[750] 2025/04/05/(Sat)11:13:32
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名前 |
Seigo
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タイトル |
ナスターシャ‐フィリポヴナの死について(2) |
本文 |
追記更新 25/04/05 22:20
前回の投稿の追記です。
『白痴』の末部で、ナスターシャ‐フィリポヴナの屍体が横たわる部屋でムイシュキン公爵がラゴージンと翌朝まで寄り添うようにして過ごす間、ムイシュキン公爵が何を思い、考えたか、について、あらためて考えてみたい。
その間、ムイシュキン公爵は、男女の三角四角関係に陥った人間たちの性(さが)による悲劇のことを思い、自分の罪性を思い、その罪に戦(おのの)き続けたと思う。この街に戻ってきて、憐憫・救済の情(じょう)があったとは言え、二人の仲に割り込んでしまい(さらに、同時にアグラーヤのことも愛してしまい)、しまいにはナスターシャ‐フィリポヴナをこういう末路に至らせた原因が二人を嫉妬や不満足等で苦しめた自分にあることを自覚して、ラゴージンとナスターシャ‐フィリポヴナにはほんとに済まなかったと思ったと言える。翌朝までラゴージンに寄り添い、いたわる様子は、そのことを示している。
彼女の死は彼にとって悲しみであるが、同時に、前回の投稿で触れた通り、安寧を得られずにいた彼女の魂をやっと安(やす)んじさせたという思いもあり、自分は彼女の死を実は願っていたという認知は、ラゴージンとの共犯意識も生じさせ、それらの思いは、いっそう複雑な恐れ戦(おのの)きの感情として、彼に迫っていただろう。
と言っても自分の理解はまだまだ不十分であり、このラストシーンを自賛していた作者のこの場面に深く込めた内容を、さらに、もっと理解できていけたたらと思う。 |
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