大滝・馬場人事労務研究所の掲示板

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[265] 誰か云え!2
大滝 - 2024年08月05日 (月) 14時44分

池田晶子の「14歳からの哲学(考えるための教科書)」を読んでいる。中学生向けの哲学を老年の僕が読むことにいささか抵抗があるが、老年の僕が読んでも面白い。その中で「生きていることは素晴らしい」と思っているか「生きていることはつまらない」と思っているかについての記載があったが、そもそも問題なのは生きるということはどういうことなのか。
生まれてから順風満帆で過ごしてきたものは生きることは素晴らしいと感じるだろうし、先に紹介した派遣労働者のように60歳過ぎて派遣が切られ明日食べる金もなく死ぬしかないと思っている人は生きることは辛いと思うのは必然であるように思われる。

そこで改めて僕にとって生きるとは何かを考えてみる。僕は貧乏な家に生まれたから、「生きる」とは、まず食べることができることと同義であると思っている。だから先の派遣社員が派遣先に切られて生きていけない状態にあることは、根源的な悩みであると思われる。

誤解のないようにいっておくが、金持ちになるといっているわけではない。恥をさらすようで、いささか気が引けるが、僕の父は、僕が4歳頃から中学生になる頃まで結核で入院しており家にいなかった。たまに僕が病院に会いに行くと父は優しかった。父は入院中に俳句を作ったり文学書を読んでいたらしい。後年になったわかったことだがあの父がドストエフスキーを読んだりしていたことにはびっくりだね。子供の僕としては「おう、やるじゃん」だね。

しかし、そのころ母は、日雇いで真っ黒になって働いていた。当然、母は姉と僕たちに厳しかった。母が疲れて帰ってきたときに、小学4年生だった姉が夕飯の支度をしていなかったときに母から水をぶっかけられたといっていた。僕が小学4年の頃に母の財布から小銭をちょろまかしたときは、殺されるかと思うほど殴られた。

そのことを後年になって母に言うと、つらそうに当時は日々の生活で精いっぱいで子供のことを考える余裕はなかったといっていたな。当然僕は父親っ子で中学生のころは文学をたしなんでいる父を尊敬すらしていた。子供心に僕は母の子ではないと真剣に悩んでもいたな。

僕が大人になってからは父と母の印象が変わった。生きるとはどういうことだろう。母は、子供と亭主を食べさせるために真っ黒になって働いていた。その母の働きの上にあぐらをかいて、父が入院しながら俳句を作ったり文学をたしなんだりしていることが生き方としてどうよと思うようになった。

生きることとは食べることである。それが一番大切であると思っている。それ以外は二次的なことであるように思われる。良寛の俳句「鉄鉢に 明日の米あり 夕涼み」は、まさにそのことを示しているように思われる。

僕も父のように俳句を詠んだり詩を読んだり哲学書を読んだりするのは好きではある。でもそのことは生きるという意味では二次的なことで、だからどうよという話でもある。

誰も云わないから僕が云おう。
明日、お金がなくなってご飯に塩をかけるような生活になったとしても、「おう、人生は素晴らしいぜ!生きていることは素晴らしいぜ!」






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