ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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[302] 2023/03/20/(Mon)12:13:58
名前 ほのか
タイトル 『ゴリオ爺さん』を、読み進まず。
本文 @ 溝は泥で真っ黒な色をしている。この谷間は本当に苦しみに満ち、喜びはしばしば間違いだったりする。

Aそして恐ろしく差し迫った用事があるのだと言い立てても、感覚が麻痺したようなこの地では新たな興奮を呼び起こすのは容易ではない。

↑@〜A ドストよりは、軽く軽快に読み進む。けれども、Aは、鋭い《指摘》ですね。

B しかしながらこの地域では、ここかしこに悲しみが満ち溢れているため、悪徳と美徳の密集地帯が巨大で崇高な存在になっている。⇄なかなか、面白い小説のようです。読者感想

C 想像を絶する惨状に、人々の利己主義や打算も一時停止して、しばらくは同情を寄せることもあろう。しかし、人々が最初に抱いた印象すら、美味しい果実のようにたちまちむさぼり食われて、跡形もなく消えてしまうのがおちなのだ。インドのクリシュナ神像を載せた山車と同じように、パリの華やかな文明を積んだ戦車は、人を踏み潰すことをためらい、しばし停車することはあっても、結局は弱者を粉砕しつつ栄光へ向かって前進を続けるのだ。⇄ふむ

D 貴方は言うのです。こいつは面白そうだな、ってね。ゴリオ爺さんの不幸せな秘話を読んだ後、旺盛な食欲で夕食を済ませ、⇄ふむ

E このドラマは作り話ではなく小説でもないのです。⇄哲学の本!?読者感想

F 賄い付き下宿として運営されているこの館はヴォーケ夫人が所有していた。館はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの低地⇄環境&状況

 「この環境はヴァル・ド・グラスの丸屋根とパンテオンの丸屋根に挟まれた窮屈なこの通りを支配する静けさをもたらしていた。」

G 最も楽天的な人間もここでは他の通行人同様に悲しくなり、馬車の音がここでは騒ぎとなり、家々は軒並み陰鬱で、城壁もまるで牢獄のように感じられる。もしパリっ子がここで道に迷ったとしたら、目にするのは高級下宿屋か学校、悲惨さか倦怠感、老人が死にかけているか、あるいは陽気な若者が仕方なく働いているか、そんな光景だけだろう。パリのどの区域だって、ここほどひどいところはないし、はっきり言って一番知られていない場所なのだ。ネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通は至る所、まるで鈍色の空気に浸ったような街だし、この物語にぴったりはまる唯一の場所なのだ。ここにセピア・カラーや深遠な思想をどんなに一生懸命ほどこしたところで、知性を溢れさせるのはなかなか難しい。ここでは日の光が段々と衰え、案内人の声も妙に空しくこだますので、初めての旅行者はまさにあのカタコンベ[2]に降りてゆく気分にさえなってしまう。そうだ、こんな比較はどうだろうか! ひからびた心臓、それとも、空洞となった頭、貴方にとって見て恐ろしいのはどちらだろう? 私に教えてくれ給え。⇄環境&状況2

Hこの裏庭はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りに向けて

I テレマック”[4]の主要場面を絵に描いた紙で覆われていたが、

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 青空文庫で読んで、楽しそうだったのですが。

 青空文庫がコピー出来ずに、ワープして、

 「社交界デビュー」を、読んだら、《ねえ、ウージェーヌ、どうぞ母の気持ちを察してね。》などから、【理屈っぽくなってきて】、読むのを断念。

 やはり、作家ドストエフススキイ氏のユーモア溢れて、人間が大好きな、そして、人間をポズィティブ視する姿勢が充満してる小説は、大好きですね。

[301] 2023/03/17/(Fri)11:52:46
名前 ほのか
タイトル 『ゴリオ爺さん』面白そうですね。僧侶のHPも、途中まで読みました。面白いです😃
本文 『ゴリオ爺さん』読んでみましょう🎶
[300] 2023/03/15/(Wed)20:26:30
名前 Seigo
タイトル 『ゴリオ爺さん』と『罪と罰』の類似のこと
本文 HP内の人文方面のその他のコーナー「外国の作家(50人選)と作品」の追記更新のために、先月からバルザックの各小説について、いろいろとチェックしていて、バルザックの『ゴリオ爺さん』とドストエフスキーの『罪と罰』は、登場人物やその配置など、いろいろと対応していて似ている部分があることに気付きました。

