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豪傑文板

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大変大変大変御無沙汰しておりました
[808]はにわ [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月16日 (火) 18時35分
大変大変大変御無沙汰しておりました。

たまにHPにお邪魔して、お元気な様子を草葉の蔭から
拝見しておりました。

最近仕事で以下の話を発見したので、大変久しぶりで
ここにカキコ致します。

袁枚『子不語』(中国では『新斉諧』が一般的)より

巻二 夏侯惇墓

本朝(つまり清)松江提督張勇が生まれた時のことであった。彼の父が、金甲をまとった神が漢の将軍夏侯氏であると名乗って門をくぐる夢を見た時、勇が生まれたのである。後に侯に封じられて帰葬された時、地面を掘ると古い碑が出てきた。隷書で「魏将軍夏侯惇墓」と書いてあった。字は碗ほどの大きさである。二千年もたっているのに骨肉がもとのところにあったのも奇というべきである。

『子不語』の邦訳は、抄訳がいくつか出ていますが、この話は訳されてないようです。上の訳は自分で訳したものなので、間違っているところもあるかもしれません。

既に御存知でしたらごめんなさいです。


こちらこそ大変大変大変…ご無沙汰しております
[809]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月17日 (水) 00時36分
どうもどうもお久しぶりです。
ワタシもたまにそちらにお邪魔しては、パノラマ写真など楽しませていただいております。
その後お変わりないでしょうか。

>袁枚『子不語』
「袁枚」という名前をうっすら聞いたことがある程度で、このお話は全く存じませんでした!
ありがとうございます!!
清代になっても、怪異小説(?)ネタになってるんですねえ、夏侯惇。
ところでどこを掘ったら墓石が出てきたんでしょうか。気になるところです。
あと、清代の人(官僚)にとって、魏という国家や夏侯氏はどういう位置づけだったのか、なぜ夏侯惇との因縁が出てくるのか、そのへんも気になるところです。
多分、魏とか夏侯氏のことも民間の講談世界とは違う位置づけなんじゃないかと…。

お仕事で発見とは、いろいろ御活躍なさっているのですね。貴重な情報をありがとうございました。
そのうちまたお会いしてお話したいです。


思いつきですが。
[810]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月17日 (水) 00時43分
ちょっと気になって調べてみたのですが、松江提督の松江って、上海付近の松江ですか?
もしそれが正しいなら、やはり、長江流域に陣を張った昔の都督繋がりで、張勇さんの将来の官位を誕生時に予言(死亡時にダメ押し)したという話なんでしょうかね。


お墓の場所
[811]はにわ [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月17日 (水) 21時58分
最近すっかり更新サボってまして、面目ないです。

さて、張勇さんですが、『清史稿』に列伝があります。
それによると、陝西省咸寧の人、ということなので、
墓もそのへんにあると思われます。

張勇さんは、順治二年に清に降伏した、というのが
はじめに出て来る記録で、軍人として色々活躍して
康煕二十三年ころにお亡くなりになったようです。

「松江提督」というのは、張勇さんの経歴ではそんなに
重要ではないようですが、むしろ袁枚がすぐ近所の
蘇州の人なので、この肩書を特に挙げたと思われます。

清というのは基本的に言論が自由な時代ではないので、
〇〇をどう思っていたのか、というのが何であれ分かり
にくくはあります。愛しているものに、「愛してる!!!」
というのではなく、ねっちり考証することによって愛を
表現する、みたいな感じですかね。

ただ、清朝300年をつうじて、満州族は「文弱に堕ちていく
自分たちへの焦り」に、漢族は「文弱のために
満州族の皇帝を戴くはめになった自責」に苛まれていた
わけです。その辺が三国時代の英雄への憧れにリンクして
いくのでは。

しかし私はそんな真面目なことはあまり考えてなくて、
「張勇さんもやっぱり立派な辮髪男だったのだろうなあ」
とかそんなことしか頭に浮ばなかったっす・・・。


ありがとうございました!!
[812]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月18日 (木) 00時07分
テキトウな思いつきで書いたことに早速丁寧なお答えありがとうございます。というかスイマセン…。

