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[84] 2022/05/22/(Sun)09:23:35
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Seigo
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★Stop Putin Stop War★ ― プーチン氏とドストエフスキー (2) |
本文 |
※追記・更新 22/05/22 20:40
投稿[79]に、先ほど以下のこと(>〜〜)を追記して、ロシアに独裁政権を打ちたててきたプーチン氏に注目やインパクトや影響を与えたと思われるドストエフスキーの思想を具体的に列挙してみました。
>投稿[79] >具体的には、ドストエフスキーの思想のうち、 >・対外戦争論(聖戦論、領有論)、 >・権力論(大審問官論、ラスコーリニコフの英雄論・法の乗り越え論、権力による統治論・分配論)、 >・自由論(自由譲渡論、自由とパン論)、 >・組織論(組織の維持と結束論)、 >・ユダヤ論(反ユダヤ主義論)、 >・無神論(犯罪行為の自覚論、人の死生論) >などが、残念ながら、挙げられるだろうか。
なお、 プーチン氏と『罪と罰』のラスコーリニコフの類似については、 こちらのページやこちらのページに、その論があります。
私としては、犯罪行為の自覚という点で、 『カラ兄弟』のゾシマ長老の、
「しかし、神はロシアを救ってくださるであろう。なぜなれば、いかに民衆が堕落して、悪臭ふんぷんたる罪業を脱することができぬとしても、彼らは神が自分の罪業をのろっておられる、自分はよからぬ行ないをしている、ということを承知しているからである。わが国の民衆は、まだまだ一生けんめいに真理を信じている。神を認めて感激の涙を流している。ところが、上流社会の人はぜんぜんそれと趣きを異にしている。彼らは科学に追従して、おのれの知恵のみをもって正しい社会組織を実現せんとしている。もはや以前のごとくキリストの力を借りようとせず、もはや犯罪もない罪業もないと高言している。もっとも、彼らの考え方をもってすれば、それはまったくそのとおりである。なぜなれば、神がない以上、もう犯罪などのあろう道理がない!」
という言葉に注目したい。 上の「上流社会の人」は、今のプーチン氏に重なって見えます。 政権の維持というエゴのもと軍事侵攻して人命や地域を蹂躙していく国際戦争犯罪行為を罪の意識・自覚なく行なっている今のプーチン氏には、『カラ兄弟』の中の上の箇所を、あらためて、しかと受けとめてもらいたい。 |
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[83] 2022/05/21/(Sat)20:15:38
名前 |
Seigo
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タイトル |
人間の生・生命を尊びありがたく思っていたドストエフスキー |
本文 |
※追記・訂正 22/05/22 09:15
そうですね。
ある論者が、ドストエフスキーは神の存在を問い続けながら最終では人間の生や生命の尊厳ということに至ったと言っている通り、生という宝を持つ個々の人間の生命・生というものを重んじることは、ドストエフスキーの重要な思想の一つだと私も思う。
「生より尊いものが、なにがあろう! なにもないのだ、なにも!」 ( 『カラマーゾフの兄弟』より。)
ロシア軍の軍事侵攻により、ロシア本国の兵士たちも含めウクライナの人々の生活や命が蹂躙され、さらには我々地球社会の平和までが脅(おびや)かされている今、ドストエフスキーのこういった思想から大いに学ぶべきだと思う。 |
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[82] 2022/05/21/(Sat)00:19:18
名前 |
うなぎ犬
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タイトル |
生命の尊さと共通認識。 |
本文 |
ドストエフスキーの真意を読み解くために、Seigoさんの言う通り、我々の視点からではなくドストエフスキー、その人の立場や背景や思想遍歴を理解し吟味した上で、探っていく、それが良いのかもしれませんね。
そこで更に大切なことは「生命は尊い」という、最も素朴で、それでいて真実な思いを抱けるか否かです。
19世紀ロシアと21世紀日本ではそもそも背景が全く異なります。
私たちがドストエフスキーの作品から何かを学び活かしていくためには、何よりもまず、「生命は尊い」という単純な思いを起点として共通認識を築き上げることだと思います。
ドストエフスキーをある思想やイデオロギーの道具とすべきではない。
今こそ人間ドストエフスキーに還るべきなのではないかと思います。
>『あの命この命』作詞作曲:稲葉浩志
一歩踏み出す度に 重いリュックが揺れ
その底にあの人の 手紙と写真
最前線(げんば)でためらうことは 許されず
こっちの愛のために あっちの愛を消す
あの命この命 どちらがどれだけ重いんでしょう
愛しいものを初めて知った せめてあの温もりよ永遠に
以上、『あの命この命』から引用
ロシア人もウクライナ人も、同じ人間であり命であります。
生命は尊い、その確信を起爆剤とすれば対話が出来ないはずはありません。
どちらの命も、同じく尊いのであります。
あっちもこっちもありません。
命を命と観れない、これほどの重い病はありません。
