| [362] バカになるなアホになれ! |
- 大滝 - 2025年09月29日 (月) 10時26分
ひろさちやの「坐らぬ禅」を読んでいる。ひろさちやは仏教学者であるが宗教者ではない。彼は一度も座禅はしたことがないという。禅宗の僧侶は坐禅をしたことがない者が禅をわかるはずがないというが、ひろは、禅は行住坐臥、すなわち歩くも住むも坐るも臥すもすべてが禅でなければならないという。禅堂ではほれぼれする立派な禅僧でも酒席においておかしな振舞いする僧は沢山いると。禅僧ではなくても僕が接したお坊さんの中にはひろが云うような坊さんは沢山いたな。
正法眼蔵でも道元は座禅(修行)がすべて、修行をしなければ真に覚ることはできないと云っている(それ以前に出家しなければ悟れないといっているが)。
僕もひろと同じく座禅ができない。足が組めない、長く座っていられない、無念無想とは程遠く、とても悟ることはできないと思っていた。おこがましいがひろの禅に対する理解は僕と同じで長年、疑念を抱いていたことは僕だけではなかったんだなとひろさちやに親近感を感じた。
「坐らぬ禅」もひろさちやの死後に遺稿をまとめて出版されたものだと。生前には言えなかったんだな。僕が読んだ本の中で道元の矛盾を指摘した本はひろさちやの本以外になかった。
僧侶が現代語に訳した正法眼蔵のなかには、肝心なところがぼかしてあったりして、真に禅堂で修行した者しか正法眼蔵はわからない(仏教学者にはわからない)と書いてあっていたが、それなら何で現代語に訳した正法眼蔵を刊行するのだと思っていた。わけのわからないものを権威でごまかしているようで何だかだなぁ。
ひろは、坐らぬ禅の中で「バカ」と「アホ」を区別し、バカになるな、アホになれと。バカは、世間の物差しに従って悩む奴、アホは世間の物差しに従わなくても悩まない奴。まさに僕のことをいっているのではないか?
世間の物差しでは後期高齢者にもなってスポーツカーに乗る奴はおかしいのではないかと僕も世間体を一応気にする(バカだから)。しかし実際はスポーツカーのアバルトに乗っている(アホだから)。矛盾だぁ!
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| [363] バカとアホは違うのかな? |
- にしやん - 2025年10月01日 (水) 21時55分
大滝先生、ご無沙汰しております。
今年は阪神タイガースが早々にリーグ優勝し、驚きのシーズンとなりました。それに引き換え業務面は大きい?壁に当たって、ちょっと静かな精神科病院に入院して心を落ちつけたいです(笑)
禅の事は全く分かりませんが、バカとアホは言い方の違いだけで同じだと思っていました。昔大阪のABCテレビ「探偵ナイトスクープ」という番組で、アホ・バカ分布図を作成する企画がありました。この時の詳しい内容は覚えていませんが、47都道府県の地図に「アホ」と呼ぶところと「バカ」と呼ぶところの地図を作成していた程度の記憶しかありません。
常に思うのは、自分はバカなのかアホなのか?でしょうか。状況に応じて使い分けているか?と思ったら、そうでもない様な気がします。「アホ」という言葉は関西でよく使われるので、その時の勢い?でどっちかの言葉がとっさに出てくるのかな?と思います。
よくよく考えると、仕事上の事に関しては「バカ」、私生活部分は「アホ」なのかな?
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| [364] こんばんは。 |
- 大滝 - 2025年10月02日 (木) 21時19分
にしやんさん、こんばんは。
バカとアホの区別は、ひろさちやの考え方だから、その区別が 絶対的に正しいというわけではありません。
同じ意味ととらえている人が多いと思う。ただ、にしやんさんは 大阪人だから、アホの方が親しみやすいんじゃなかい?
世間の物差しを無視して生活はできないと思う。世間の物差し に従って疑問を感じない人間はバカではないからお利口という
んだろうね。その意味では、僕はバカもアホも好きなんだ。 ひろさちやは、バカになるなと言っているが、お利口さんも
なんだかだなぁ。
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