>陝西省咸寧の人
ということは、夏侯惇の墓石も陝西省に…?!
陝西省というと、長安とか延安とかがある地方ですよね。夏侯惇最期の赴任地が寿春あたりとすると、ちょっと意外な場所ですねえ…。

>満州族と漢族の焦り
松江提督というのは、袁枚さんの御近所だったからですか。なるほど〜。
現状への不満などを過去の英雄や偉人に仮託して解消する心情はよく分かる気がします。ただ、その仮託する相手がちょっと意外で…演義で散々な扱いの夏侯惇なのに、清代官僚の間ではそんなに憧れられるほど評価されてたのかなあ、と思ってしまったもので。
それとも張勇さんが軍人だからなのかな。

>ねっちり考証することによって愛を表現する
愛が歪んでいるのですね…はにわさんの意図からは全くずれた所で、大変身につまされてしまいました(笑)。

大変勉強になりました。機会があれば原文も読んでみたい(多分眺めるだけ)ものです。


又又
[813]はにわ [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月20日 (土) 09時47分
三国時代の事情は不明ですが、中国では何処で死んでも
強引に遺体を生地に戻して埋葬するのが「あるべき姿」
のようです。

日本に麻婆豆腐を伝道した陳建民(陳建一の父)も、
日本で死に、息子も日本に居るにもかかわらず
四川省の山奥のお墓におさまっているとか。

昔「キョンシー」というのが流行りましたが、故郷から遠く
離れた土地で死んだ人間の遺体に術をかけて、自分で歩いて
故郷まで帰るよう「キョンシー」にした、ということが
あるそうです。
担いで持って帰るのは大変ですからね。

だから、陝西省というのももしかすると夏侯惇の生地
ということかもしれません。

そういえば、『子不語』にはもひとつ「見曹操称晩生」
という一文もあります。

ある男が夢の中で曹操の御殿に招かれ、
白髪白髭の曹操から「楷書と草書、どっちが早い?」
と聞かれ、「楷書です!」と答えて、「はずれ!」
といわれてしまう、というようわからん話です。

これも邦訳なしのようです。


又又ありがとうございます
[814]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月21日 (日) 02時07分
またもや丁寧な御回答ありがとうございます。
曹操殿のは頓知のようなネタですね。でも見るからに草書の方が書くのは早そうなのに、なんで楷書と答えたんだろう…。
そしてキョンシーにはそんな切実な理由があったのですか。初めて知りました(笑)。

>夏侯惇の出生地と埋葬地
正史三国志に戦乱で故郷を離れて死んだ父や母の柩を守って故郷に帰る孝行息子のエピソードがあるので、当時も生地、本貫の地に埋葬する習慣があったと思っています。
ところで夏侯惇の出身地ですが、正史の伝に「沛国譙県」の人とありまして、今で言う安徽省亳県出身というのが通説です。
陝西省方面に従軍したこともありますが、最後の任地が出身地と同じ安徽省、任地も今の河南省や山東省あたりが多かったので、陝西省に墓石というのは、かなり意外に思えました。
正史の記述が正しくて、出身地に墓があるのが普通だとしたら、ワタシの中で謎は深まるばかりです。

ちなみに惇の族弟に漢中(今の陝西省)で戦死した夏侯淵という都督もおりますが…この人も沛国譙県の出身です。


あれま。
[815]はにわ [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月21日 (日) 21時21分
陝西省というのは夏侯惇とはあんまり関係の無い土地
なのですね。困った困った。

「楷書と草書どっちが早い」というのは、
「どっちが先に出来たか」ということでした。
書き方が紛らわしくてすみません。


真相は闇の中ですね。
[816]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年08月22日 (月) 22時09分
「夏侯淵墓 夏侯惇墓」でヤフー検索すると、いくつかヒットします。
河南省許昌市の石油庫の敷地には夏侯淵の墓といわれる遺跡が残っていて、その付近にかつては夏侯惇の墓があったとされていますが、石油庫を作るときに夏侯惇墓の方は平らに均されてしまい、そこから剣が一振り出てきたというオチがついてます。
でも、そんな話も、どこまで本当で、どこからが伝承の世界なのか分からないし、何とも言えませんよね…。
なので、張勇さんのネタに「おお〜!」と思ったわけです。

