ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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[671] 2024/08/15/(Thu)18:03:57
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの文学の良い点(7)
本文  ※追記更新 24/08/16 19:34

ドストイエフスキイの独自性は、透徹な直感を以(もっ)て霊肉の秘密を掴(つか)み出して、人生を精細に観察し解剖したのみでなく、彼には民族及び人類の運命に対する神経質な焦慮があり、彼が霊肉の辛辣(しんらつ)な争闘の中に、常により高きものに憧(あこが)れ、厭(あ)くなき渇望を以(もっ)て苦しい葛藤(かっとう)の中に神性を探し求め、外部及び内部のあらゆる障碍(しょうがい)と悪戦苦闘をしながら、遂(つい)に宇宙の魂に味到して、海の如(ごと)き広き愛の領域に肉迫した点にあるのである。 ―途中、略― ドストイエフスキイが人類愛に到達するまでには、永い苦しい争闘の過程を踏まなければならなかった。彼もまた我々と同じく、肉と本能とに弄(もてあそ)ばれて人生の迷路を永い間、さ迷ったのである。
[新城和一『ドストイエフスキイ―人・文学・思想』(愛宕書房1943年初版)の「序言」より。]


上の新城和一氏のドストエフスキー論においては、

・堕落したり、善悪・霊肉に引き裂かれたりしている登場人物も、その苦しみと葛藤の中で、罪意識と、より高きもの、善なるものへの思いを持(じ)していることをドストエフスキーは描いていること(『罪と罰』のマルメラードフ、『カラマーゾフの兄弟』のドミートリイなど)

・その苦しみと葛藤の中で、登場人物もドストエフスキー自身も、広い、深い愛の境地・精神に至っていること(『未成年』のマカール老人、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ・ゾシマ長老など)

というドストエフスキーの文学の良い点を指摘していて、心打たれるものがあります。
  
[670] 2024/08/09/(Fri)17:18:21
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(16) ― ドストエフスキーはあらゆるジャンル・内容を描いた?
本文  ※追記更新 24/08/11 13:47


小説のジャンル・内容・登場人物・手法が多岐にわたること。


作家の庄司薫さんの言葉だったと思うが、ドストエフスキーの小説は、あらゆるジャンルに渡っていて、描かなかったものがない、といったことを述べた文章に以前接したことがあった。それを聞いて、え、ほんとにそうかな、とその時は思ったが、描くことが無かったとされる歴史小説、自然豊かな田園物語、戦争小説・冒険小説・海洋小説・スポーツ小説・グルメ小説等についても、作中にそれに類した内容やシーンを持つ作品を挙げることはできるように思う。

主なものを列挙してみると、

・恋愛小説(三角関係、四角関係)、失恋や浮気や嫉妬を扱った小説
・レズやホモが出てくる小説、官能的な描写を含む小説
・夫婦を扱った小説、親子や兄弟を扱った小説、家庭小説
・少年たちの物語、少年たちのイジメを扱っている物語
・犯罪小説、推理小説、裁判を扱った小説、ミステリー小説
・監獄生活を描写した小説
・社会小説、社会革命を扱った小説
・心の病を描いた小説、サイコパス小説、
・ホラー小説
・幻想小説、ファンタジー
・寓意小説、風刺小説
・ユーモア小説
・シュールな小説
・SF的ユートピア小説
・ギャンブルを扱った小説
・音楽家や音楽のことが出てくる小説
・手紙、ピストル、ナイフ、絵、夢、死、出産、料理、祭、火事、札束、遺産相続、決闘、暗殺、自決、紙細工、楽器、当時新しく現れたもの(鉄道など)、等が出てくる
・いろんな階層・社会・性格の人物と老若男女の登場、生き物(犬・ワニ・蠅・ウイルスなど)の登場

といったジャンル・内容・シーン・小道具・登場人物だけでなく、

・三人称小説、一人称独白体小説
・往復書簡体小説
・リアリズム描写、幻想的な描写
・フィクション、ノンフィイクション
・メタ小説

といった手法・形式などの面でも、ドストエフスキーは、作家として、いろんなことに取り組んでいると言えるだろう。




   
    
[669] 2024/08/05/(Mon)17:59:24
名前 Seigo
タイトル 晩年にかけてのドストエフスキーの心の安定(安らぎ)のこと
本文 書簡での発言や『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の教えにも窺(うかが)われるように、後半生、晩年にかけて、キリスト・神への信仰によって、氏の心や精神は落ち着きと安らぎを得ていたのではないかと、近年、思えてならない。

