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龍騎はバトルロワイアルじゃなくてバトルロイヤルな。椅子取りゲーム。 ただのバトルロイヤルならトーナメント形式の争いとそう変わらないジャンル。 それ自体は作品にならない。 だが本来のバトルロイヤルは参加者が自らの意思で勝ち残るために戦いに加わるんだ。 それがバトルロワイアル、龍騎、Fateの場合、珍しく「主人公がバトルロイヤルに巻き込まれる」という構図で、 戦いの参加者が「棄権できない」ようなルールを用意して物語を描いてる。 この三作品が世に出た順番で言えばバトルロワイアルが一番先だから、ここまでの時点ではFateが龍騎のパクリとは言わない。 だが、戦いに巻き込まれた主人公が、その状況をどうするのかで、Fateは龍騎をまずパクってしまっている。 それは、「戦いを止める」という行動に出るところだ。 バトルロワイアルの場合、主人公・七原は、戦いを止めない。彼は生き残るために戦うことになる。 殺し合いのプログラムに抵抗はするが、彼は脱出時に兵士たちを容赦なく殺害している。 そもそもプログラムの参加クラスはコンピューターが無作為に選んでいる。 たとえ生活保障のために参加する意識を持った中学生がいたとしても、参加できるかどうかはわからない。 よって、バトルロワイアルは、自らの望みでバトルロイヤルを繰り広げる者たちの戦いへうっかり飛び込んでしまった龍騎とFateとは違う。 そしてFateは、主人公を戦いに追い込んでいくための設定に龍騎と類似点が多すぎる。 戦いを止めようとする意思、人外の存在との契約。そして契約のルール。
そのうえFateは、メディアの特性をまったく生かせていないのが問題だ。 これはFateに限らず、ギャルゲ・エロゲはそればっかりなのだが、単なる紙芝居・CG集になってしまっているものが多すぎる。 龍騎は単純に「アクション」といったことだけでも、テレビというメディアで表現できることを最大限に生かしている。 そしてもちろん、連続ドラマとしての、毎週の「引き」の面白さがある。 しかしFateにそれはない。まったくメディアの特性を生かしていない。ゲームになっていない。遊べない。 それどころか、ノベル形式なのに「画面効果」などというものにこだわってしまっている。 まったくノベルゲームとしてのインタラクティブ性のあるモノストーリーの集合体と言った面白さと関係がない。 よくある紙芝居ゲーの「気軽に絵と音と文章を楽しめる」という気質から抜け出せていない。
TYPE-MOONは以前、「月姫」という同人ソフトを出していたが、こちらは「絡新婦の理」という小説と「痕」というアダルトゲームのパクリだった。 しかしこれもシチュエーション部分のみ真似るだけで、小説のまとまりやインタラクティブ性の面白さなどは再現できず、 ただただ散漫な内容になるばかりだった。
月姫はバトルロイヤルではなかったが、主人公は相変わらず巻き込まれていた。 しかしその過程には必然性がなかった……。 たとえば龍騎。主人公はOREジャーナルの取材中、関係者の部屋でとあるアイテムを拾ったことがきっかけで戦いに巻き込まれる。 しかし月姫の主人公は、、「道端で見かけた美人の外人に興奮して殺害してしまったら、相手が生き返って責任を持たされた」などという、 いきあたりばったりとしか思えない、あまりにもずさんなプロットだった。
TYPE-MOONのスタッフは「模倣が本物を越えるときもある」などと言っていたそうだが、 そういうことは、もちろん越えてから言ってほしいところだ。 その他、「私はFateの構想を高校時代に考えていた」などという 聞いてるほうが赤面してしまうような言いわけをするシナリオライターがいることも問題だ。
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| No.11 2006年01月29日 (日) 15時47分 |
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お疲れ様です。
そろそろ顔を真っ赤にして個別反証でもしようかと思いましたが、何より自分が龍騎を見ていないため本件における最大のポイントについて一切言及が出来ないことに気づいたので私からは何も申し上げられません。折角の長文について何もレスれず申し訳ないです。
あ、とりあえず一点だけ。 >「道端で見かけた美人の外人に興奮して殺害してしまったら、相手が生き返って責任を持たされた」などという これこそ月姫ってゲームの白眉だと思うのですが。ってか凄い面白い設定だと思うんですけどね。どうカシラカシラ。
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| No.15 2006年01月29日 (日) 23時08分 |
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