ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
※他の情報や話題の書き込みも、どうぞ。
「事項・テーマ」一覧  HP  HTMLタグ一覧

名前
タイトル
本文
編集・削除のキー
[617] 2024/01/28/(Sun)11:39:51
名前 Seigo
タイトル このたびも働きかけあり
本文 ほのかさん、書き込み、どうも。
   

今朝東京湾で発生した地震(最大震度4)は、また、ハーモニーズ・ハーモニー宇宙艦隊の働きかけで、震源が80kmまで下げられて小規模で済んだようです。

ありがたいことです。今後も、全国津々浦々、よろしくお願いしたい。
    
HARMONIES ハーモニーズ
    
  
[616] 2024/01/26/(Fri)11:20:26
名前 ほのか
タイトル 修正しながら
本文 Ⅱ ですが。

 確か、《信仰が~》どうのこうの~。良い方向に持って行ったのですね‼️

 ドストエフスキー氏は、【信仰】を、大事であると、述べてますね。

 ドストエフスキー氏が、『キリスト教』とか、『イスラム教』とか、『ロシアの宗教』とか、それぞれ個人が、自分より、高きものに、考えをこう時の高みのエリアを持っていれば、良いと思ってるのだと、考えます。

 つまり、どのなになに教も、信仰という偉大さで、リスペクトし合う必要がありますね。

 そうしたら、地球上が、幸せになりますね。

 私も、キリスト教とか、なになに教は、苦手ですが、高みのものは、意見を聞いたりする高みの自分自身のエリアはもっていますね。

 これだけキリスト教が多いなら、キリストも、否定しては。世界平和は、得られませんね。イスラム教然り。その他宗教然り。その他いろいろ然り。

 つまり、どのなになに教も、信仰という偉大さで、リスペクトし合う必要がありますね。

[615] 2024/01/26/(Fri)10:25:07
名前 ほのか
タイトル 修正しながら
本文 Ⅱ は、後ほど
[614] 2024/01/26/(Fri)10:24:27
名前 ほのか
タイトル 修正しながら
本文 p383
Ⅲ「種子は良き土地の上に落ちたこと、一人の人間が復活したこと。」

Ⅲの内容
「この事実が何人にも害をおよぼさなかったこと、犯人の魂が憮悟の念を、人々のかぎりなき慈悲を思う永久の感激に圧倒されていること、今となってはあれほどの善と愛とを体験した以上、彼女の心は邪悪なものとなり得ないこと、それらのことをわたしはもはや間違いなく、断言できるように思われる。傍観者氏よ、きみがあれほど憤慨している、「妊娠のアフェクト」は疑いのないものでありはしながら、くり返しいうが、彼女はそれによって、自己弁護をしようとはさらさら思ってはいない。要するに、わたしはこのことをきみ以外のわたしの読者一同、ならびにあのとき彼女を無罪とした慈悲深いすべての人々に報告するのも、決して無駄ではないと感じた次第である。ところで、女の子についても、傍観者氏よ、同様心配を無用にして、「子供こそ不幸である!」などと叫ばないでもらいたい。彼女の運命も現在かなりうまくおちついて、やがては「あれも忘れてくれるでしょう」それにも確かな望みがあるのだ。」
  
   ⇄ 米川正夫 訳


「種子は肥沃な土地に落ちた、ひとりの人間が生まれ変わった、それは誰にも害を与えなかった、犯罪者の魂は悔悟の念と人々からはかりしれぬ憐れみをかけられたという、いつまでも消えることのないありがたい印象によってまさに圧倒されている、そしてまたあれほどの善意と愛情を身をもって体験したいまとなっては、彼女の心はもはや邪悪なものにはなりにくいと、わたしは誤りなく断言することができるように思われる。「妊娠時の情緒不安」はもはや疑う余地のないものであるのに、繰り返して言っておくが、彼女は決してそれで身のあかしを立てようとは考えていないのだ。ひとことで言えばわたしには、このことを、あなたを除く、「見まもる人」よ、わたしのすべての読者と、あのとき彼女を無罪にした、憐れみ深いすべての人たちに報告するのは、あながち無駄ではないと思われたのである。またあの女の子のことも、「見まもる人」よ、やはり心配することはやめにして、「子供こそわざわいなるかな!」などと叫ばないようにしていただきたい。彼女の運命もいまではかなりうまく落ち着くところに落ち着いてーー「あの子はきっと忘れてくれますわ」という事になるにちがいないのだ。そのことにも多大な希望がいだけるのである。」

