代生活から取っ た暴露小説のプラン』 (77年5月に「作家の日記」に掲 載された短編。 ある男の匿名での悪口の投書を 今後の創作の参考にしていきた いことをわたしが語っている。)
いくつかのけったいな小説の部分部分を誰にもわからないようにパクって爆笑の小説にしようと企(たくら)む男の創作活動の物語。
※、今回にて、ドストエフスキーの全小説(全35作)の一通りのパロりを完遂! 短編のぶんは、そのつど読み直せました。
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[725] 2025/01/27/(Mon)18:12:27
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (22) |
| 本文 |
『食い違う噂話』 ← 『九通の手紙からなる小説』 (『貧しき人びと』を完成した半 年後の45年11月に一晩で書き 上げた。その1年後に「現代 人」に掲載された。 似通った名前の二人の紳士が、 用件があってお互いに会おうと するもいつも行き違いになり、 そのことをそのつど伝え合う9 通の書簡で成り立っている書簡 体の長めの短編小説。)
人の噂話を聞き、それを人に話すのが好きな男が、その噂話が巡(めぐ)り巡(めぐ)ってその男のもとに帰ってきた時に、その聞いた噂話が、最初に聞いた時の内容とは食い違っていたという話。
 [『九通の手紙からなる小説』を所収。] |
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[724] 2025/01/25/(Sat)16:05:41
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の内容の逆説性のこと |
| 本文 |
※追記更新 25/01/29 17:53
ドストエフスキーの作品の内容として、逆説があちこちに見られる[ → こちら]という野中涼氏の指摘は、興味深いものがある。
野中氏の言う「逆説」とはどういった内容を指して言っているのか、あらためて考えてみると、作中のある一つの立場や内容に対して、それと対立する、対照となる立場や内容が設けられていて、作者のドスト氏は、その一方のみを強調・称揚するのでなく、双方の存在を提示していて、読者は、その双方にそれぞれ長所短所があることを考えさせられていくということではないかと思う。
たとえば、 ・『カラ兄弟』の大審問官の章の大審問官の立場とキリストの立場(イヴァンの立場とゾシマ長老・アリョーシャの立場) ・『罪と罰』におけるラスコーリニコフの立場とソーニャの立場 ・『永遠の夫』における妻を寝取られたトルソツキーの、寝取ったヴェリチャニ―ノフに対する憎しみと和解を求める心、 などが挙げられるだろう。
この逆説性ということは、ドスト氏の作品や思想は、問題の解決ということよりも、問題の提起を行(おこな)っているということの一つの現れだと言えるだろう。

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[723] 2025/01/22/(Wed)19:59:54
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (21) |
| 本文 |
『びっくりしました銀婚式』 ←『クリスマスと結婚式』 (シベリア流刑になる前年の48年9月に 「祖国雑誌」に発表した短編。 クリスマスのパーティに招かれて金 持ちの商人夫婦の娘に目を付けた中 年の紳士がその娘に付く持参金を胸 算用して、その五年後に見事その娘 を花嫁にして結婚式を挙げた 結婚当初はシックリいっていなくて口喧嘩ばかりしていた旧友の夫婦が、久しぶりに会った銀婚式では仲睦(むつ)まじくしていたのには、びっくりしましたという話。 |
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[722] 2025/01/19/(Sun)17:51:31
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (20) |
| 本文 |
『チーママの栄誉』 ←『小さな英雄』 (獄中にいた時に書いた『初恋』に セミパランチスク服役中に手を加 えて成った中編小説。 訪れた田園の村里で不倫をしてい る婦人にひそかに恋い焦がれる少 年のことを描いている。)
お店のチーママが、一念発起して、その手作りの栄養たっぷりのおつまみと若い者殺しのお色気でお店の繁昌への貢献の栄誉を勝ち取る話。 |
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[721] 2025/01/15/(Wed)17:31:09
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (19) |