そんな病は駆逐すべきであり、この悲劇をきっかけとして、真実の平和(条約を締結するだけの虚しい平和ではなく)、世界中の民の叡智を結集して理想の世界を未来に創っていきたい。
そうなふうに思う今日この頃です。
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[81] 2022/05/20/(Fri)21:35:24
名前 |
Seigo
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タイトル |
相手の側に立った相手の理解ということ |
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>うなぎ犬さん >ドストエフスキーは対立概念を超えたイデア界のようなものを、時には大切にし、時にはそれらがむしろ弊害になることを知った上で、それでも人間を肯定した人だと私は思ってます。
今日、うなぎ犬さんから、ドストエフスキー観を聞けて、嬉しいです。 ドストエフスキーの独自の世界観・人間観を踏まえたユニークな見方のように思います。
あらためて思ったのですが、このたびのプーチン氏やウクライナのことの理解もそうですが、ドストエフスキーの世界観・人間観のことを理解する場合、こちらの視点から理解しようとしがちであり、ドストエフスキーの側の視点・視界・背景に立った理解(ロシアの思想史やドストエフスキー自身の独自の思想遍歴を踏まえた理解など)が必要なのかなと。
このたびのうなぎ犬さんの下のドストエフスキー観も、そういった見方からのものでしょうか。 |
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[80] 2022/05/20/(Fri)18:13:58
名前 |
うなぎ犬
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タイトル |
真意を掴むことの難しさ |
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Seigoさん、お久しぶりです。
お元気そうでなによりです。
プーチンがドストエフスキーをどう解釈したかはわかりかねますが、日本の学者でもアリョーシャ、デクノボウ論を唱える人もあるくらいですから、そもそも、ドストエフスキーの作品やその人の思想を正しく掴むことの方が難しいのかもしれませんね。
ドストエフスキーは対立概念を超えたイデア界のようなものを、時には大切にし、時にはそれらがむしろ弊害になることを知った上で、それでも人間を肯定した人だと私は思ってます。 |
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[79] 2022/05/19/(Thu)21:09:19
名前 |
Seigo
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タイトル |
★Stop Putin Stop War★ ― プーチン氏とドストエフスキー (1) |
本文 |
※追記・更新 22/05/22 20:40
お久しぶりのうなぎ犬さん、 このたびのプーチン政権のロシアの状況を、同じく甚だ憂えているとは言え、お元気そうで、何よりです。
うなぎ犬さんが言うように、ウクライナの事態とプーチン政権について、大いなる力の働きのもと、今後、朗報や希望さらに現れてくることを、自分も願っています。
なお、最近思っていることは、自国のドストエフスキーの作品や評論は、プーチン氏に、どの程度、どのような影響を与えてきたのだろうか、ということです。 投稿[30]で触れましたが、プーチン氏は、新装開館したモスクワのドストエフスキー博物館を昨年11月に視察で訪れ、館内に置かれてあるメッセージノートに、「ドストエフスキーは天才的な思想家だ」と書き込んだそうです。
博物館を訪れたプーチン氏
プーチン氏の上の言葉から感じられることですが、あのナチスがドストエフスキーの作品や思想を悪用利用したように、もしプーチン氏がドストエフスキーのいくつかの作品や社会評論の内容に接して、自身に都合よく捉えて、注目やインパクトがあったり、我が意を得たりとしたりなどがあったかもしれない。 具体的には、ドストエフスキーの思想のうち、対外戦争論(聖戦論、領有論)、権力論(大審問官論、ラスコーリニコフの英雄論・法の乗り越え論、権力による統治論・分配論)、自由論(自由譲渡論、自由とパン論)、組織論(組織の維持と結束論)、ユダヤ論(反ユダヤ主義論)、無神論(犯罪行為の自覚論、人の死生論)などが、残念ながら、挙げられるだろうか。
もしそうであるのなら、プーチン氏には、ドストエフスキーの作品・評論を捉え直し読み直して、ドストエフスキーの真意・本意・中心となる大事な思想の方に立ち戻ってもらいたいと思うばかりだ。 |
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[78] 2022/05/18/(Wed)22:22:41
名前 |
うなぎ犬
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タイトル |
二二が四は死の始まり |
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皆さんこんはんは。
近代合理主義に潜む、合理化や抽象化の罠を見破っていたドストエフスキー。その故国から独裁者が生まれるとは誠に歴史の皮肉と言わざるを得まいですね。
