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[297] 汚れちまった悲しみに
大滝 - 2024年12月16日 (月) 10時14分

汚れっちまった悲しみに……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる…

中原中也の有名な詩である。
ブロガーの風花未来は、
「令和の年代を生きる人たちには「汚れちまった悲しみに」は、受け入れがたいのではないか。自嘲とか、デカダンスは、時代にパワーがあったこと、その時代に生きる人の内部にも、意識を超えたマグマのようなエネルギーがあったことを証明でもある。力が衰えまくっている今、自嘲、そして自暴自棄に走ったら、死しかないだろう。」
といっている。
そうかもしれない。僕は令和の人間ではないので令和の人の感受性はわからないけれど、若い時分の幼くてもみずみずしい感受性が令和の若者の中にも残っているのではないか?
令和の若い人がそんなにシラケているのだろうか?確かに空気が読めて子供なのに大人ポイ感覚の子供が増えてきた感じはするが。
これは詩なのだ。自暴自棄に走ったら詩は書けない。だから中原は自暴自棄に走ってはいない。
中原のこの詩について、一時は「中原は俺だ」と傾倒し、それから、「自意識過剰で恥ずかしい詩」だと敬遠し、老年の今、寂しいはずのこの詩がナント心地よく響いてくる。
やっぱり、人間は変わっていくのだな。



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