ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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[766] 2025/05/12/(Mon)19:33:40
名前 Seigo
タイトル 嘘とドストエフスキー
本文 ドストエフスキーには、嘘についてのコメントが時々見られる。

一つは、真実に到達するためには、途中、嘘を混ぜる必要があるという意見。

二つ目は、自分に嘘をついてばかりいると、自分の内にも外にも、信じれるものの見分けがつかなくなっていくと言っている。

前者は、いかにも、作家らしい考えだと言えよう。

   
湯川秀樹氏の発言だったと思うが、『カラ兄弟』では、登場人物は、よく嘘をつく、という発言を見たことがある。

その言葉を聞いて、『カラ兄弟』を細かくよく読んでいる結果、そう言ったんだと思うが、自分は、そうかな?と思い、いまだ確認出来ていない。ドミートリイあたりが取り調べの予審の際によく嘘をついているのだろうか?
    

[765] 2025/05/10/(Sat)10:38:02
名前 Seigo
タイトル 重要な生涯の事跡(8) ― 言論活動を平行して行なったこと
本文    
ドストエフスキーの生涯にわたる活動で注目したいのは、小説の創作活動に平行して、雑誌発行のジャーナリストとして言論活動を続けたことだ。

言論活動も続けた事情や背景については、

・青年期よりロシアの社会の諸問題について大いに関心があったこと。

・雑誌の編集や発行に従事して、小説の掲載のみでなく、時事評論の掲載も行なったこと。

・シベリヤ流刑や欧州への旅行や滞在を通して、ロシアの民衆や、欧州に比してのロシアへの関心や考察が促されたこと。

・当時のロシアでは、作家も、憂国の士として社会発言をしていく伝統・傾向があったこと。

などを挙げてみたい。

なお、ドストエフスキーにおいては、小説であっても、『悪霊』『鰐』、『ペテルブルク年代記』『ペテルブルクの夢』をはじめ、当代の時事問題や社会問題を盛り込んだ社会小説や、時評風随筆(フェリエトン)ふうの小説も見られることは、周知の通りだ。

 

 
   

※、これまでの投稿ぶん
ドストエフスキーの重要な事跡(1~7)
  
  
[764] 2025/05/07/(Wed)19:16:14
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説の特徴(22)
本文    ※追記更新 25/05/08 07:35


これまで当ボードで挙げるの落としてましたが、ドストエフスキーの小説に見られる顕著な特徴として、

  短時日(たんじじつ)性

ということが挙げられるだろう。

ドストエフスキーの小説においては、後日談の場面を除けば、メインとなる出来事や事件が展開していく期間が、数日であり、短期間だということだ。

加賀乙彦氏は氏の著『ドストエフスキイ』(中公新書) で、この点を確認して、

『罪と罰』は二週間、『白痴』は八日間、『悪霊』は十日間、『カラマーゾフの兄弟』は六日間の記述である。

と指摘している。(『白痴』は6日間だと言っている研究者もいるようだが、こういうふうに指摘されると、自分などは、あらためて、一驚してしまったのだった。)

この短時日性は、ドストエフスキーの小説のどういった性格や、作者ドストエフスキーのどういった作風や小説観から来ているのかを考えてみることは、とても意義があるだろう。
次に気付くものを挙げておく。

・作者はその間の時間の経過を忘れてしまっているかのように、作中の内容としての会話を長くしていること。

・作者は出来事が続く期間が長い大河小説や歴史小説を書くことには興味がなかったこと。

・過去の出来事は、今の会話や作者の叙述で語っていくという形を取っていること。

・長期間に渡る出来事を客観的に描写叙述していくことよりも、今の登場人物の思いや考えや内面の葛藤などを克明に述べていくことに集中したこと。

 
   
