| [356] 今、言っておく。 |
- 大滝 - 2025年08月25日 (月) 15時39分
僕が若い時、昔のことにこだわる老人にはなりたくないと思っていた。しかし、何もかも失った老人が過去に生きることもそんなに悪いことではないと思う。
が、荘子は、過去も未来もなく今現在を受け入れることだと。健康でなくてもお金がなくても家族がなくても、それが天命であればそれを受け入れることだと。しかし、それで生きているといえるだろうか?
こうあるべきだとかこう生きていくべきだとかはさすがに今は思わないけど、荘子のように全くこだわりがなくなることもなんだかだなぁ。
荘子も禅も「個の意識」、あるいは「自己意識」、「理性」、「知性」など信用していない。「言葉」も信用していないだ。言葉が信用できないということは僕もわかるところがある。
若い時に吐き散らかした言葉は、今も真実を云っているのか?あれは若気のいたりだったと言い訳するのは卑怯のような気がする。
だから、言葉は絶対ではない、立場が変わっただけでも真実は変わってくる。掲示板の僕の書き込みも今現在の僕の考え。立場が変われば、時がたてば、当然変わりうる。
と今言っておく。
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