わかこ |
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お久しぶりです。遅まきながら今年も宜しくお願いします。 毎日毎日、夫の退職後は必ず和歌山に帰りたいのだといい続けつつ、子供が東京に居る以上それはやはり無理なのか?と自問自答の日日を過ごしています。ウン十年関東地方に住み、東京を行き交ってきて、つくづく思うのは、関東言葉になじめないこと。和歌山の言い方を標準語めかして言い換えて発言して、誤解されたり曲解されたり。時々、関西からの転勤でこられたお若いかたに出会うことがありますが、やはりビジネスでは問題ないけれど普段着の本音の会話は関西の言葉でないとほっとしないので疲れると言われてました。いつも 頭の中で言語変換作業をしてから喋っているというわけですわ。ああ、 もう、思う存分関西方面言葉で喋りつくしてみたい。 ですが、わたしの兄弟姉妹なども、すでに、和歌山言葉をきれいに標準語めかしてこの頃話しています。たまに突然かなり昔の方言を口にして わたしが「それ、なんの意味?」と問い尋ねると「あああ、アンタ、忘れてしもてるのね!はっはっは、やっぱり忘れるんや」と言って、大笑いしています。 住めば都という言葉もありますが、育った地域の型はなかなか融通のきくものでもないのかともおもいます。大体、関東と関西は、歴史も何も、相当異質じゃないでしょうか?私は、最近外国人のつもりでこちらで暮していても良かったんじゃないかと思うようになりました。 和歌山を単に「田舎」と言われるのはとても心外ですから、何かにつけ 関西全体のPRに独り奮闘(?)しています。その効果は、結構ありまして、「奈良から和歌山、大阪から京都と旅行して、あなたの言ってることがよく分かったわ。子供が将来和歌山に住みたいとか言い始めた」とか、「奈良の飛鳥へ行って、日本にこんな素晴しいところがあったなんて、、、。近くの御出身でしょ。色々教えてくださらない?」 あああ、申し訳ないけど、一応大学で国文学をやってても、奈良の意味深さをいまさらなのかな?とため息でしたが海外旅行には何度も行っていても、案外東京地方の方々は関西を知らない方が多い。 愚痴った後に、もうひとつ。さて、昨今リーマンショック以来、世界の状況が相当変わったようですが、和歌山は昔から「質素倹約」の精神がかなり定着していたのではないでしょうか?わたしは、家計簿をつける折随分長い間、そろばんを使ってました。そうやって、来年の目標貯蓄額とかを書き出して、目指せ000、、、???円とか家庭内スローガン化してたのですが、東京人の一人に大いに嫌がられました。でも、ささやかな我が家の金融資産の原点を作るのにとても有効でした。イタリアやイギリスのブランド生地や毛糸を買って、自分で普段着ではない外出用の服も作ります。これも、計算の上の作業。経費少なくして、出来るだけの見栄えを作る。昔の和歌山県の皆さんの「質素倹約」の精神の具体例をたくさん知りたくなりました。 長くなりました。久しぶりでつらつら書いてしまいました。ごめんなさい・。 |
(2382)投稿日:2009年01月27日 (火) 23時33分
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管理人 |
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わかこさんこんにちはーお元気でしたか^^こちらこそ、よろしくお願いします。 確かに紀州の人は吉宗公の影響なのか、日常では何かと倹約につとめる傾向が強いかもしれません。ただ、冠婚葬祭やハレの日の行事・食事などの際には、蓄積されたエネルギーを一気に開放するような、思い切りの良さも同時にあると思います。 関東の人にはいろんな意味で抑揚がないのかな?と感じることがあるのですが、そのあたりの違和感?も関西のノリとの違いなのかもしれませんね。
「質素倹約」と言うと、少なく・小さく・弱く・・・といったネガティブなイメージが先行し勝ちですが、エネルギー(源)のベクトルを常時には細く・長く・一定に保つことで、保存・蓄積・熟成という方位に向けて、すわ非常時(いい時も悪い時も)に備える・開放するという要素もあると思います。実は、イメージから受ける印象とは違って、結構前向き?なのかもしれませんよ^^
そういえば有楽町かどこかに、和歌山県産品のアンテナショップがあると思いますので、お友達を連れていってあげては如何でしょうか?たまーにですが、仁坂和歌山県知事とか、和歌山放送(AMラジオ局)でパーソナリティを勤めておられた「喜八」さんなどがいらっしゃることがあるようですよ。 |
(2384)投稿日 : 2009年01月31日 (土) 22時33分
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