[665] 2024/07/21/(Sun)20:39:48
|
名前 |
Seigo
|
タイトル |
到達してしまうことを嫌ったこと ― ドストエフスキーの物事の見方(9) |
本文 |
※追記更新 24/07/22 07:40
人間は到達を好むくせに、完全に行きついてしまうのは苦手なのだ。もちろん、これは、おそろしく滑稽なことには相違ないが。 [『地下室の手記』より。]
人間の知恵は自分の望むところに到達するために授(さず)けられているのである。しかし、なにがなんでも一足とび(いっそくとび)に目的に到達しようというのは、私に言わせれば、知恵でもなんでもないのである。 [『冬に記す夏の印象』より。]
幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある。 [『作家の日記』より。]
コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない。 [『白痴』より。]
上に挙げた言葉で言っているように、ドストエフスキーは、目標とするところに完全にたどりつくこと、一気にたどりつくことを嫌い、怖れ、苦手とした。その目標にたどりつくまでの過程、及び、その過程における生活の絶え間なき探求を大事にした。
ドストエフスキーの作中にしばしば見られる幸福恐怖症も、このあたりの考えから来るのだと思う。
ドストエフスキーのこのあたりのことに注目したアンリ・トロワイヤ氏は評伝『ドストエフスキー伝』の末部を、こう結んでいる。
「到達せざることにおいて、人は偉大になる」とゲーテは言っている。ドストエフスキーは、到達しなかったからこそ、偉大なのだ。

|
|
|