[638] 2024/02/23/(Fri)15:39:24
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名前 |
ほのか
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タイトル |
『キリストのヨルカに召された少年』神西清訳 |
本文 |
Seigoさま、大変、ありがとうございます。
「神西清」氏 作家名:神西 清 作家名読み:じんざい きよし ローマ字表記:Jinzai, Kiyoshi 生年:1903-11-15 没年:1957-03-11 人物について:小説家・翻訳家・評論家。1903(明治36)年、東京牛込に生まれる。一高理科に入学し、堀辰雄を知って文学への関心が高まり、東京外国語露語科に転学。卒業後、北大図書館に勤めながら創作を志し、ソ連通商部を経たあと文筆生活に入る。ロシア語はもとよりフランス語にも長け、プーシキン、ツルゲーネフ、ガルシン、チェーホフ、ゴーリキー~バルザック、ジード、シャルドンヌらの諸作品を翻訳する。とくにチェーホフ作品は、その彫琢された文章によって名訳の誉れが高い。これらの業績から翻訳家として有名になったが、小説も寡作ながら「垂水」「灰色の眼の女」「少年」など、高踏的な凝った文体で書いた。応仁の乱を題材にした「雪の宿り」は自らの戦争体験を重ね合わせた歴史小説の逸品。博学で和洋の文学に造詣深く、「散文の運命」「チェーホフ試論」などの評論がある。1957(昭和32)年、舌癌により鎌倉で死去。享年53
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『キリストのヨルカに召された少年』 フョードル・ドストエフスキー 神西清訳
それは、ロシアのある大きな町であったことだ。その晩ばんは、クリスマスの前夜ぜんやで、とりわけ、寒さむさのきびしい晩だった。ある地下室ちかしつに、ひとりの少年がいる。少年といっても、まだ六つになったかならないかの、とても小さな子なのだ。何か、寝巻ねまきのようなものを着きて、ぶるぶるふるえている。 その地下室は、じめじめしてつめたい。宿やどなしや、貧乏人びんぼうにんの集まる場所ばしょなのだ。少年のはく息いきが、まっ白な湯気ゆげになって見える。少年は、すみっこの箱はこに腰こしかけて、たいくつまぎれに、わざと口から白い湯気をはいておもしろがっているが、じつは、何か食べたくてしようがないのだ。 少年は、朝からなんべんも、板いたでできた寝床ねどこのほうへ行ってみた。そこには、まるでせんべいのようにうすい下じきをしいて、何かの包つつみをまくらのかわりにあてて、病気びょうきのおかあさんが寝ている。どうしてこんなところに、やってきたのだろう。きっと、どこかほかの町から、その子をつれてきたのだが、急きゅうにかげんがわるくなったにちがいない。 この宿のおかみさんは、二日ほどまえに警察けいさつへ引っぱられて行った。何か悪いことでもしたのだろう。なにしろお祭まつりのことだから、とまっている人たちも、ちりぢりにどこかへ行ってしまい、残のこっているのは、失業者しつぎょうしゃみたいな男ひとりだった。この男は、お祭りのこないさきからぐでんぐでんによっぱらって、朝から晩まで、正体しょうたいもなく寝こけている。 いや、もうひとり、別べつのすみのほうに、八十ぐらいのばあさんが、レウマチでうなっている。もとはどこかで、乳母うばをしていたらしいが、今ではひとりぼっちになって、もうじき死しにそうなようすである。ため息をついたり、うんうん言ったり、ぶつぶつ少年にあたりちらしたりする。それで少年は、こわくなって、そのすみへは近よらないようになった。 飲む水だけは、やっと出口のあたりで見つけたけれど、食べるものといったら、パンの皮かわひとつ落ちていない。今朝けさから、もう十ぺんも、おかあさんを起しに行ってみた。とうとう、少年は、暗くらがりの中にいるのが心細ぼそくなってきた。日はもうとっくに暮くれかけているのに、あかりがともらないのだ。 おかあさんの顔かおにさわってみて、少年はどきりとした。おかあさんは、ぴくりとも動かない。おまけに、まるで壁かべみたいにつめたくなっている。 「ここは、とても寒さむいや。」