         
[763] 2025/05/05/(Mon)12:15:36
名前 Seigo
タイトル 芥川龍之介のドストエフスキーの小説評
本文 ドストエフスキーの小説はあらゆる戯画(ぎが)に充(み)ち満ちている。尤(もっと)も、その又、戯画の大半は悪魔をも憂鬱(ゆううつ)にするに違いない。
[芥川龍之介の著『侏儒(しゅじゅ)の言葉』より。]


上で芥川龍之介氏は、あらゆる戯画に満ち満ちている、悪魔をも憂鬱にさせる、という表現で、ドストエフスキーの小説の特徴とポイントを上手(うま)く述べていて、氏の気の利いた鋭さには、あらためて感心します。
    

     
   
[762] 2025/05/03/(Sat)12:31:02
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの小説を他の言語訳で読むこと
本文   ※追記更新 25/05/03 12:57
  
先月、ドストエフスキーの小説の英訳業で知られるガーネット女史のことをいろいろ調べてみたこともあって、『罪と罰』『カラ兄弟』をはじめ、ドストエフスキーの小説を英文訳で読んでみることを、最近行なっている。

その気付きをいまだ明確には言えないけれど、注目してみたいのは、ドストエフスキーの小説(『カラ兄弟』など)に関して、邦訳で読んだ場合に比べての英文訳で読んだ場合の受け取る内容や感じの違いということだ。

評論家の河上徹太郎氏などは、ガーネット女史の英文訳『罪と罰』を読んで、滋味がある訳だと述べたそうだ。読んで伝わってくるドストエフスキーの小説世界は、訳したその訳者とその言語とその語彙によって微妙に違ってくるのではないかと自分はあらためて思っている。ドストエフスキーの小説の内容を正しく理解していくためには、ロシア語を学び、ロシア語の言語で読むことが基本だと思うが、一方で、たとえば、『カラ兄弟』の米川正夫訳などは、訳者(米川氏)と言語(日本語)が捉えたドストエフスキーの一つの小説世界を私たち読み手は味わい、理解しているのではないかと思う。

様々な言語に訳されたドストエフスキーの小説を読んでいくことで、以上のことを、今後、いろいろと確認できればと思う。
   
[761] 2025/04/30/(Wed)22:17:14
名前 Seigo
タイトル 中編『おかしな人間の夢』の結末のこと
本文 以前取り上げたドストエフスキーの中編『おかしな人間の夢』の内容(特にその結末)について、その後、ずっといろいろと検討してきたのですが、今もって、どうも今一つわかりにくくて、うまくまとまらない。

問題は、夢から覚めた後、決めていた自殺をやめて、新たな生き方へと出発するようになったのは、主人公の男が、夢の中でたどった経験を通してどういったことを考えた(悟った?)からか(そのわけ)ということだ。


今日、似た内容として、その後に書かれた『カラ兄弟』でのドミートリイが餓鬼の夢を見て目覚める場面を自分は思い出した。両者の関連を考えてみれば、何か得るものがあるかもしれない。
作中に出てくるこちらの街の一少女のことも、もっと考える必要があるだろう。


さらに読み返していって、ドストエフスキーがそこに込めた考えをもっと理解できたらと思う。5月終わりまでには、まとめて、当ボードに投稿したい。(実は、先日、Yahoo!掲示板で、この件について、思い切って尋ねてみました。AIなどによるその回答も、参考にしたい。)

なお、このことについて意見や気付きのあるお方は、いつでも、当ボードで、聞かせてもらえれば、うれしいです。
    


   
   
[760] 2025/04/28/(Mon)20:13:15
名前 Seigo
タイトル ムイシュキン公爵の言う「賢い生活」のこと
本文 今月に入ってから、Yahoo!掲示板で、ドストエフスキーに関する質問を、ちょくちょく行なっている。

ずっと以前から当ボードでも意見交換を行い、これまで、いろいろと考えてきた『白痴』におけるムイシュキン公爵の言う「賢い生活」のこと(その意見交換の投稿記事はこちら)を、このたび、質問してみて、AIが、いちおう、答えてくれている(→こちら)。