『清史稿』の張勇さんの伝を探して読んで(眺めて)みましたが、流れ矢に当たって右足が不自由になってしまったというような記述がありますね。
これは完全に推測(妄想)ですが、流れ矢に当たって左目を負傷(さすがに正史には食べたという記述はありません)しつつも、軍人の最高位に昇った夏侯惇に何らかの親近感を持っていたか、自己投影をしていた可能性はあるのかも知れませんね。

「日本の古本屋」 http://www.kosho.or.jp/ で検索したら、中文版の『新斉諧』が安く売ってたので、さっそく手に入れてみます。



サイト移転しました
[806]りーふぁ [ Mail ] [ HOME ] 2005年05月16日 (月) 20時46分
こんにちは。香花茶房のりーふぁです。

先日HNを変更したばかりで申しわけないのですが
このたびサイトを移転いたしました。
お手数とは存じますが、本当にいつでも結構ですので
リンクを張り替えて頂ければ幸いです。

香花茶房
http://sp.opal.ne.jp/sabou/
バナーアドレス
http://sp.opal.ne.jp/sabou/img/mu_bn.jpg

ご面倒をお掛けして申しわけございませんが、よろしくお願いいたします。

ところで、「『河南尹』というお仕事」 興味深く拝見させて頂きました。
ものすごい色々な事をする役職だったのですね。
(当然本人は指示を出すのが仕事で、全部に精通していたわけではなかったのでしょうが・・)
小説などでは、武人としての面ばかりが強調される
惇兄の意外な部分をかいま見た気がしました。
割合的には、実際は、戦に出ているより、こういう仕事をしている方が、多いのでしょうか?

では、サイト更新これからも楽しみにしています。
お邪魔しました。


お引越しお疲れ様でした。
[807]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年05月17日 (火) 23時45分
りーふぁ様いらっしゃいませ。
移転のご連絡ありがとうございました。
早速リンクの貼り替えをいたしました。
4コマ漫画も精力的に更新なさっているご様子。これからも新しいネタ、楽しみにさせて頂きます。

こちらの記事にもご感想ありがとうございました。
私も惇兄というと武将というイメージの方が強かったので、「河南尹」という職務についていたことは意外でした。
割合的に戦と行政事務っぽい仕事とどっちが多かったのか、気になるところですが、建安11年(206年)に并州の高幹の反乱が河南尹の隣の河東郡に広がった際には、夏侯惇も鎮圧に向かっています。当時河南尹に在職していたかどうか定かではありませんが、なんとなく、洛陽、河南尹の領域を軸に遊撃部隊的に動いているような印象があります。
普段は農業振興、福祉事業などの地方行政を担いつつ、所轄地域に変事があれば、その地域の責任者として、当然に軍事権も行使したといったところじゃないかと思いますが、このあたりの太守クラスの職務内容などについては、私なんぞよりも余程良くご存知の方がたくさん居られるのではないかと。
ボロを出さないうちに撤退します(笑)。



宣伝ありがとう
[804]はせ川 [ Mail ] [ HOME ] 2005年01月23日 (日) 13時26分
クロニクル6入手しました。郭嘉大活躍の号でしたが、やはりアレを大画面で見ると迫力が違いますね〜。本当に目が動いて見えたよ!(ええ?)
不良軍師→とてつもない目→病床(→殿・鬼瓦)
と、郭嘉の魅力が満載。それでもアナタは惇兄なのね…いや、もちろん惇兄はかっこいいんですが。
クロニクルを読んで改めて発見するところが色々ありましたが、何よりも郭嘉が38才で死去というのには愕然。なんて若かったんでしょう。
そんなわけで来週号は是非よろしくお願いいたします。謙遜でなく本当にまだまだショボイですが、なにとぞよろしく…(むだいさんどうも失礼しました)