自分は『ゴリオ爺さん』については、登場人物など、その内容はいくらか知っていたものの、まだ読んでいないので、今回この小説のあらすじや登場人物を確認していく中で気付いたのでした。

ドストエフスキーは、学生時代からバルザックの小説は熱心に読んでいますし、『罪と罰』と『ゴリオ爺さん』の類似については、両方の小説を読めば気付くことなので、ドストエフスキーの研究者の間でこの指摘はすでになされているのではないかと思います。その本格的な論文等はまだ確認出来ていませんが、ドストエフスキーを愛好するお方の簡単な指摘ながら、こちらなどが、その後確認出来ました。
『罪と罰』の創作ノートに『ゴリオ爺さん』の主人公ラスティニャックの名が見られることなどは貴重な情報です。

なお、
『罪と罰』で作者はどういう事情でスビドリガイロフを登場させたのかということが以前から気になっていたのですが、今回の気付きにより、作者は『ゴリオ爺さん』の登場人物(主人公ラスティニャックに交渉してくる謎めいた悪党ヴォートラン)との対応を考えて、同様のキャラを持つ登場人物としてスビドリガイロフを登場させたのではないかという見方も出てきたのでした。


   
   
[299] 2023/03/15/(Wed)18:29:51
名前 Seigo
タイトル 三田誠広氏のドストエフスキー関連の小説のことなど
本文 泉さん、どうも。
お元気に活躍されていて、なによりです。

挙げてくれた、
・『[新釈]悪霊――神の姿をした人』
をはじめ、ドストエフスキーの各長編を独自の視点で再構想して新たに創作した三田誠広氏の一連の小説(その一覧はこちら)は、自分はいまだよく読んでいませんが、三田氏の他の種々の小説群も含めて、もっと注目され、その内容は検討されてよいものでしょう。
泉さんの方で、読んでみて、その気付きがあれば、また、投稿してみて下さい。


触れている通り、先日、大江健三郎氏が逝去されましたね。
大江氏は、いくつかの著作の中でドストエフスキーに言及していて、ドストエフスキーにかなり興味関心を持ち続けた人でした。定期的にドストエフスキーの小説を読み返して、自身を鼓舞したとのこと。
自分は大江の氏の小説の作風や文体は好みでないので、同じくドストエフ好きーの村上春樹氏の小説は結構読んできたことに比べて大江氏の小説はこれまでほとんど読んでいませんが、大江氏の独自のドストエフスキー論(その一覧はこちら)や文学論の方は、あらためて読み返してみたいと思っているところです。
     
[298] 2023/03/15/(Wed)10:09:09
名前 泉 泰弘
タイトル 私もお久しぶりです
本文 大江健三郎氏が亡くなったので、以前入り浸っていたサイトをいくつか廻ってみましたが、ふと「そういえばあそこはどうなったんだろう?」と思い出したので捜してみたら、ここは今なお健在と判り嬉しい&懐かしい限りです。私が掲示板に長文投稿を連発していたのは20年以上前のこと。その後「カラマーゾフの妹」(高野史緒著)の感想を書き込みに訪れたことがあると記憶していますが、それからも10年近くが経とうとしているはずです。ということで、今回は当時のハンドルネームでなく本名を使います。

ドスト氏の全作品読破の2巡目を完了したのが2015年のことで、それ以降はすっかり遠ざかっています。(ちなみに最後の「カラ兄弟」は、ブックオフの100円コーナーで買った新潮文庫 (上中下巻) を出張先のアフリカで読みました。ということで1巡目の小沼文彦訳 (筑摩世界文学大系) でなく原卓也訳です。)3巡目に取りかかるのは退職してから(最長で7年後)になるでしょうね。