| 本文 |
『キリストのユルキャラに甘やかされし少年』 ←『キリストのヨルカに召されし少年』 (76年1月に「作家の日記」に掲載さ れた短編。 クリスマスの夜に孤児となって街を さまよい行き倒れて死の眠りに落ち た少年が天でキリストの元に召され たという話。)
クリスマスの日に思わぬ不慮の事故で昇天した気弱な少年が生前の家族の信仰の篤(あつ)さによって天国のキリストの元に召されたがキリストのユルキャラ(許キャラ)によりさらに甘やかされて脆弱(ぜいじゃく)な少年のままで終わったという話。  |
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[720] 2025/01/13/(Mon)16:03:21
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (18) |
| 本文 |
『今際(いまわ)C調の話』 ←『いまわしい話』 (『死の家の記録』の連載が終わ った年の翌年の62年12月に兄ミ ハイルと共同で編集の雑誌「時 代」に発表された中編小説。 上司の宴会で飲んで酔った帰り に同僚の結婚式に飛び入りで出 席してその席上で失態をおかし て式が台無しになってしまう話。)
忘年会の今際(いまわ)にC調の芸をこいて皆の顰蹙(ひんしゅく)を買った男の話。 |
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[719] 2025/01/11/(Sat)08:59:36
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (17) |
| 本文 |
『世はいい所』 ←『弱い心』 (シベリア流刑になる年の前年の 48年2月に「祖国雑誌」に発表 された中編小説。 河出書房新社の米川正夫訳ドス トエフスキー全集では巻2に所 収。 得た幸福を自分には身に余るも のだと自責呵責の念にとらわれ 役所の仕事にも粗相が多くなり、 しまいにはついじ発狂してしま う下級官吏の青年の物語。) 私たちのこの世は良(い)い場所だと思いながら、幸福恐怖症によりなかなか幸せに辿(たど)り着けない男のもどかしい物語。
 [米川訳ドストエフスキー全集の巻1〜5] |
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[718] 2025/01/08/(Wed)17:42:03
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (16) |
| 本文 |
『拝み倒さん(おがみたおさん)』 ←『おかみさん(家主の妻)』 (シベリア流刑になる年の二年前 の47年10月・12月に「祖国雑 誌」に発表された中編小説。 老人と過ごす若い女性を救い出 そうとするストーカーの青年の ことを描いている。)
ドストエフスキーばりの若い女性の細い綺麗な足先を下方(かほう)から拝み倒すことが大好きな足フェチのストーカー男の物語。  |
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[717] 2025/01/06/(Mon)17:10:32
| 名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの小説の特徴(17) |
| 本文 |
※追記更新 25/01/07 19:43
ドストエフスキーの小説においては、登場人物の心の葛藤を描いていく中で物語の筋(すじ)が展開していく。
そのことを、作家の伊藤整氏は次のように適格に指摘している。
ドストエフスキイの小説においては、人間の心が善から悪にかわり、悪から善にかわる、というその変化と心の戦いのあいだに筋が進行する。それは古い小説においての、善人と悪人がたがいに相手を打ち負かそうとして戦いあう、というあつかいと同質のものである。つまり、古い小説では、善玉と悪玉の対立で物語が書かれたが、新しい小説では人間の心の中の、愛情や我欲の対立と変化を描くことが小説だというふうに考え方も書き方も変(かわ)って来たのである。 [伊藤整著『文学入門』(光文社1954年初版)より。]
従来の物語は、人物が、善玉と悪玉に分かれていて、その争いや戦いで物語が進んでいくが、ドストエフスキーの小説の場合は、個人の内面の善と悪が争い変化していって、個人の内面劇になっているという指摘は実に鋭い。
ドストエフスキー自身も、そのことを、
・わたしは、人間のたましいの奥底をあますところなく描き出しているのだ。 (「メモ・ノート」より。) ・神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。 (『カラマーゾフの兄弟』の長男ドミートリイの言葉。)
と述べている。
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