どういたしまして。
[805]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年01月23日 (日) 21時47分
>郭嘉の魅力が満載
郭嘉大活躍&諸葛亮大変態、そして曹植は大失恋ですが、やはり惇兄ファンとしては(どんなにどうでも良いことでも)惇兄の活動をアピールしてあげないと。(それを贔屓の引き倒しと言うんですよ)

ところで次号のモーニング掲載作、楽しみにしてます。
今後もちょくちょく(毎週)宣伝できることを期待していますので、ヨロシク。



あけましておめでとうございます
[802]業伯 [ Mail ] [ HOME ] 2005年01月07日 (金) 14時42分
ご無沙汰しております。
私事で申しわけありませんが、実は私は現在進行形で卒業論文を書いています。(もうすぐ提出です・・・。)『三国志演義』が出版された明や清の時代の人の批評についてやっています。その論文の中で、惇兄が目玉を食らうシーンを引用することに成功しました(思いっきり趣旨を勘違いしています)。
どうも当時の批評するおじさんたちには、惇兄は受けが悪かったようで、
「目玉を食らうなど勇者の常識で、武夫の小節だ。こんなことを喜んで書いている作者は見識が浅い」
とまで言われています。
ひどいですね。蒼天航路はそんな惇兄の汚名を挽回してくれたすばらしい作品です。大好きです。

>オンバク
すばらしい映画でしたね。アクションは見た目も派手で目立ちやすいけれど、ストーリーに込められたプライドみたいなものに、私は胸をつかれました。

>ジェットリー
行方不明なのですか・・・?心配です。ワンチャイのデジタルリマスター版買ってしまいました・・・。

最後になりましたが、むだい様、今年もがんばってください。


あけましておめでとうございますv
[803]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2005年01月08日 (土) 01時00分
業伯様こんにちは。
卒論追い込みでお忙しいところ、おいで頂きありがとうございます。

ところで、卒論に惇兄を出してしまうとは、スバラシイ!!
惇兄は批評家には受けが悪いんですね。でもネタにしてくれてるだけでも恩の字かも。
でも「目玉を食らうなど勇者の常識」って…。
常識なんですかアナタ。と批評家に逆にツッコみたくなります。ホントに目の前で喰らわれたら、その人も退きますよね、多分。
しかし、面白いネタをありがとうございました。批評家に薄ら笑いを浮かべられる惇兄…蒼天航路で名誉挽回してもらえてホントに良かったですネ。

ちなみにワタシは卒論になぜか許チョ伝を引用し、ムリヤリ荀ケの名前(だけ)を出しました。

>オンバク
業伯様もご覧になりましたか!ワタシは「屈辱の蹴り」がカッコいいと思いました。

>ジェットリー
彼は早期に無事が確認された模様です。
職場の同僚にその話をしたら、「ジェットリーは津波が来ても水の上を歩けるから大丈夫だ」と言われました…
ワンチャイ3部作をついに買われましたか!2作目の「男児当自強」はホントにジェットリーの最高傑作ですよね。

最後になりましたが、応援アリガトウゴザイマス。
業伯様も卒論提出までラストスパートで頑張ってくださいませ!



三周年おめでとうございます♪
[798]オンバク [ Mail ] [ HOME ] 2004年12月02日 (木) 22時03分
今日は記念日ですね。おめでとうございます!
今週号の蒼天では、表紙で曹操様もニッコリ、お祝いして下さっているかのようですね♪す。て。き。
むだいさんも色々とあるでしょうが、これからもサロン豪傑さまのますますのご発展を心から楽しみにしております。がんばってくださいね!
PS/先日、オンバク…じゃない、マッハのDVDを購入しました。


ありがとうございますv
[799]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年12月03日 (金) 00時26分
オンバク様、寿ぎのカキコ、アリガトウゴザイマス。
マッハ!!!!!のDVD、得点映像はやっぱりマジで火がついて慌てるトニー・ジャーが見られたりするんでしょうか。
今度教えてください。

今週号の蒼天、むしろ、趙雲殿の皺っぷりに眼が釘付けでした。白髪も目立つようになりましたね。やはり蒼天では彼も年取るんだ、普通に。
つか、それよりもワタシは蒼天はホントウに年内完結なのかどうか、心配で仕方ありません。
オンバク様はどう思われますか?