と、少年は思って、もうなくなっているとは知らず、おかあさんの肩かたにぼんやり片手かたてをかけたまま、しばらく立っていた。やがて、手に息いきを吹ふきかけて、かじかんだ指ゆびを暖あたためると、いきなり、寝床ねどこの板いたの上にあった自分の帽子ぼうしをつかんで、そっと手さぐりで、地下室ちかしつからぬけだした。 もっと早く出たかったのだが、はしご段だんの上にがんばって、となりの人の戸口の前で一日じゅううなっている大犬が、こわかったのだ。その犬が、もういなかったので、少年はぱっと往来おうらいへとびだした。 見ると、ああ、なんてすばらしい町だろう。今までついぞ、こんなりっぱな町は見たことがない。これまでいたところは、通りにたった一つしかあかりがなく、夜になるとまっ暗くらだった。ひしゃげたような、木づくりの低ひくい家やなみは、みんなよろい戸をおろしてしまう。日が暮くれだすと、通りには、人っ子ひとりいなくなって、みんなが、うちにとじこもったあとには、なん百匹ぴき、なん千匹という犬のむれが、一晩ばんじゅう、うなったり、ほえたりしていたものだ。 だがそのかわり、あすこは、とてもあったかだったし、食べるものもちゃんとあったけれど、ここといったら――ああ、何か食べさせてくれないかなあ。おまけにここは、なんてそうぞうしい、やかましいところなんだろう。なんてまぶしくって、人間にんげんがどっさりいて、馬だの車くるまだのが走はしりまわって、おまけに、寒さむい身をきるような風が、吹ふきまわっているのだろう。へとへとになった馬のからだからも、熱あつい息いきをはく馬の鼻はなからも、こおった湯気ゆげがふうふうたっている。かさかさした雪をふみしだく蹄鉄ていてつが、敷石しきいしにあたって鳴なりわたる。みんな、おしあいへしあいのありさまだ。だが、何か食べたいなあ。ほんの切れっぱしでもいいんだがなあ。おまけに指ゆびさきまでが、急きゅうにいたくなってきた。おまわりさんがすれちがったが、気がつかないふりをして、そっぽを向いた。 おや、また往来おうらいだ。なんてまあ広い通りだろう。うかうかすると、ひきころされてしまうぞ。なにしろ、みんな夢中むちゅうで、わめいたり、走ったり、車をとばしたりしているからな。おまけにあかりの多いことといったら。どこを見ても、あかりだらけだ。だが、あれはなんだろう。やあ、なんて大きなガラスだ。ガラスの向こうは部屋へやになっていて、部屋の中には、天井てんじょうまでとどきそうな木が立っている。ははあ、クリスマス・ツリーだな。そのクリスマス・ツリーには、あかりや、金紙きんがみや、りんごが、どっさりつるさがっていて、そのまわりは、人形にんぎょうやおもちゃの馬が、ぎっしり並ならべてある。晴はれ着ぎを着たきれいな子どもたちが、部屋じゅうをかけまわって、笑わらったり、遊あそんだり、何か飲んだり、食べたりしている。おや、あの女の子が、男の子とおどりだしたぞ。なんてかわいい子だろう。ああ、音楽おんがくも、ガラスごしに聞えてくる。…… 少年は、あきれて、じっと見つめているうちに、思わずにこにこしだしたが、そのうちにもう、足の指ゆびまでいたくなってきた。手の指は、まっかになって、まげることもできないし、ちょっと動かしても、ずきんといたい。 そこで少年は、自分の指が、そんなにいたいほどかじかんでいるのに気がついて、おいおい泣なきながら、さきへかけだした。すると、またそこにも、ガラスの向こうに部屋へやがあって、やっぱりクリスマス・ツリーが立っている。プラムのはいったのや、赤いのや、黄きいろいのや、いろんなお菓子かしが並ならんでいる。その前には、りっぱな奥おくさんが四人すわっていて、はいってくる人ごとに、お菓子をやっている。入口のドアは、たえまなしにあいて、おおぜいの人が往来おうらいからはいって行く。少年はこっそりそばへよって、いきなりドアをあけて、中へはいった。それを見つけたときの、おとなたちのさわぎようといったら。みんなが、わめいたり、手をふりまわしたりする中で、ひとりの奥さんが、いそいでそばへよってきて、少年の手のひらに一円えん銅貨どうかをおしこむと、自分でおもてのドアをあけて、少年を追いだしてしまった。 少年は、びっくりぎょうてんした。そのはずみに、銅貨がすべり落ちて、入口の石段いしだんでちゃりんと鳴なった。