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[331] 自分とか、ないから
大滝 - 2025年05月19日 (月) 22時51分

教養としての東洋哲学 (自分とか、ないから) 著者しんめいpを読んだ。難しい哲学書をわかりやすく解説した本は沢山ある。でも大概は易しく書いてあるからと云って読んで身に付くということはないな。

「教養としての ~」は、主に仏教を解説しているんだけど思いっきり省いている。自分の体験を通して具体的にエッセンスだけ書いており、正直に自分の感じたことを書いている。作者は東大法学部を卒業しているが、IT企業に入社しても仕事ができないことがばれて退職(本人が云っている)、鹿児島県の島に移住して教育事業しても仕事ができず退職、一発逆転を狙ってお笑い芸人を目指しても、奥さんからもこんなに面白くないとは思わなかったと離婚され、引退。この本を執筆するにも4年もかかったと。

なにもかもダメな人(本人が云っている)が、救いを求めて西洋哲学,東洋哲学を彷徨した体験談として面白く読め、共感できた。

彼が最初に志した西洋哲学、デカルト、カント、ヘーゲルの肖像画に「最強の知性を持つ彼らなら、虚無感を乗り越える方法を知っているはずなのに、みんな、めっちゃ虚無感かかえてそうな顔をしている」と評したには笑えた。確かにその通りだ。

彼らは頭良すぎて「認識とは何か」みたいな恐ろしく抽象的なことを哲学していても、虚無感から脱する方法は考えていないみたいだと。僕も激しく同感する。

ご本人は、バカだといっているが、この本に書かれているエッセンスは適確でやっぱり頭はいいんじゃないかと思えた。

何もかも失って自分すらさえ存在しないと思えた時、絶望するのかそれとも東洋的平安の境地に達するのか?僕が若いときだったら絶望しただろうな。

老年の今は、たとえそうなったとしても絶望はしないだろうと思える自信がある。まっ、その時になってみないとわからないが…



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