年内完結…
[800]オンバク [ Mail ] [ HOME ] 2004年12月08日 (水) 21時03分
本当にどうなんでしょうね。無理に駆け足で終わるよりも、ここはじっくり、ゴンタ先生には腰を据えられて描いてくださればと個人的には思っております。
ところで京都・奈良を堪能されたとのこと、正倉院の楽曲など一度聞いてみたいものです。

マッハ!!は、メイキング映像でトニー・ジャーが言っていた言葉「スタントは本物ではないが、本物のように見せることが大事」(←うろ覚え)というのが印象的でした。
あの映画の中で唯一の怪我と言える怪我をしたのは、スタントマンではなく本当の実技格闘家(学生)の人だったそうで。
なんだか含蓄があるなあと思いました。


[801]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年12月09日 (木) 00時05分
マッハ!、特典映像も濃いいですね。さすが。
トニー・ジャーはもともとスタントやってた人でしたっけ。そういえば。

正倉院復元楽器での演奏CDをネットで買いましたよ。
先日実際にワタシが聴いた「天平楽府」の演奏です。
日本の雅楽とも違った演奏で面白いです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/250-5497383-9574642

明日発売日ですが、蒼天航路の最後はじっくりと魅せて頂きたいものですね。これはファン共通の思いかと。



先日は大変お世話になりました
[794]長谷川 [ Mail ] [ HOME ] 2004年11月02日 (火) 23時00分
むだいさん、いろいろお世話になっております。このたびパソコンを開通いたしました。しかし使いこなせず、今日ようやっとここに来れました(←ばか)。
この前、持ち物の整理をしたら、「好好!三国志」(十年前にむだいさんが作った本)が出てきてなんだか読みふけってしまいました。本当に昔から惇兄好きよのう…。ていうか、最近なんだか色々大変そうだけど、体にはくれぐれも気をつけて下さいね。
フォーラムの件なども何かと宣伝してくれてありがとう。気づいてくださった方々もどうもありがとうございます。暖かく見守って頂けると大変嬉しいです。どうぞよろしう。


どうもどうもこちらこそ
[795]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年11月02日 (火) 23時41分
長谷川さん、いらっしゃいませ。
パソコン開通おめでとうございます。
パソコンは使いこなせないなどと仰っておられますが、そのうち脳味噌が回るほど中毒になることも無きにしも非ず(経験者は語る)なので、くれぐれもお気をつけください。
つうか、ワタクシも長谷川さんのお描きになった「豪傑物語T・U」(長谷川&むだい合作の三国志&水滸伝本)を読むたび、あの暑苦しかった夏の合宿、卒論そっちのけの冬の合宿(同人本の作成のための)を思い出し、感涙に耐えません。お話を伺うたび、そちらこそいろいろ大変そうですが、週刊連載を心待ちにしておりますので、頑張ってくださいませ。
宣伝のほうは、勝手にやらせていただいてますので(私設広報担当)、不適切な表現等がありましたら、ご遠慮なくメール飛ばしてください。


そんなわけで
[796]長谷川 [ Mail ] [ HOME ] 2004年11月10日 (水) 21時22分
川崎市のみなさまには大変失礼いたしました…。


[797]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年11月10日 (水) 23時24分
川●市関係者の方々、悪気はないそうなので許してあげてください(何を)。

つか、曹洪アイコンて、あまり使ってくれる人いなかったですね。
ありがとう。



初めまして
[792]曹徳 [ Mail ] [ HOME ] 2004年10月30日 (土) 11時08分
初めまして、こんにちは。
豪傑ライフ面白かったです。そうかフライパンないのか。
蒼天航路はいよいよ終焉に向っていますね。盛り上げていきたいなと思います。
リンクフリー、連絡不要とのことでしたが、一応。リンク貼らせて頂きます。またお伺いいたします。では。