    ⇄ 小沼丈彦 訳


        E N D

[613] 2024/01/26/(Fri)10:08:44
名前 ほのか
タイトル 途中 修正しながら。
本文 p328
Ⅰ「さて、そこできみ自身に決定を乞うが、もし二人の結婚を破棄して、彼女が疑いもなく愛してきたし、またげんに愛している夫から犯人を引きはなし、ーー彼女にとって疑いもなき家庭をなしている夫から引きはなして、二十歳そこそこの若い身空で、嬰児をかかえて、なんのたよりもない孤独な彼女を、シベリヤへ流刑にして、犬童淫蕩と汚辱に沈めたら(シベリヤではこの堕落はしょせんまぬがれないのだ)、ーー一個の生命の破滅と腐敗に、そもそもいかなる意味があるのか、返答が伺いたい。」

Iの内容
「この生命は今や厳しい浄化と改悛を経て、更生した心をいだきながら復活し、真理に帰ったように見受けられるのだ。人間の頭からいきなり首を引きちぎってしまうよりも、これを矯正し、はっけんし、復活させたほうがよくはあるまいか。法の文字によって首を斬るのは容易であるが、真理によって、人間的に、父親らしい態度で是非を弁別するのは、常に困難なわざである。最後に、若い二十歳の母親とともに、いいかえれば、まぎれもなく将来貧困と淫蕩の犠牲となるべき無経験な女性とともに、その幼な児も流刑に処せられんとしていたことは、きみも知らなかったとはいえまい・・・・・・が、ここで一般に幼な児について、とくに一言することを許してもらいたい。」
[612] 2024/01/26/(Fri)09:47:55
名前 ほのか
タイトル 『作家の日記 下』 ドストエフスキイ全集15 米川正夫訳 十二月の第1章を、読み終わりました、
本文 沢山、書こうと思いましたが。

 今回読んだ最終のところだけを、書きます。
[611] 2024/01/26/(Fri)06:52:02
名前 ほのか
タイトル 🟣日常の事件について⚫️
本文 ①【婦人と百姓女という喋り方について】

  ↑ ↓

  そこらへんの人間の嘘っぽい会話に、注意‼️


② 【事件や判決に対する自身の考えを、どこまで、追求、探求するのか⁉️】

  ↑ ↓

  重箱の隅までも、あれやこれやと、思考する、人間ドストエフスキー氏に、読者私は、感激する嬉しさを、感じますね。真実を突き詰めるまでの、集中力が素晴らしいし。自身が、納得するまでの、集中力と思考を止めないのは、素晴らしい理想的な人間像です。自分自身が納得できる真実を、みつけるまで、あれやこれやと、考え続ける探究心は、素晴らしい‼️
[610] 2024/01/25/(Thu)09:24:48
名前 ほのか
タイトル 【「法は、真の犯人に、慈悲を垂れたのである」】
本文 《『作家の日記』 下
本文なかなか、読み終わりません。難しいのですね。