ところで、このページの一番下にある佐藤様の投稿ですが、そのタイトルと内容から、「ひょっとして『生き抜くためのドストエフスキー入門』(新潮文庫)の著者さん(優氏)ではないだろうか?」と思ってしまいました。(それで過去ログを当たってみたのですが、どうやら人違いだったようですね。失礼しました。)なお私はその本を昨年秋に約1年遅れで読みましたが、あたかも4ヶ月先のウクライナ侵攻を予見していたかのような著者の慧眼に驚くとともに、そこに何度か出てくる「ロシア土壌主義」を知って、あの戦争の見方が少しだけ変わりました。もちろん蛮行を1ミリたりとも是認するつもりはありませんが・・・・・

ひとたび脱線すると止まらなくなる悪い癖は相変わらずですので、これにて終わります。なお今押し入れで「新釈 罪と罰 ─スヴィドリガイロフの死」(三田誠広著)が「積ん読状態」になっており、いつかその感想を書きに来るかもしれません。それではごめんください。


追伸
 たしか自己紹介の投稿時に書いたと思いますが、敢えて未読にしていた「悪霊」は2巡目にも手を付けませんでした。私が敬愛している禅宗の僧侶(南直哉氏)にとって出家が「切り札」だったのと同じ理由です。とはいえ、当方も既に人生の折り返し地点をとうに過ぎ、そんなこだわりはもう必要ないのかもしれません。それに私にだってその気になれば彼と同じ切り札は使えるでしょうから。
[296] 2023/02/27/(Mon)18:37:25
名前 Seigo
タイトル 日々、お疲れ様です
本文 ほのかさん、smokyさん、どうも。

smokyさん、ほんとにお久しぶりの来訪・投稿、ありがとうございます。お元気そうで、何よりです。

こちらはドストエフスキーとその文学・思想への興味は薄れることなく、御覧の通り、当ページは、いろいろと様変わりはしましたが、こつこつと続けております。

当ボードでは、今年の初めに佐藤さんの書き込みがありましたが、ずっと以前に書き込みをしてくれていたsexyFMさん、n_kumaさんなどの皆さんは、しばらくの間、当ボードではお見かけせず、ご無沙汰しています。
自分は「ドストエーフスキイの会」には関わっていないので、よくはわかりませんが、有容赦さん、sexyFMさんなどの皆さんは、「ドストエーフスキイの会」の方で、研究発表や会の運営の面で、今も、活動・活躍されているのではないかと思います。

smokyさん、
ドストエフスキーのことなど、思ってきたことなど、気が向いたら、また、いつでも、書き込んでみて下さいね。
(なお、ページ内のコーナー「過去の投稿記事(選)」には、smokyさんの過去の投稿記事の一部が以前から掲載されています。smokyさんの最初の投稿は2000年10月。)
   
[295] 2023/02/27/(Mon)03:23:45
名前 smoky
タイトル 時空を超えてこんにちは
本文 あぁ懐かしい。私がこの掲示板に書き込みしていたのは何年前のことだろう。。

Seigoさんご無沙汰しております。大阪在住のsmokyとです。あれが何時の頃だったのか、サッパリ記憶にございませんが、あれは確かに今生のことでした。

お相手で一番記憶に残っているのは、n_kumaさん、sexyFMさん、あと「ドストエーフスキイの会」の連絡役を兼ねていためちゃくちゃ優しいアリョーシャ好きの方。そうだ!有容赦さんだ!

