| [374] 難しいことと分からないこと |
- 大滝 - 2025年11月25日 (火) 10時52分
「むつかしいこと」は「わからない」ことと同じではない。たとえば、高等数学はむつかしい。しかしわからないものではない。順序を踏んで研究すればわかるはずのものである。わからないものが書かれているために、哲学はむずかいという評判を作っている。「哲学がむつかしい」ということが致し方ないにしても。「わからないもの」が書かれるということは困ったことだ。わからないのは、実はそれを書いた当人にもよくわかっていないからだ。三木清 「読書と人生」
三木清の上記の文章もわかったようでよくわからない。「むつかしい」ことも「わからない」ことも主観的な区別で曖昧であるように思われる。同じ文章でもAにとってはむつかしく、よくわからなくても、Bにとっては容易でよくわかるというだけの話ではないのか。僕がムカつくのは大した内容ではないのにことさらに難しい用語を駆使して結局何いいたいのかわからない文章を書く哲学者が多いということである。それを書いた当人もよくわかっていないという三木の文章もその限りではよく理解できる。
ハイデガーは文句なくむつかしい、誰にとってもわからない。しかし何回も読んで少しずつわかっていく、そして少しでもわかることによって「世界の底」を覗いたような感動を味わうことできるのが哲学の面白さではないかと思っている。何回も読んでわかったとしても大したことが書かれていなかったりすると、何でもっとわかりやすく書けないのだと怒りすらわく。まぁ、僕の理解力の不足の場合もあるんだけど。
最近、僕は老齢を意識する。忘れ物が多くなった。しかし考えることは続けたいと思っている。ここはどこ?私は誰?なんてことになったら仕事もできなくなるが、それも、まっ、いいかぁ〜と思っているが。
|
|