まっかになった指はまげることができず、銅貨をにぎっていられなかったからだ。 そこを逃にげだすと、少年はどこへ行くのか自分でもわからず、どんどんいそぎ足で歩いて行った。また泣きだしたくなったけれど、こわさのほうがさきにたって、両手りょうてに息いきを吹ふきかけながら、いちもくさんに走はしって行く。やがて急きゅうに、さびしい気味きみのわるい気がしてきて、心細ぼそくなったが、そのとたんに、ああ、これはまた、どうしたことだろう。黒山のように人だかりがして、みんな目をまるくして見物けんぶつしている。 窓まどガラスの中には、小さな人形にんぎょうが三つ、赤や緑みどりの服ふくを着きて、まるで、ほんとに生きているようだった。じいさんが腰こしかけて、大きなヴァイオリンを弾ひいていると、残のこるふたりはそのそばに立って、小さなヴァイオリンを弾きながら、ひょうしにあわせて首くびをふりふり、たがいに顔かおを見あわせて、くちびるをもぐもぐ動かしている。何か話をしているのだ。ほんとに話をしているのだが、ガラスの向こうなので、聞えないだけなのだ。 はじめのうち少年は、ほんとに生きているのだと思ったけれど、まもなく、なあんだ人形にんぎょうなんだ、と気がつくと、いきなり大声で笑わらいだした。今の今まで、そんな人形を見たこともなければ、そんなのがあろうとは夢ゆめにも知らなかったのだ。泣なきたいような気もするけれど、そのくせ人形が、おかしくておかしくてたまらない。…… するとふいに、だれかがうしろから、ぐいとえり首くびをつかんだような気がした。見ると、大きななりをした不良ふりょう少年が、すぐうしろに立っていて、いきなり頭あたまをなぐりつけると、少年の帽子ぼうしをもぎ取って、足でうんとけとばした。地べたに、ころころころがったが、まわりでどっと人声がしたので、あやうく気が遠くなりかけた少年は、ぱっとはね起きると、まっしぐらにかけだした。どこを、どう走はしったか、自分でもわからないが、やがて、だれだか知らない人の門もんのすきからもぐりこんで、そこにつんであったまきのかげに、そっとしゃがんだ。 「ここなら、だいじょうぶだ。暗くらいからなあ。」と、少年は考えた。 しゃがんで、からだをちぢめながら、おそろしさに息いきをころしていたが、やがて、なんともいえないほど、いい気持になってきた。手も足も、ずきずきいたまなくなって、まるでストーブにあたっているように、ぽかぽかとても暖あたたかくなった。 とつぜん少年は、ぶるっと身ぶるいをした。ああ、うとうとねむりかけていたのだ。ほんとに、このまま寝ねてしまったら、さぞいい気持だろうなあ。 「もうすこし、ここにしゃがんでいて、あとでまた、あの人形を見に行こう。」と、少年は考えて、にっこりした。 「ほんとに生きてるみたいだったなあ。……」 するとふいに、頭の上で、おかあさんがねんねこ歌うたを、うたっているのが聞えだした。 「ママ、ぼく寝ているの。ああ、ここで寝てると、とてもいい気持だよ。」と、少年はつぶやいた。 「わたしのクリスマス・ツリーのところへ行こうよ、ねえ坊ぼうや。」と、頭の上で、静しずかな声がささやいた。 少年は、それもやっぱり、おかあさんの声かと思ったけれど、どうもちがう。おかあさんではない。いったい、だれが呼よんだのか、それは、少年にはわからなかった。けれど、だれかが上のほうからかがみこんで、暗くらやみの中で、そっと少年をだきあげた。少年もその人のほうへ、手をさしのべた。すると…… すると、とつぜん、ああ、なんという明かるいことだろう。ああ、なんというクリスマス・ツリーだろう。いや、これはもう、クリスマス・ツリーどころじゃない。こんなりっぱな木は、見たこともなければ、聞いたこともない。いったい今、どこにいるのだろう。あたりは、いちめん、きらきらと光りかがやいて、ぐるりはみんな、人形にんぎょうばかりだ。いや、ちがう。それはみんな、男の子や女の子で、ただそのからだが、すきとおるように明かるいだけなのだ。そしてみんな、少年のまわりをぐるぐるまわったり、ふわふわとんだりしながら、キスしたり、だいたり、かかえあげたりするのだ。そのうちに、自分までが、いつのまにかふわりふわりとんでいる。ふと見ると、おかあさんがこっちを見ながら、さもうれしそうに笑わらっている。 「ママ、ママ。