皆さん、お元気でしょうか。
Seigoさん、皆様の近況ご存知でしょうか。

あれから無限の瞬間が流れ、おかげで私も正常進化を遂げ、現在では必然である量子力学に至っております。過去は必然であり、未来は不確定性原理が支配する確率の世界。その結節点が今。

懐かし過ぎる!一度だけ「ドストエーフスキイの会」に妻と共にお伺いしましたが、その時のテーマ「永遠の夫」の発表者であったn_kumaさんのことを今更ながらに思い出します。

改めて、言語は時空間を超える。それによって我々は時間の隔絶を超えてドストエフスキーとも対話することが出来るけれども、僅か100年足らずの生身の時間に出会った喜びを、再会の可能性を確認したいのだ。皆さまのご健在を望む。
[294] 2023/02/24/(Fri)09:45:35
名前 ほのか
タイトル 〈心の圧迫感〉
本文 『罪と罰』を、久しぶりに、再読したら、登場人物、つまり、主人公とかと思いますが。感情移入が、半端じゃなく、出来ていますね。

 まるで、知り合っている人のように、本を、読んでいってますね。

 《ラスコリーニコフ》も、そういう意味では、身近に感じてしまいますね。

 前回に、転記した文章。つぎに、事件後は、書きたくなる文章があるのですが。

 事件後は、希望的観測から、転記するのは、やめました。

 「彼が、屋根裏部屋を、塒ねぐらにしていた」それによる事件が起きたという分析ですが。

 読者には、《彼が、屋根裏部屋を、塒ねぐらにしていた》という、背景は、事件を起こし易い、分かり易い設定ですが。

 どんな環境であれ、本人の、自主的前向きな生き方や、本人を第三者的に見る姿勢が、本人が、携えているかどうか!が、事件との繋がりになると、考えます。

 心の圧迫感は、自分自身が、造りあげてしまうものなので。

[293] 2023/02/22/(Wed)20:36:25
名前 Seigo
タイトル 天井が低くて狭い部屋に寝起きするラスコーリニコフのこと
本文 ほのかさん、どうも。

『罪と罰』のラスコーリニコフの状況についての考察と批判は、興味深いです。

彼が屋根裏部屋を塒(ねぐら)にしていたことについて、先月、ネット上で、次のような記事を見て、感心しました。

低い天井の下で長く生活をすると、人間は空間から圧迫感を受け、いつしか考え方が歪(いびつ)になる。これは建築理論的に正しい。建築は、人の生活が便利で快適になるように設計するが、ひとたび家が完成し、そこで生活が始まると、逆に人の生活を規制する。生活ばかりでなく、考え方も変える。ラスコーリニコフが低い天井ではなく、もっと広い快適な空間で生活していたら、彼には積極的で建設的な考え方が沸いてきて、こんな犯罪は思い浮かばなかったかもしれない。
[サイト「読書と映画」より。]


作者ドストエフスキーも、作中で、

 低い天井や狭い部屋は、頭と心を
 締め付けるもんだよ。

と述べさせていて、老婆殺害という凶行へと走ってしまうラスコーリニコフの生活状況の巧みな設定だと思う。

古来、社会的事件を起こす人間の生活状況というのは共通しているとつくづく思う。ドストエフスキーのすぐれた予見的な洞察力を示すものでしょう。
      
[292] 2023/02/10/(Fri)15:11:21
名前 ほのか
タイトル ラスコリーニコフが、そばにいると思うと、読者私は、『ドキドキ』
本文 ==============
なんとなく、開いたページです😃 江川卓訳
==============

第二部





「それはもう中年の、いかにももったいぶった感じの紳士で、慎重居士らしい、気むずかしいしそうな顔をしていた。〜ラスコーリニコフの、狭苦しい、天井の低い『船室』を眺めわたした。〜「ロジオン・.ロマヌイチ・ラスコリーニコフ君でしょうか、大学生の、いや、もと大学生だった?」〜ラスコリーニコフ自身は、この間終始無言のままで、仰向けに寝そべり、べつにこれといった考えのないままで、新来の紳士をまじまじと見つめていた。〜、いどみかかるような、けれど切れ切れの弱々しい声で言った。「そうです! ぼくがラスコリーニコフです! なんのようですか?」〜「ロージャのやつはもう五日も病気で寝てるんですよ。三日ほどはうわごとの言いづめでしてね。〜」」




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