| [355] 矛盾した生活 |
- 大滝 - 2025年08月18日 (月) 11時03分
荘子の2回目を読んでいる。荘子は、あの良寛も読んでいたと。荘子を読んでいると確かに良寛に影響を与えてということがよくわかる。間違っているかもしれないが、禅の思想を日常的に具体化したのが荘子の思想のように思われる。歴史的には荘子は紀元前3世紀の人であり禅(達磨)5世紀後半に発生したから逆であることから、禅が荘子の思想から影響をうけたというべきかもしれないが。 その中で、荘子は過去も未来も追い求めないという。過去は過ぎ去ったもので如何ともしがたいが未来に対しても期待はしてはいけないと。子供が遊ぶように遊べと言っているように思われる。子供が遊ぶときは過去も未来もなく今を楽しんでいる。
いつから僕らは遊べなくなっただろうか?僕の感覚だと受験勉強するようになってからだと思っている。受験勉強は計画を立ててそれを実行しなければ合格は難しいように思われる。また、社会に出て仕事をするようになってからも計画実行が当然の原則でありそれに疑いを抱いては生きていけないように思われる。その思考が染みついているのだ。 荘子の思想は経済生活を営む意味では役に立たないのではないか?役に立つという発想そのものが荘子の思想に反している。僕はいまだ経済生活を営んでいるから計画実行の生活から100%免れているわけではないが、荘子はそれがすべてではないと云っているように思われる。 矛盾した思考、矛盾した生活で首尾一貫しないけれど,まっ、いいかぁ〜?
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