ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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[700] 2024/12/02/(Mon)17:41:04
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の題名をパロる! (7)
本文   ※追記更新 24/12/03 07:32


  『千こく』
    ←『宣告』
    ( 76年10月の「作家の日記」に掲載さ
     れた小品。ある男が自殺の前に意識
     することによる苦痛と虚無感を人間
     に与えた「自然」を糺弾した独白体
     の作品。)

キリの無い独白の作品は勘弁願いたい、全体で1000文字の作品にしてくれと雑誌編集部に頼まれて、きっちり千文字にして、ある男が意識というものを人間に与えた「自然」に対する感謝をこいた小品。せんでもいい毒を吐(は)くことや自殺の念のない独白の佳品になっている。
(語注:・こく=述べる。)



ドストエフスキーの小説の題名をパロる!(1〜6)

   
 
   
小品『宣告』を今回、米川正夫訳の上の『ドストエフスキイ後期短篇集』であらためて読んでみた。文庫本でほんの6ページの小品。『白痴』での青年イポリートの告白の二番煎じのような文章だが、ドスト氏が、人間に意識が与えられていることをめぐる問題、意識することは病気であるというテーマ、私たちのこの世界の意味のことにずっとこだわっていたことが窺(うかが)われる。
   
     
[699] 2024/11/30/(Sat)11:59:59
名前 Seigo
タイトル 円熟していった謙虚で前向きな人 ― ドストエフスキーのこと(7)
本文 ドストエフスキーは矛盾の中にじっと坐(すわ)って円熟していった人であり、トルストイは合理的と信ずる道を果てまで歩かねば気が済まなかった人だ。
[小林秀雄(文芸評論家)

本当に重要な人間で、多くの苦難を受けずに生きた人はかつてなかった。
[カール・ヒルティ(スイスの法学者・思想家)]

わたしにはいつも、最大の幸福とは、少なくともなぜ不幸なのかを知るということだと思われた。
(ドストエフスキー「作家の日記」より。)

しかし、なんといっても、この分裂は大きな苦しみです。尊敬してやまぬ愛すべきカチェリーナ‐フョードロヴナ、貴女はキリストとその聖約をお信じになりますか? もし信じておいでになれば(それとも、信じようと熱望しておられれば)、心からキリストに帰依しなさい。そうすれば、この分裂の苦しみもずっと柔(やわ)らいで、精神的に救いが得られます。しかも、これが肝要なことなのです。
[ドストエフスキーの書簡(カチェリーナ‐フョードロヴナへの書簡)より。]

不幸なのは心のよこしまな人間ばかりです。私には、幸福とはどうも――人生に対する明るい見方と曇(くも)りのない心の中にあるものであって、外面的なものにあるのではないように思われます。
[ストエフスキーの書簡より。) 


上の言葉に窺(うかが)われる通り、ドストエフスキーは、いろいろと欠点や短所やよくない点はありながらも、いくたの苦難や試煉や苦痛や悲しみを受け、信仰を得ていくなかで、謙虚になり、賢明になり、物の見方や人格や心の平安を磨き深めていった人だったと思う。

さらにもっと、ドストエフスキーのことを知りたいし、ドストエフスキーの色々な教えに接していきたい。
   

    
[698] 2024/11/27/(Wed)17:39:07
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの評伝のおすすめのぶん
本文 ドストエフスキーの評伝のうち、

・K・モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』
(1947年刊・1980年再版。松下裕・松下恭子訳、筑摩書房2000年初版。)

は、各時期の作品論も含めた浩瀚(こうかん)の詳細な評伝。


・レオニード・グロスマン『ドストエフスキー』
(1963年刊・1965年改訂版刊。北垣信行訳、筑摩書房1978年初版。)

は、本国の定評ある評伝。


・アンリ・トロワイヤ『ドストエフスキー伝』
(村上香住子訳。中央公論文庫1988年初版。)

は、生涯のことを活写した名評伝。


ほかに、よくまとめている良書の評伝として、

・小沼文彦『ドストエフスキー』
(日本基督教出版1977年初版。)

・ヴィリジル・タナズ『ドストエフスキー』
(神田順子・ベリャコワ-エレーナ訳。祥伝社新書2014年初版。)