無辜の民の慟哭。
闇が最も深いとき、光は最も近くに存在する。
哀しい報道が溢れていますが、希望をもって生きていきたいものです。
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[77] 2022/05/08/(Sun)20:32:10
名前 |
Seigo
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タイトル |
★Stop Putin Stop War★ ― このたびのウクライナ侵攻のこと (6) |
本文 |
追記・更新:22/05/18 21:17
佐藤さん、お疲れ様。
引き続いてやまないプーチン政権のウクライナ武力侵攻の数々の所業は、人々の命を甚だ軽んずるものであり、迷惑であり、卑怯であり、脅威であり、自省・自制・自正(自ら省み制し正すこと)の欠如したその独裁の独善ぶりには全く困ったものです。
今回の問題は、同胞愛の実践などロシアの将来の歴史的使命を唱えアリョーシャのような人々に未来のロシアを託したたドストエフスキーを生んだロシアの問題であり、このたびはプーチンとは蜜月のロシア正教界のキリル総主教もからんでいると聞くと、今のロシアのことを思う自分の気持ちには複雑なものがあります。
しかし、ありがたいことに、ロシアの核兵器はすでに使用ができなくなっており、そのほか、各方面でいろいろと動きや働きかけが行われてきているようなので、悪しき流れが変えられて、ロシアの状況が今後良き方向へと向かっていってほしいと思う。 |
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[76] 2022/05/08/(Sun)10:32:20
名前 |
佐藤
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タイトル |
<人間に必要なのはーただ一つ、自分独自の恣欲である>ドストエフスキー(地下室の手記) |
本文 |
Seigoさん。お久しぶりです。
混沌とした世界の情勢が続いています。 ウクライナはいったいどうなるのかとみなさんご心配されておられることでしょう。
ウクライナの過去の歴史を振り返ってみると、私たちが思うように、ウクライナはウクライナのものだというような当たり前の認識が一部のロシアの人々にいったい通じるのだろうかと考えてしまいます。
この問題を本質的に解決するにはどうすればよいのか。タイトルにも上げましたが、人間に対する深い洞察が必要なのことは分かるのですが具体的な方法が見えてきません。
かなたにはアリョーシャ・カラマーゾフの<無償の愛>の世界の輝きがあるのでしょうが、現実は中々厳しいですね。
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[75] 2022/05/05/(Thu)12:40:42
名前 |
Seigo
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タイトル |
ドストエフスキーの事跡についての気付き ― 重要な事跡(1) |
本文 |
追記・更新 22/05/08 20:43
ドストエフスキーの生涯には、興味深い事跡が数多くあるが、重要だと私が思う事跡を、挙げてみたい。今回は、まず、三つ挙げてみる。
一つ目は、17歳の時に父ミハイルが領地の農奴の怨みを買って殺されて亡くなったこと。
この父横死の知らせは、モスクワを離れてペテルブルグの陸軍中央工兵学校に入学して2年目だったドストエフスキーに、かなりの衝撃を与えたが、彼を監視し束縛し、彼が将来進む道も決めていた父がいなくなり、彼が強く希望していた作家になることを、妨げられることなく、その後選ぶことが出来たという点で、ドストエフスキーの生涯において注目すべき出来事であると思う。自分が作家になることをゆるさない父の死を心の奥底でひそかに願っていたことに気付いていたドストエフスキーは、そのことに、その後ずっと、罪意識を持ち続けた。このことは、晩年、『カラマーゾフの兄弟』においてイヴァンのこととして取り上げられることになる。

二つ目は、27歳の時、「ペトラシェフスキーの会」内のサークルへ参加し活動していたかどで、捕らえられ、予告無しに銃殺刑を言い渡され、処刑の直前に皇帝の特赦の知らせが来て、銃殺による死を免れたこと。
この時の体験のことは、御存じの通り、イヴァン小説『白痴』でも語られている。死を間近にしたドストエフスキーの精神の状況に興味は尽きないが、一方で、まさに起死回生となったこの時のドストエフスキーの歓喜・安堵の方にも注目したい。これにより、ドストエフスキーは、その後は、儲(もう)けものとなった生を本当に大切にしようと思ったに違いないのだ。しかし、このあと、自由を奪われる強制の生活を強いられるシベリア流刑となったことは皮肉と言うしか無い。

三つ目は、45歳の時に、小説『賭博者』を口述筆記によって完成させるために雇ったことで、若い口述筆記者アンナと出会い、彼女を見初(みそ)めて、その後再婚し、ドストエフスキーは、その後晩年まで、創作の過程の面でも、幸せな私生活の面でも、彼女に大いに支えられたこと。
ドストエフスキーは、銃殺刑を免れた当日に出した兄ミハイル宛の手紙に、「人の一生は――贈物です、人生は――幸福です。」と記しているが、上の二つ目のことと、この三つ目のことは、まさに、この言葉が特に当てはまるのではないだろうか。
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