[82] 宮沢賢治 |
- 大滝 - 2022年06月06日 (月) 13時38分
山下聖美の集中講義 宮沢賢治を読んでいる。宮沢賢治の詩の中には 「雨ニモマケズ」とか妹トシの死を悲しんだ「永訣の朝」のようにわ
かりやすい詩もあるけれど、春と修羅の「序」で書かれている心象ス ケッチは、賢治でなければ分からないなと長年思ってきた。熟年にな った今、読んでみると、なぜか心に惹かれるところがある。
わたくしという現象は 仮定された有機交流電燈の 一つの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょに せわしくせわしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち その電燈は失われ 〜 僕は、生涯を通して自分の実態を追い続けてきたと思っているけれど、 賢治ははじめから自分を実態のない幽霊のような存在であり、しかし 青く光っている有機交流電燈の照明だと認識していた。
現実から遊離した賢治の童話や詩がわかりにくいのは彼の心象スケッチ から読み取れるけど、賢治の理想への強い信念(ひとというものは、ひ
とのために何かをしてあげるために生まれてきたのス)を、賢治の童話 や詩から理解したいと思って読んでいる。
しかし、それにしても大人が読んでもわからない童話がどうして子供に 理解できるだろうか?子供の心を持ったものだけが理解できるというこ とだろうか?
解説なしでは賢治の作品が理解できないのが少し寂しい…
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