ああなんていいとこだろう、ここは。」と、少年は声をはりあげて、また子どもたちとキスをする。早くこの子たちに、あのガラス窓まどの中の人形のことを、話してやりたくってたまらない。「きみたちは、どこの子なの。あんたは、どこの子なの。」と、すっかりもう好すきになって、にこにこしながら、少年はたずねる。 「これは、エスさまのクリスマス・ツリーなのよ。」と、子どもたちは答える。「エスさまのところにはね、この日には、いつもきまって、クリスマス・ツリーがあるのよ。それは、あすこで自分のクリスマス、ツリーのない小さな子どもたちのために、立ててあるのさ。」 だんだん聞いてみると、その男の子や女の子は、みんな自分と同じような身のうえの子どもばかりだった。中には、どこかの役人やくにんのうちの入口のところに、かごに入れたまま捨すて子にされて、こごえ死しんだのもいるし、乳母うばにそえ乳ぢをされながら、息いきがつまって死んだ子もいる。大飢饉ききんのときに、乳ちちの出なくなったおかあさんの乳首ちくびを、くわえたまま死んだ子もいるし、ぎっしりつまった三等車とうしゃの人いきれの中で、のどがつまって死んだ子もいる。それが今、残のこらずここに集まって、みんな天使てんしのように、エスさまのところで遊あそんでいる。そのエスさまは、どうかというと、みんなのまんなかで、両手りょうてをさしのべながら、子どもたちを祝福しゅくふくしたり、罪つみに泣なくおかあさんたちを祝福したりしていらっしゃる。……おかあさんたちも、ひとり残のこらずその横手よこてに立っていて、さめざめと涙なみだを流しながら、めいめい自分のむす子や娘むすめを、目でさぐりあてる。すると子どもたちは、すぐそのそばへとんで行って、キスしたり、小さな手で涙をふいてあげたりしながら、自分たちはここでこんなにしあわせにしているのだから、どうぞ泣かないでくださいと、なだめている。…… ところが、下界げかいでは、そのあくる朝、まきのうしろへもぐりこんで、そのままこごえ死しんでいる少年の小さな死がいを、門番もんばんの人が見つけた。おかあさんをさがしあててみると、こちらはむす子よりひとあしさきに死んでいた。そしてふたりは、天へのぼって、神かみさまのみもとでめぐりあったのだ。
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【619】の読者私の投稿文の一部分です。
「最後に、わたしはこの二年間に『日記』の中で、子供のこと、その教育のこと、わが国の家庭における彼らのみじめな運命、感化院に入れられた少年囚人、などについて語ったことも、一度や二度でなく、数回あったのを指示してもよいのである。一度などは、キリストの降誕祭遊びに招かれた一人少年について物語ったことすらある。もちろん、架空の出来事ではあるが、それでもわたしが子供に対して無感覚でも、無関心でもないことを、端的に証明するものである。」⇄米川正夫訳
「そして最後に、わたしはこの二年のあいだに、この『日記』の中で、児童問題、その教育のこと、わが国の家庭における子どもたちのいたましい運命のこと、わが国の国正のための施設に収容されている年少の犯罪者のことなどに言及したことも一再にとどまらず、何回かあったことをいちいち指摘することもできる。さらにまたキリストのヨールカに召されたある少年の話をしたことさえもあった。ーーこの出来事は、もちろん、作り話にはちがいないけれど、だが、それにしてもとにかく、わたしが子供たちに対して冷淡でも無関心でもないことを明らかに証明するものであろう」⇄小沼文彦訳
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【読者私感想文】
『キリストのヨルカに召された少年』を、今、初めて、読みました。
少年が可哀想で。泣いてしまいました。
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『ドストエフスキー読本』は、まだ読んでません。
先ずは、神西清氏は!?
そして、ドストエフスキー氏も言及してる『キリストのヨルカに召された少年』は、私にとっては、必読でしたね。
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