[767] 2025/05/14/(Wed)19:48:47
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名前 |
Seigo
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タイトル |
いまだよくわからないドストエフスキーの言葉(5) |
本文 |
※追記更新 25/05/14 21:50
世界を救うのは、道徳でもキリストの教えでもない。ことばは肉体なり、と信じる、その信仰だけが救えるのです。 (トルストイの『わが懺悔』を読んで聞かせてくれたトルストイ夫人に向けて、ドストエフスキーが言った言葉。)
の言っている内容が、いまだ、よくわからない。
ここには、キリスト教・ロシア正教の「ことば」(この世に肉体を持って現れた神としてのイエス・キリストのことば?)というものについての独自で大事な見方が出ているとは思うのだが、世界を救うものとしての信仰とは、トルストイが『わが懺悔』で述べているようなイエスが説いた教えとしての道徳(愛)を実践していくことにあるというよりも、イエス・キリストはこの世に肉体として現れた神だと信ずることだということが言いたいのだろうか?
この方向で考えると、トルストイの別の言葉である、
神の存在を信ずること、人間の幸福はこの一語につきる。 (トルストイの戯曲『生ける屍』より。)
に近いのだろうか?
自分はキリスト教の教えよりも仏教の教えに向かう人間であるけれど、上のドストエフスキーの信仰としての言葉を、今後、もっと理解できていけたらと思う。 |
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