 1877年12月のところにきましたが。

なんか~作家ドストエフスキー氏の《優しさ》が、現れてるところはないかなっと、期待して読んでます。

 まだ、途中ですが。

 【人間は善なり】が、ドストエフスキー氏の心情じゃないかと、心至りました。》

  ↑

 いよいよ‼️ 私読者の期待する箇所に来ました。

 全部、転記すると、4~6ページになってしまいますね。

 まだ読み終わってないので、その後に、転記致します😁

 p375からと、その前にある文章の、《婦人を獄中に見舞ったのではなく、百姓女を獄中に見舞ったのである。誤解するように、書いている。それから、ひと月に1日くらいしか、様子を見に行ってないのに。それも、頻繁に《婦人》に会いに行ったような、記事を書いて、当作家ドストエフスキー氏を悪く吹聴すると、書いてあるところですね。実際、婦人というより、豊かではない百姓女だしという事ですね。興味本位に獄中に。見に行ったのではないという事ですね。真実を突き詰めたくて、自ずと、ドストエフスキー氏は、行動に走るのでしょうね。

 いまのところ、二箇所の長文です。

 やっと、ドストエフスキー氏の《やさしさ》➕《読者私の同意の考え:人間は善である》 に、辿り着きましたね。今回の文章は、長くて長くて、作家ドストエフスキー氏は、どちらの立場で書いているんだろうか?と、ちよっとずつよみすすめてきましたね。

[609] 2024/01/23/(Tue)17:24:40
名前 Seigo
タイトル 神を太陽に譬えたモルゲンシュテル氏及びドミートリイの言葉
本文   ※追記更新 24/01/24 21:55


ほのかさん、
いろいろと、書き込み、どうも。

投稿[599]の中の、ドストエフスキーの作中人物(及びドストエフスキー自身?)はエネルギッシュであり、励ましをもらったという読者のコメントは、興味深いです。
そのあたりのドストエフスキーのポジティブな有りようは、ドストエフスキーが人間の生(せい)というものに目を向けて、生(せい)における熱意や愛というものを大事にしたということから来るのではないでしょうか。


   ※    ※    ※


先月、次の文章に出会った。


神を捨てる者は、ちょうちんをもって歩きつづけるために、太陽の光を消すようなものである。
(オスカー・モルゲンシュテルン(ドイツ出身の経済学者)の言葉)


ドストエフスキーの作品においても、暗(あん)に神を太陽に譬えて、どんな苦難・苦痛に見舞われていても、自分は、堪(た)えられる、太陽を見ている、太陽の存在を知っているということこそ全生命なのだという『カラ兄弟』のドミートリイの絶唱がありますが、上のモルゲンシュテルン氏の言葉は、太陽を神に譬えて、神を捨てる人の事態を述べていて意味深長だと感心した次第です。

厳(げん)としてあり、否定したり無視したりできないものとして、分け隔て無く私たちに恵みをもたらし、私たちと私たちの世界を支え、生かしてくれている太陽のごとき「神」とその働きというものを、私も考え、信じたいと思う。
     
[608] 2024/01/22/(Mon)08:45:40
名前 ほのか
タイトル 「作家の日記』 下
本文 なかなか、読み終わりません。難しいのですね。

 1877年12月のところにきましたが。

なんか~作家ドストエフスキー氏の《優しさ》が、現れてるところはないかなっと、期待して読んでます。

 まだ、途中ですが。

 【人間は善なり】が、ドストエフスキー氏の心情じゃないかと、心至りました。

 結局! 事件があっても、その周りの人、周囲の人、教育など~。あらゆる原因は、当事者の《個人》の責任ではないということ‼️ですね。

 つまり、裁判をすると、まぁ、思ったよりも、減刑とか、無罪になるというわけですね。

 それが、ドストエフスキー氏の《優しさ》でしょうね😁

 「継母が、二階からの事件」⇄ やはり!これらの事件は、環境の所為である‼️ という見方でしょうね。

 そして、「継母が、二階からの事件」について、作家ドストエフスキー氏が、これほどまでに、『作家の日記』で、あれやこれやと、論議をしてるのが、嬉しいですね‼️ あれやこれやと論議をするから、『無罪』とか、『減刑』になるのですよね。深く理解して、これからは、その事件をプラス思考で、踏まえて生き方を学ぶ‼️ ということですね。





Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板