我が子の不幸やてんかんなどの病苦に苦しんだり、取り組んだ各テーマや懐疑が未解決のままだったりということはあっただろうが、そういった悲痛や問題の一切を、そのまま引き受けて認めていくといった境地を、神やキリストへの信仰や、愛や謙抑の精神で、ドストエフスキーは得ていた。死後の人間の霊魂の存続という考えや、アンナ夫人の存在と支えも、それに寄与したに違いない。『未成年』と『カラマーゾフの兄弟』は、そういった中で、安定して制作されていった。

いちいち選択して生きていくことの難しさということに対して、『白痴』のムイシュキン公爵の「それでもやはり、何かそうとばかりも信じられない。時には、誰よりも賢い生活ができそうな気もします。」という述懐も、このあたりの信仰のことに関係してくるのだろうと思う。
      
[668] 2024/08/01/(Thu)17:44:24
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの重要な事跡(7)
本文  ※追記更新 24/08/02 07:40

『罪と罰』の制作から、小説の制作は、妻となるアンナ夫人の協力のもと、彼女との二人三脚で行われるようになったこと。

深夜の内容練り・下書き、翌日の彼女との口述筆記、文章起こし・推敲・清書等のその創作の過程・行い方は、娘エーメの見聞を中心に、ページ内のこちらに、まとめています。
(ロシア制作のドストエフスキーの生涯を描いたドラマ「ドストエフスキー」では、アパート住まいの一部屋でソファーに腰をすえて夫婦で口述筆記を行うシーンが出てきます。こちらの38:20〜など。)

思うに、
まず、日々、口述して速記で筆記してもらい、普通の文章に起こしてもらい、推敲を加えたのちに、清書してもらったことは、創作の過程の時間や労力の軽減になったこと、定期的に長編を制作し発表できるようになったことは確かだろう。

人に邪魔されずに集中して内容を練(ね)ることができるように一人になれる静かな深夜に創作したのであろうが、机上に2本の蝋燭を灯して行うこの深夜の時間帯の書斎の場の雰囲気は彼の小説の内容に微妙な影響を与えているだろうし、明け方近くまで起きている夜型の生活は彼の身体の健康にとって好ましくなかったに違いないだろう。

翌日の昼間に愛する妻に向けて口述するという形式も、登場人物の語りは各々の登場人物に乗り移ったような熱い語りになっただろうし、ドストエフスキーの語りの上手さが充分生かされたに違いない。

アンナ夫人は、『白痴』の制作の際など、夫の小説の展開を聞きながら、気付きやアドバイスを述べるなど、口を挟(はさ)んだこともあったらしい。そうなると、夫人は作品の内容にまでも関わったと言えるだろう。

以上の点をはじめ、小説の創作のこの形式・パターンが、彼の創作する小説や彼自身にどういった影響を与えたのか、あらためていろいろと検討してみたい。


ドストエフスキー記念館の書斎の机上の様子
    
[667] 2024/07/27/(Sat)11:12:40
名前 Seigo
タイトル 映画『男はつらいよ』と『白痴』
本文  ※追記更新 24/07/27 21:17

寅さんの映画『男はつらいよ』シリーズには、主人公の設定をはじめ、ドストエフスキーの小説『白痴』との類似点が少なからず見られる。

寅さんは、旅から戻ってきては、わけありの見目麗(みめうるわ)しい女性に惚れ込み、しまいには失恋して、また、旅に出る。親族のおじちゃん・おばちゃんがいて、戻ってきては、そこに住み込み、一騒動を起こしては、おじちゃんから「馬鹿」呼ばわりされる。やくざな江戸っ子の面やハンサムではない面など、キャラは異なる部分もあるが、以上の点や、その無私無欲の優しさ・献身や、皆から愛される点、話し好きな面など、寅さんの境遇や性格は、『白痴』のムイシュキン公爵のそれに似ている。( 妹のサクラさんの設定などは、『白痴』にはない。)


寅さんが言った言葉には、『白痴』のテーマに触れているものが見受けられる。

「もうこの人のためだったら命なんかいらない、もう俺、死んじゃってもいい。そう思う。それが愛ってもんじゃないかい。」


ある程度『白痴』を踏まえたのか、映画『寅さん』の原作者に聞いてみたいものだ。


 
   
   
★関連の過去の投稿記事
 ・ドラマ「JIN-仁-」とドストエフスキー『白痴』
   
    
[666] 2024/07/24/(Wed)17:29:11
名前 Seigo
タイトル 登場人物の発する人間の生をめぐる真実の思いに心打たれること
本文 なんという真実だろう! ああ、なんという真実の声だろう!
[『罪と罰』より。死刑囚の言葉を挙げ、その言葉に対するラスコーリニコフの評言。]


