ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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[796] 2025/10/09/(Thu)20:35:01
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーのことを紹介しているおすすめの本
本文      
 『ドストエフスキー
   (原卓也著。講談社新書1981年初版。
    ※現在品切れで入手は古書店か図書館で。)

ドストエフスキーのことを、10項の面・事柄から興味深く紹介していて、おすすめです。

第三章「革命――人間の自由と権力の深淵」で、ソビエトの社会主義社会の崩壊を予言したかのようなドストエフスキーの言葉を見事に紹介して論じています。 
  → こちら


ちなみに、
表紙の編集部作成の概略紹介の中の、

 人間の美と調和を求めた彼

という捉え方には、注目したい。


※、
入門書の案内
 (おすすめのドストエフスキーの入門書として、
  これまで挙げたぶん。)
    
[795] 2025/09/29/(Mon)21:47:31
名前 Seigo
タイトル アンナ夫人をモデルにした登場人物がいないこと
本文 ドストエフスキーは、身近にいた近親者や知り合いを作中の登場人物のモデルにしているケースがいくつかあるが、最初の細君だったマリア夫人はモデルとなったが、マリヤの病死後に再婚したアンナ夫人をモデルにしているように見える登場人物が『罪と罰』以降の作品に見当たらないことに注目したい。

このことはどういった理由・事情によるのか知りたいのだが、アンナ夫人が出来過ぎの妻だったから、マリヤ夫人のようには小説の登場人物にしにくかったのだろうか? あるいは、アンナ夫人が、自分は小説の登場人物として登場させないでくれと頼んで、ドストエフスキーも承知した(ドストエフスキー自身もマリヤ夫人はモデルにしてもアンナ夫人はモデルにしたくなかった?)ということがあったのだろうか?

ドストエフスキーの小説は、内容がオリジナルな創作というよりは、内容や登場人物において典拠がある小説と言えると思っているので、ドストエフスキーの作中の登場人物のモデルについては、今後も、いろいろと知っていきたいと思う。
   
[794] 2025/09/19/(Fri)17:31:42
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説観のこと
本文 ヤフー知恵袋で、ドストエフスキーが残した一連の小説から見て、小説というものをどういったものとして考えていたと言えるか、質問してみた。 → 質問と回答はこちら

ドストエフスキーをめぐってのAIさんの回答は、相変わらずナイスで鋭くて、よくまとめていると感心してしまう。


『地下室の手記』や『罪と罰』あたりから顕著になると思うが、様々な大事なテーマを、登場人物の日常の言動や物語の展開の中で、検討して、教導的に読者に考えさせていく、というドストエフスキーの小説の特徴は、どういった状況や背景の中で形付けられていったのか、あらためて、いろいろと考えてみたい。
    
[793] 2025/09/06/(Sat)21:33:51
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの晩年の安定・円熟のこと
本文 ヤフー知恵袋で、ドストエフスキーの晩年の安定・円熟のことを質問してみた。 → 質問と回答はこちら


晩年には、引き続く持病の患いや我が子を亡くすなどの不幸はあったっが、妻アンナの支えもあって、経済的にも家庭的にも精神的にも安定を得て、『カラ兄弟』の完成で生涯の仕事も成し終え、考えや生き方も(死の受け入れも)円熟に達していたのではないかと思う。
        
[792] 2025/08/26/(Tue)21:46:58
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーから得た考えや教え(12)
本文   ※追記更新 25/08/27 06:45

ドストエフスキーが「メモ・ノート」に書き残した、

「神のない良心は恐怖そのものである。そんな良心は、最も不道徳なところにまで迷いかねない。」

という文章について、あらためて、少しばかり、考察してみた。


別の文章、

「神がなければ善行もない。」
「神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。」


も踏まえて、

ポイントとなる「神のない良心」は、

・人の考えや行動を規制していく「神」を人が想定しないこと

・道徳行為を行う人の内なる働きとしての「神」が衰退あるいは喪失してしまうこと

の二つの意味合いにおいて理解してみたい。

世間ではまれではあろうが、これらによって、そういった人の考えや行動は、道徳行為から外れて、暴走してしまうことになる。

正しくない誤った宗教を信じることは論外として、結局、人は、神を想定して畏怖し、内なる神を開き現していく宗教的なあり方が必要だとドストエフスキーは考えていたと思う。
      
[791] 2025/08/16/(Sat)17:49:13
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(30)
本文
初老の婦人がしばしば登場していて、巧みに描かれていること


我が子のことを心配する母親、愛人や憧れの人としての婦人、やり手の婦人、おむつがやや弱い婦人など、初老の婦人が、それぞれ、独自のキャラで描かれている。

そのモデルをどこから得たのかについては興味が尽きないが、家にいた数多くの乳母、親戚筋の婦人(クマーニン家の婦人)や、バルザックの小説に登場する婦人などが、考えられるかもしれない。

なお、奮闘する老婆も、いくつかの作品に登場する。
    
[790] 2025/08/12/(Tue)17:29:33
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(29)
本文   ※追記更新 25/08/12 21:40

脇役として、道化役の登場人物がいて、場面を滑稽味をもって盛り上げていること。


ドストエフスキーの小説群を眺め渡してみると、大半は、何らかの道化を演じる人物が登場してくる。

道化役を登場させるのは、どの作家からの影響なのだろうか。シェークスピアの作品からの影響だろうか?

道化役の登場人物の言動を活写していく作者の筆致には、その登場人物とその内面に抱えている心苦しさに対する作者の愛情と寄り添いが感じられる。
   
[789] 2025/08/07/(Thu)19:52:09
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(28)
本文   ※追記更新 25/08/07 20:30

登場人物が過去に何らかの屈辱や虐げを受けていて、それを健気(けなげ)に忘れ去ろうとしてきたが、無意識の中に蟠(わだかま)って潜伏していたその心の傷が、ある時不意に突発して相手や世間への報復の行動を取ったりするケースが見られること。


『永遠の夫』
(トルソツキー)
『未成年』
(アルカージー、マカール老人)
『白痴』
(ナスターシャ‐フィリポヴナ、イポリート)
『カラ兄弟』
(グルーシェンカ、スネギリョフ二等大尉、
イリューシャ、スメルジャコフ)
『地下室の手記』
(私)
などに、それが見られる。

ドストエフスキーの小説のすぐれた理解者であったアンドレ・ジイドは、この点について、

ドストエフスキーの人物の多くを、あれほど不安な、あれほど病的なまでに奇怪なものに見えさせる性格上の奇形、偏奇のうちで、その源を過去に受けた或(あ)る屈辱に発していないものは一つとしてない、と私は思うのである。

と述べている。
  
[788] 2025/08/03/(Sun)20:57:27
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(27)
本文
小説では、主人公が登場し、騒動を起こし、破滅的な、または、悲劇的な、または、更正を暗示していく結末を迎えていくこと


『白痴』のムイシュキン公爵も、この例に漏れない。作者は、主人公に、問題のある性格を付与することで、実験的に、批判的にその帰結を描いていく。
    
[787] 2025/07/31/(Thu)17:42:54
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(26)
本文    
登場人物の家庭環境(家族構成)や生い立ちの設定や説明が作中で行われていること


ドストエフスキーは、人の人間形成は、家庭環境や生い立ちによることが多いと洞察していたので、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』と、主人公の家庭環境の設定や紹介には、父親の不在・在など、かなり、意(い)を用いている。
たとえば、『悪霊』では、父親の不在、ステパン氏による家庭教育という点がスタヴローギンに与えた影響を読み取ることができるだろう。ピョートルについても、同様のことが言える。
   




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