も、おすすめ。


他の評伝では載っていない、取り上げていない事跡を記した評伝もほかにいろいろとあり、今後、目を通してみたい。


     
[697] 2024/11/25/(Mon)17:33:41
名前 Seigo
タイトル 習慣のこと ― ドストエフスキーから得た考えや教え(8)
本文 「大尉、僕の見たところでは、君はこの四年間少しも変わらないね。」
前よりいくぶん優しい調子で、ニコライはこう言い出した。
「ふつう人間の後半生は、ただ前半生に蓄積した習慣のみで成り立つと言うが、どうやら本当のことらしいね。」
「なんという高遠な言葉でしょう!あなたは人生の謎をお解きになりましたよ!」
なかば悪くふざけながら、なかばわざとならぬ感激に打たれて(彼はこうした警句が大好物だったので)大尉は叫んだ。

(『悪霊』より。)
まったく、習慣てやつは、人間をどんなふうにもしてしまうものなのだ。
(『地下室の手記』より。)
習慣というものは実に根強いものです。
(「作家の日記」より。)
人はとかく慣れやすいものだ。国家的、政治的関係でもそうだ。習慣がおもなる原動力なんだ。
(『カラマーゾフの兄弟』のコーリャの言葉より。)


人間観察の大家(たいか)だったドスト氏は、上で言っている通り、国家や社会も含めて、人間の生活や人生においては、「習慣」が少なからぬ大事なポイントになることを見抜き、「習慣」の影響や力のことをしばしば指摘した。

ドスト氏の指摘にならい、自分の習慣をチェックして、よくない習慣はあらため、良き習慣を形成していきたいものだ。


     
    
[696] 2024/11/23/(Sat)11:46:15
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーと読書
本文   ※追記更新24/11/23 19:05

ドスト氏は、

 本を読むことを止(や)めることは、思索
 することを止(や)めることである。

と言っていて、思索を絶やさずに続けるために読書をしていた。

盟友のストラーホフは一つの言葉やちょっとした暗示だけであらゆる思想を把握してしまうドスト氏の頭の回転の速さや理解力に大層驚いたそうだが、ドスト氏は読書を通しても思索や思想を鍛え上げ深めていったと言える。

学生時代から、ドスト氏は読書を好み、バルザックの小説をはじめ、内外の小説を中心に読破している。

シベリア流刑時代は本を広く読むことは禁じられたが(聖書は読み続けた)、流刑を終えてからは、カントやヘーゲルをはじめ、思想書や科学書も取り寄せて、貪り読んだ。

ドスト氏の娘エーメの回想記によれば、晩年は、お茶の時間の晩の9時から深夜の仕事に取り掛かるまで読書を行う習慣があった。

読書は、ドスト氏にいろいろな成果をもたらしたに違いない。


   
   
   
[695] 2024/11/20/(Wed)17:26:35
名前 Seigo
タイトル 登場人物を通してのテーマの系譜的つながり(『罪と罰』〜『悪霊』)
本文 ドストエフ好きーであった文芸評論家の小林秀雄が

 ムイシュキン公爵はシベリアから帰っ
 てきたラスコーリニコフだ

と述べているが、
その見方にならって、

 スタヴローギンはスイスの療養所から
 再び帰ってきたムイシュキン公爵だ

と言ってよいのかも知れない。


『罪と罰』→『白痴』→『悪霊』と、テーマ的には、ラスコーリニコフ・ムイシュキン公爵・スタヴローギンの各々の振る舞いを通して、

 悪の帰結(情熱の悪の悲劇)
  ↓
 善の帰結(手放しの善の悲劇)
  ↓
 悪の帰結(虚無の悪の悲劇)

を、実験的に、順に深めて描いていったのだと思う。


善の権化(ごんげ)と言えるムイシュキン公爵の場合も、健康、生活力、お人好し、三角関係への対処等といった問題点を設定して、手放しのハッピーエンドに完結させていない点がいかにもドストエフスキー的だ。

 
[ロシア映画「白痴」より、ムイシュキン公爵とナスターシャ‐フィリポヴナ]
   
[694] 2024/11/17/(Sun)22:30:31
名前 Seigo
タイトル 佐藤さん、どうも
本文   ※追記更新 24/11/20 7:30

佐藤さん、どうも。
書き込み、ありがとさんです。

こちらは変わりはなくて、ドスト氏への興味関心も衰えること無く、元気でやっております。

ページ内内の「その他のコーナー」では、
  ・語句、漢字
  ・音楽、映画
  ・高校野球
  ・古今国内外の文学作品
  ・古今東西の名言
  ・古今国内外の思想家
など、人文系方面のメモ風に記した記事も増えてきているようです。