ドストエフスキーの小説の作中で、登場人物が不意に発する発言に、私は、人間やその生をめぐっての真実の思いを感じ取って、心打たれてきました。

『カラマーゾフの兄弟』では、ドミートリイの発言、グルーシェンカの発言、フョードルの発言、『罪と罰』では、ラスコーリニコフの発言、マルメラードフの発言、、等々。

それは、その登場人物が抱いてきた思いであり、人間観察を続けてきた作者ドストエフスキーの思いであったのでしょう。ドストエフスキーは、作中に、そういった真実の声(叫び)を入れることを意図的に行なったように思う。

[665] 2024/07/21/(Sun)20:39:48
名前 Seigo
タイトル 到達してしまうことを嫌ったこと ― ドストエフスキーの物事の見方(9)
本文   ※追記更新 24/07/22 07:40

人間は到達を好むくせに、完全に行きついてしまうのは苦手なのだ。もちろん、これは、おそろしく滑稽なことには相違ないが。
[『地下室の手記』より。]

人間の知恵は自分の望むところに到達するために授(さず)けられているのである。しかし、なにがなんでも一足とび(いっそくとび)に目的に到達しようというのは、私に言わせれば、知恵でもなんでもないのである。
[『冬に記す夏の印象』より。]

幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある。
[『作家の日記』より。]

コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない。
[『白痴』より。]


上に挙げた言葉で言っているように、ドストエフスキーは、目標とするところに完全にたどりつくこと、一気にたどりつくことを嫌い、怖れ、苦手とした。その目標にたどりつくまでの過程、及び、その過程における生活の絶え間なき探求を大事にした。

ドストエフスキーの作中にしばしば見られる幸福恐怖症も、このあたりの考えから来るのだと思う。

ドストエフスキーのこのあたりのことに注目したアンリ・トロワイヤ氏は評伝『ドストエフスキー伝』の末部を、こう結んでいる。

「到達せざることにおいて、人は偉大になる」とゲーテは言っている。ドストエフスキーは、到達しなかったからこそ、偉大なのだ。



   
[664] 2024/07/09/(Tue)21:03:36
名前 Seigo
タイトル 作中の強く印象に残ったシーン ―『罪と罰』(3)
本文   ※追記更新 24/07/10 17:53

  
彼はぎくっとして、急いで窓をはなれた。
(「エピローグ」の第2内のもの。新潮文庫の下巻・工藤精一郎訳。)


ラスコーリニコフがシベリヤの監獄で病院に収容され、ある日、ふと病室の窓辺から外を眺めて、病院の門のところにたたずんで何かを待っている風情(ふぜい)のソーニャを見ての、彼の反応を示した箇所。
「その瞬間彼は、何かが彼の心を貫いたような気がした。彼はぎくっとして、急いで窓をはなれた。」

これは、彼を愛し気遣うソーニャの愛情と真心が通じたとともに、彼女の信仰に根差すところの、おごり高ぶる者に向けての神の働きかけ(鉄槌)を表しているとするならば、ドストエフスキーが示そうとしたテーマはかなり深いと言えるだろう。ラスコーリニコフは最後まで自己の罪を自(みずか)らは自覚できなかったとされているが、他から引き起こされたこの心の衝撃は、更正へ向けての小さからぬ一歩となったのではないかと思う。


   

  
[663] 2024/07/06/(Sat)19:36:48
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の語りの人称形式のこと
本文   ※追記更新 24/07/08 07:55

ドストエフスキーは、『地下室の手記』『未成年』『おとなしい女』(『貧しき人びと』もこの部類に入るか)『死の家の記録』などの一人称形式の語り・手記において作家としての本領を発揮している。

中期の『虐げられた人びと』『罪と罰』『白痴』などの作者の客観的な描写・語りを採用した小説も、いちおう、成功を収めている。

なお、『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』では「私」なる人物が、時に場面に登場しつつ、出来事を伝えていくという形を採(と)っている。

異なる人称形式の語りが見られることは、小説をより良く完成させることを目指したドストエフスキーの試行錯誤の跡を示していると言えるだろうが、各々の人称形式の語りは、どういう点で有効と考えて採用したのか、あらためて、じっくり検討してみたいところだ。


    
[662] 2024/07/02/(Tue)18:07:23
名前 Seigo
タイトル 『カラマーゾフの兄弟』の良さのこと(7)
本文 ドストエフスキーの最後の長編小説『カラマーゾフの兄弟』の良いところは、登場人物の魅力だけでなく、カラマーゾフ家の短期日の日常生活で起こる事件をめぐって、そのシーンや会話に、人生や人間についてドストエフスキーが最終的に気付いた洞察や真実を巧みに盛り込んで、読者にそれを感得させていく点にあると思う。

そういう点で、『カラマーゾフの兄弟』は読み甲斐のある小説と言えるだろう。


[一巻本の江川卓訳『カラマーゾフの兄弟』
(集英社の愛蔵版世界文学全集・巻19(1975年初版)。]
  




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