| [261] 不動心? |
- 大滝 - 2024年07月09日 (火) 10時55分
秋月龍aは、「ともかく何かをめざして、理念を立てて、その理想をめ ざして努力する「理想主義的」はからいは、「仏道修行」とは逆の道
なのです。「安心」をめざし、「不動心」をめざし、「無心」をめざすこ と自体が誤りなのです。」といっている(「無門関を読む」から)。
禅の立場ではそうだろうと僕も理解する。しかし、宗教は、凡夫は、 「安心」をめざし、「不動心」をめざし、「無心」をめざすしかないので はないかと思える。
日々の生活の中で、何かを目標にしていないと生活がうつろに思えてくる。 その中で病気になったり、事故が起きたり、自分の力では、いかんとも
しがたいときに救いを求める、安心を求めるのは、自然の心情ではないかと 思える。
僕は、理屈では禅を理解しているつもりだけど、身体ではわかっていない ようだ。秋月は、無心を求めることは、血で血を洗うようなものだといっ ているが、わかっていても止められないのだ。
何かを信じ切ることができれば、どんなに幸せなことだろうと僕は思うが 僕の一番の問題は、そこだな。
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