今年に入ってから、「ドストエフスキーのコーナー」では、各テーマについての過去の意見交換の投稿記事(かなり前のぶんから開始)を再掲載することを始めています。→ こちら
その中に佐藤さんの過去の投稿記事がありますね。


佐藤さんがこのたび触れている、
 常人とは異なるドストエフスキーの感性
  (ドストエフスキーが見ていたもの等)
については、興味が尽きません。
私の方では、最近は、ドスト氏は晩年、生き方・あり方の面でどういった境地に至っていたのか、いろいろと探(さぐ)っているところです。

ドストエフスキーについて、新たに思ってきたことや新たな気付きや視点など、何かありましたら、またいつでも書き込んでみて下さい。
    
[693] 2024/11/17/(Sun)21:25:38
名前 佐藤
タイトル ドストエフスキーは何を見ていたのか?
本文 Seigoさん、お久しぶりです。

 <幽霊はあの世の切れっぱなしですよ>と語るスヴィガイドロフや<時もはやなかるべし>と語るキリーロフに代表されるようにドストエフスキーの感性が通常のものでなかったことは明らかです。

 さて現代の私たちは何を学べばよいのでしょうか。

ゾシマ長老が「祈りと、愛と、他の世界との接触」でこのように語っています。
{地球の反対の端からお前の祈りが、たとえお前がその人をまったく知らず、先方もお前を知らぬとしても、その人の安らぎをねがって主の御許にのぼってゆくにちがいない。恐れおののきながら主の前に立ったその人の魂にとって、その瞬間、自分のためにも祈ってくれる人がいる。地上にまだ自分を愛してくれる人間が残されていると感ずることが、どんなに感動的であろうか}
 チェーホフの「学生」という短編にもこんな一節があります。
「そんな昔から今日まで、断絶せず続いている一つの鎖が見えるような気がしている。自分がその一方の端に触れたので、もう一方の端が揺れたのだ。」

 2022年のノーベル物理学賞に<量子もつれ>という現象があります。
<もつれたペアの一方の粒子について何かを測定すると、たとえそれが何万光年離れていたとしても、もう一方の粒子についても何かがわかるという2つの粒子の間の奇妙なつながりは瞬時である>

 量子もつれの現象は大変難解なものであり、どうしてこんなことが起きるのかまだすべて説明されているわけではないですが、現象としては観測されています。
 現在まだまだ仮説の段階ですが。ホログラフィック宇宙論にしても量子もつれと関連して少しずつ解明が進んでいるようです。
 
 ドストエフスキーやチェーホフの言葉と現代の最新の物理学理論を比較して考察するのも中々おもしろいと思っています。
 

 
[692] 2024/11/16/(Sat)21:20:20
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの洞察と警鐘
本文 次の森和朗氏の文章には、大いに感心したものだ。


ドストエフスキーは神秘的な宗教思想家と見られがちだが、近代の科学技術が人間に突きつける問題を彼ほど鋭く洞察した人がいるだろうか。「二二が四という方程式」の天文学的な射程を、おそらく彼は直感的に見通していたであろう。
[森 和朗『ドストエフスキー 闇からの啓示』(中央公論社1993年初版)より。]


科学・数式尊重の合理主義の風潮や科学技術や文明の進展に対するドスト氏の洞察や批判、警鐘は『地下室の手記』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などにおいて聞くことができる。
近代社会におけるその流れはとめることが出来ず、現代においては特に顕著であり、ドスト氏の警鐘には今後も耳を傾けるべきであろう。

   
      
[691] 2024/11/13/(Wed)21:57:38
名前 Seigo
タイトル 外国ののドストエフスキー論者(選・5氏)
本文       
これまで読んできた外国のドストエフスキー研究家のドストエフスキー論の中では、次の5氏のぶんがよい。


ニコライ・ベルジャーエフ
 ・など 

アンドレ・ジイド
 ・など

アンリ・トロワイヤ
 ・など

J‐M‐マリ
 ・など

レオニード・グロスマン
 ・など


     




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