ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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[696] 2024/11/23/(Sat)11:46:15
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーと読書
本文   ※追記更新24/11/23 19:05

ドスト氏は、

 本を読むことを止(や)めることは、思索
 することを止(や)めることである。

と言っていて、思索を絶やさずに続けるために読書をしていた。

盟友のストラーホフは一つの言葉やちょっとした暗示だけであらゆる思想を把握してしまうドスト氏の頭の回転の速さや理解力に大層驚いたそうだが、ドスト氏は読書を通しても思索や思想を鍛え上げ深めていったと言える。

学生時代から、ドスト氏は読書を好み、バルザックの小説をはじめ、内外の小説を中心に読破している。

シベリア流刑時代は本を広く読むことは禁じられたが(聖書は読み続けた)、流刑を終えてからは、カントやヘーゲルをはじめ、思想書や科学書も取り寄せて、貪り読んだ。

ドスト氏の娘エーメの回想記によれば、晩年は、お茶の時間の晩の9時から深夜の仕事に取り掛かるまで読書を行う習慣があった。

読書は、ドスト氏にいろいろな成果をもたらしたに違いない。


   
   
   
[695] 2024/11/20/(Wed)17:26:35
名前 Seigo
タイトル 登場人物を通してのテーマの系譜的つながり(『罪と罰』~『悪霊』)
本文 ドストエフ好きーであった文芸評論家の小林秀雄が

 ムイシュキン公爵はシベリアから帰っ
 てきたラスコーリニコフだ

と述べているが、
その見方にならって、

 スタヴローギンはスイスの療養所から
 再び帰ってきたムイシュキン公爵だ

と言ってよいのかも知れない。


『罪と罰』→『白痴』→『悪霊』と、テーマ的には、ラスコーリニコフ・ムイシュキン公爵・スタヴローギンの各々の振る舞いを通して、

 悪の帰結(情熱の悪の悲劇)
  ↓
 善の帰結(手放しの善の悲劇)
  ↓
 悪の帰結(虚無の悪の悲劇)

を、実験的に、順に深めて描いていったのだと思う。


善の権化(ごんげ)と言えるムイシュキン公爵の場合も、健康、生活力、お人好し、三角関係への対処等といった問題点を設定して、手放しのハッピーエンドに完結させていない点がいかにもドストエフスキー的だ。

 
[ロシア映画「白痴」より、ムイシュキン公爵とナスターシャ‐フィリポヴナ]
   
[694] 2024/11/17/(Sun)22:30:31
名前 Seigo
タイトル 佐藤さん、どうも
本文   ※追記更新 24/11/20 7:30

佐藤さん、どうも。
書き込み、ありがとさんです。

こちらは変わりはなくて、ドスト氏への興味関心も衰えること無く、元気でやっております。

ページ内内の「その他のコーナー」では、
  ・語句、漢字
  ・音楽、映画
  ・高校野球
  ・古今国内外の文学作品
  ・古今東西の名言
  ・古今国内外の思想家
など、人文系方面のメモ風に記した記事も増えてきているようです。

今年に入ってから、「ドストエフスキーのコーナー」では、各テーマについての過去の意見交換の投稿記事(かなり前のぶんから開始)を再掲載することを始めています。→ こちら
その中に佐藤さんの過去の投稿記事がありますね。


佐藤さんがこのたび触れている、
 常人とは異なるドストエフスキーの感性
  (ドストエフスキーが見ていたもの等)
については、興味が尽きません。
私の方では、最近は、ドスト氏は晩年、生き方・あり方の面でどういった境地に至っていたのか、いろいろと探(さぐ)っているところです。

ドストエフスキーについて、新たに思ってきたことや新たな気付きや視点など、何かありましたら、またいつでも書き込んでみて下さい。
    
[693] 2024/11/17/(Sun)21:25:38
名前 佐藤
タイトル ドストエフスキーは何を見ていたのか?
本文 Seigoさん、お久しぶりです。

 <幽霊はあの世の切れっぱなしですよ>と語るスヴィガイドロフや<時もはやなかるべし>と語るキリーロフに代表されるようにドストエフスキーの感性が通常のものでなかったことは明らかです。

 さて現代の私たちは何を学べばよいのでしょうか。

ゾシマ長老が「祈りと、愛と、他の世界との接触」でこのように語っています。
{地球の反対の端からお前の祈りが、たとえお前がその人をまったく知らず、先方もお前を知らぬとしても、その人の安らぎをねがって主の御許にのぼってゆくにちがいない。恐れおののきながら主の前に立ったその人の魂にとって、その瞬間、自分のためにも祈ってくれる人がいる。地上にまだ自分を愛してくれる人間が残されていると感ずることが、どんなに感動的であろうか}
 チェーホフの「学生」という短編にもこんな一節があります。
「そんな昔から今日まで、断絶せず続いている一つの鎖が見えるような気がしている。自分がその一方の端に触れたので、もう一方の端が揺れたのだ。」

 2022年のノーベル物理学賞に<量子もつれ>という現象があります。
<もつれたペアの一方の粒子について何かを測定すると、たとえそれが何万光年離れていたとしても、もう一方の粒子についても何かがわかるという2つの粒子の間の奇妙なつながりは瞬時である>

 量子もつれの現象は大変難解なものであり、どうしてこんなことが起きるのかまだすべて説明されているわけではないですが、現象としては観測されています。
 現在まだまだ仮説の段階ですが。ホログラフィック宇宙論にしても量子もつれと関連して少しずつ解明が進んでいるようです。
 