その回答を読んで考えたことの一つは、「いちいち計算して生きていく」こと自体、利己的で計算高いという面も指摘していて、賢い生活(賢い生き方)とは言えないのではないか、ということだ。時間を大事に有意義に使っていこうとして、そういう生き方ができる人は素晴らしいだろうが、そういったやり方がなかなかできない人にとっては、余裕のない無理な生き方だろう。もっと別の賢い生き方があるのではないかということになる。

このたびの回答にはほかにもいろいろと興味深いものがあり、今後さらに検討していきたい。
     
[759] 2025/04/26/(Sat)09:57:03
名前 Seigo
タイトル ドストエフスキーの一性格のこと
本文   ※追記更新 25/04/26 19:20
   
ドストエフスキーの性格や人柄を知っていく中で、注目したのは、氏が、机上など、身辺の整理整頓を好み、几帳面だったという点だ。

精神科医でもあった作家・加賀乙彦の指摘によれば、この性格は、てんかん体質からくるらしい。

ドストエフスキーは、選択の自由の苦痛、自由の重荷ということをしばしば口にするが、上で挙げた性格は、自由をめぐるそういった厄介な問題を、日常において、軽減し、氏を救ったのではないかと思う。

さらに言えば、自由をめぐっての氏の問題提起は、氏の生活上の自由の問題から来ているというよりは、人に起こりえる問題として氏の想像していく力から来ているということだろう。
   
[758] 2025/04/23/(Wed)19:47:15
名前 Seigo
タイトル アリョーシャに向けてのイヴァンの言葉
本文   ※追記更新 25/04/23 19:50

 
『カラマーゾフの兄弟』の中のイヴァンとアリョーシャの会話の中のイヴァンの言葉、


「おい、アリョーシャ」
とイヴァンはしっかりした声で言いだした。
「もしぼくがほんとに粘っこい若葉を愛せるとするなら、それはおまえを思い起こすことによって、はじめてできることなのだ。おまえがこの世界のどこかにいると思っただけで、ぼくには十分だし人生に愛想もつかさないでいられる。」

(『カラマーゾフの兄弟』の第3編の第3「兄弟の接近」より。米川正夫訳。)


についての久山 康氏(哲学者・元関西学院大学教授)のコメント、

作中の一つのクライマックスを形成している光景でもある。
(久山・筆「ドストイエフスキイにおける愛の問題」より。)

に自分は大いに感心したものだ。

アリョーシャのような善意志(ぜんいし)を持った人間がこの世に居(い)ることを確信できることは、この世に対する信頼と生きていく支えを人に与えてくれるだろう。たしかに、ドストエフスキーが『カラ兄弟』に込めた上位に位置する考えや思いが込められている箇所だと思う。

 
 [ロシア映画『カラマーゾフの兄弟』より。]
     
   
[757] 2025/04/21/(Mon)18:47:16
名前 Seigo
タイトル 中村健之介氏の著作
本文      
ドストエフスキーの様々な面を紹介したものとして、中村健之介氏の、以下の著作、訳編著などが、おすすめです。
      
  
『ドストエフスキー・作家の誕生』
(みすず書房1979年初版。)

『ドストエフスキー・生と死の感覚』
(岩波書店1984年初版。)

『ドストエフスキーと女性たち』
(講談社1984年初版。)

『ドストエフスキーのおもしろさ』
(岩波ジュニア新書1988年初版。)

『ドストエフスキー人物事典』
(朝日新聞社1990年初版。)

『知られざるドストエフスキー』
(岩波書店1993年初版。)

『永遠のドストエフスキー―病いという才能』
(中公新書2004年初版。)

『ドストエフスキーの手紙』
(中村健之介編訳。北海道大学図書刊行会1986年初版。)
  
  
また、中村氏の、ドストエフスキーの小説は、登場人物の「死せる生」と「生ける生」との間の格闘を描いているとする見方、思想よりも感情を重視する見方は、あらためて傾聴すべきものがあるだろう。


    
       




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