[31] 食えなんだら食うな |
- 大滝 - 2021年11月22日 (月) 14時03分
関大徹の「食えなんだら食うな」を読んだ。関大徹は曹洞宗の お坊さんだったけれど、そのタッチは「臨済禅」だね。
正法眼蔵とか碧巌録とかさまざまの禅宗関係の本を読んできた けれど、お坊さんでそこで云われていることを実生活で体現し
ている人を僕は見たことがない。葬式とか法事の法話でしか お坊さんと接触がなかったから実際はそうじゃないかもしれな いけど。
道元は、学道の人(出家している人)は、財も地位も求めず、妻 帯もせず、生産活動をせず、貧乏でいろと正法眼蔵髄聞記などで 繰返し唱えているけれど…
関大徹は、妻子を持つことも、金も地位も名誉もそのこと自体 煩悩そのものだろう、自分はそんな自信がないからはじめから 放棄したと。
僕は理屈ではわかっていても、熟年の今日にいたるまでそれを 実践するのはとても無理だと思っていた。しかしこの歳になると
「生きることは死ぬことである」と関大徹が云ってことは実感と してわかるところがある。車を好きなように買い替えて贅沢して
いる僕に対して、「言っていることとやっていることが矛盾だろう」 ととらえる向きもあるけれど、車も所詮モノである。いつ無くな ったって平気さと思っている。
寂聴さんが「いつ死ぬかわからないじゃない?それだったら生き ているうちに食べたいものを食べ、やりたいことをやりたい」と いっていた。
禅の目的は「自由」にあると思っている。僕もその自由を追求して いる。 「ホントに自由ですかぁ〜?」といわれるとドキリとするんだけど…
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