 ドストエフスキーやチェーホフの言葉と現代の最新の物理学理論を比較して考察するのも中々おもしろいと思っています。
 

 
[692] 2024/11/16/(Sat)21:20:20
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの洞察と警鐘
本文 次の森和朗氏の文章には、大いに感心したものだ。


ドストエフスキーは神秘的な宗教思想家と見られがちだが、近代の科学技術が人間に突きつける問題を彼ほど鋭く洞察した人がいるだろうか。「二二が四という方程式」の天文学的な射程を、おそらく彼は直感的に見通していたであろう。
[森 和朗『ドストエフスキー 闇からの啓示』(中央公論社1993年初版)より。]


科学・数式尊重の合理主義の風潮や科学技術や文明の進展に対するドスト氏の洞察や批判、警鐘は『地下室の手記』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などにおいて聞くことができる。
近代社会におけるその流れはとめることが出来ず、現代においては特に顕著であり、ドスト氏の警鐘には今後も耳を傾けるべきであろう。

   
      
[691] 2024/11/13/(Wed)21:57:38
名前 Seigo
タイトル 外国ののドストエフスキー論者(選・5氏)
本文       
これまで読んできた外国のドストエフスキー研究家のドストエフスキー論の中では、次の5氏のぶんがよい。


ニコライ・ベルジャーエフ
 ・など 

アンドレ・ジイド
 ・など

アンリ・トロワイヤ
 ・など

J‐M‐マリ
 ・など

レオニード・グロスマン
 ・など


     
[690] 2024/11/11/(Mon)17:15:28
名前 Seigo
タイトル 日本のドストエフスキー論者(選・5氏)
本文    
これまで読んできた日本のドストエフスキー研究家のドストエフスキー論の中では、次の5氏のぶんがよい。


亀山郁夫
 ・など 

中村 健之介
 ・など

勝田 吉太郎
 ・など

清水孝純
 ・など

川喜田 八潮
 ・など


ドスト氏の作品や思想の大事な面を指摘していて、大いに感心する。

今後も、様々なドストエフスキー論に触れて、ドスト氏の作品・思想・人物像の理解を深めていけたらと思う。


   
[689] 2024/11/09/(Sat)10:30:27
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の 題名をパロる! (6)
本文     
  『犯した人間の埋め合わせ』
      ←『おかしな人間の夢

夢の中で原始の楽園にいた人たちを堕落させ、その犯した罪の埋め合わせのために、目を覚ましてからは自殺をやめて今度は現世の人たちを教導しようと決意する男の物語。





※、ドストエフスキーの小説の題名をパロる!(1~5)
     
   
[688] 2024/11/06/(Wed)20:03:35
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの言葉(35)
本文 人間のできる唯一のことは、自分自身が精神的に成長することです。


出所がいまだ確認できていないこのドスト氏の言葉については、「自分自身が精神的に成長すること」が「人間のできる唯一のこと」だという捉え方が私には今一つわからずにいたけれど、ともかくも、物事は思い通りにはいかないことが多くて、取り組んだことの結果はよくなくても、人はその過程における取り組みや受けとめ・反省を通して精神的な成長はしていけるのだと言っているように思う。ドスト氏は、日々の取り組む仕事や出来事において自己が精神的に成長していっていることを常に自覚していた人だと思う。
    
 
    
[687] 2024/11/04/(Mon)18:41:42
名前 Seigo
タイトル 『海辺のカフカ』と『カラマーゾフの兄弟』
本文 Amazonで亀山郁夫氏の小説『新カラマーゾフの兄弟』のレビューに目を通していたら、

また「新カラマーゾフの兄弟」に「海辺のカフカ」を感じるのもわかります。「海辺のカフカ」は村上春樹さんの「カラマーゾフの兄弟」であり父殺しの物語だと思うからです。

という書き込みがあった。

自分は以前『海辺のカフカ』(2002年刊行)は読んだが、たしかに、主人公田村カフカが父親からの虐待から家出をして、行き着いた町で父親が殺害されることを知るという内容は、『カラ兄弟』の父親殺し(及び父親を殺害されたドスト氏の実体験)の内容に似ている。

ドスト氏の小説に少なからず関心を向けていた村上春樹氏はいつか『カラ兄弟』のようなものを書いてみたいと言っていたことから、『海辺のカフカ』に『カラ兄弟』の内容を盛り込んでみたのであろうが、『カラ兄弟』の大事なテーマや内容を大幅に本格的に盛り込んだ小説とは言えないのではないかと思う。

『海辺のカフカ』より前の村上氏の知られた長編小説(『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『神の子どもたちはみな踊る』等)も含めて、その後、村上氏は、さらに長編小説を上梓してきたが、いまだ、そういった『カラ兄弟』のような小説は、現れていない。
村上氏はすでに75歳の老境に至っているが、昨年長編『街とその不確かな壁』を刊行するなど作家としての力量や威勢はいまだ衰えていないと思うので、今後、その志をあきらめることなく、ぜひ『カラ兄弟』のような小説を残してもらいたいものだ。

ちなみに、
先日、フランツ・カフカの断片集に目を通していたら、
 海辺の貝殻のようにうつろで、ひと足で
 ふみつぶされそうだ。
という文章に出会った。「海辺のカフカ」という題名はこのカフカの文章に基づいているのかな?






   




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