いらっしゃいませ
[793]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年10月30日 (土) 21時17分
曹徳さま、初めまして。ご訪問ありがとうございます。
豪傑ライフほか、少しでもお楽しみいただければ幸いです。その上、リンクまで貼って頂きまして、こちらもありがとうございます。

蒼天航路、休載が続いていますが、終曲に向けて、その分読み応えのある展開になることだろうと期待しております。ファンとしては盛り上げていかなければ、ですね。



あれ
[790]夏侯恵 [ Mail ] [ HOME ] 2004年10月20日 (水) 20時18分
超ひさしぶりにパパ上と元譲伯父上に会いに来たのですが・・・
あれ「惇淵チャット」、ページが見つかりません、になってる(泣)。
ちょっと寂しい。


スミマセン。サーバダウン中です。
[791]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年10月20日 (水) 21時10分
夏侯恵さま、いらっしゃいませ。

TOPページのトピックスでもご報告しておりますが、10月13日頃から、ちゃっとを置いているサーバのメンテナンスが行われて以降、非常に繋がりにくくなっています。
そのため、チャット以外にも雑想ノ〜ト、惇兄事典、この掲示板のアイコン等について、閲覧及び使用が出来なくなっています。

せっかくいらして頂いて申し訳ないのですが、サーバ側の調整が終わるまでお待ちください。

http://sr.tok2.com/server/operate.html



こんばんわ
[788]フジナミ [ Mail ] [ HOME ] 2004年09月16日 (木) 01時35分
淵将軍、お疲れでした。
弓のじいさん、勘弁して(泣)

あー、この辺になるとそろそろ孟徳さんや惇兄の寿命が気になり始めるんですが、その前にもう一波乱。ずばり、曹仁さん、ウ禁さん、満寵さんらの活躍!楽しみですねー。


こんばんはー
[789]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年09月16日 (木) 22時18分
フジナミ様いらっしゃいませv
淵殿が花道を通って退場しましたが、まだまだ見所はありますね。
曹仁殿たちの活躍、ワタシも楽しみです。
それから、呂蒙殿の成長振り、関羽殿の最期も。

ところで、ホントに年内完結なんでしょうか。
休載が続いているので少々心配になります。
編集側の都合で中途半端に終わらさられるのだけは勘弁ですね。
最後までゴンタ氏らしい「ゴンタ」っぷりを期待しています。



ご無沙汰しています
[783]Mulan [ Mail ] [ HOME ] 2004年09月07日 (火) 01時02分
お久しぶりです〜
皆様お変わりないでしょうか?
むだいさんのページもどんどん豪傑ライフが追加されて、早速熟読させていただきました。

先月、一ヶ月ほど中国へ行って参りました。
そしてまた読めもしないのに中国語の本を買って参りました…
『歴代名宰相』みたいな題名で、目次に知った名前が結構あったので、ついつい…
勢いがないと本と辞書を開けないMulanでした。

ではまたお邪魔します♪


いらっしゃいませ
[784]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年09月07日 (火) 23時30分
こちらこそお久しぶりです。
中国を旅してこられたのですね。しかも1ヶ月も!
かなりじっくりと時間を掛けて見て回られたことと思います。うらやましい限りです。
中国の変化はかなり急激と聞きますので、私が5年位前に(ツアーで駆け足で)行った頃よりもだいぶん変わっているんだろうなあ…。

>『歴代名宰相』
このテの本には、諸葛亮は常連でしょうね(笑)


早速のお返事ありがとうございます♪
[785]Mulan [ Mail ] [ HOME ] 2004年09月08日 (水) 02時15分
>>『歴代名宰相』
>このテの本には、諸葛亮は常連でしょうね(笑)

はははは、まったくその通りです(笑)
三国志に登場する人物の中からは曹操、荀ケ、華?、王朗、諸葛亮、蒋?、顧雍、陸遜が取り上げられていますが、なぜか諸葛亮伝が曹操伝を抜いて一番長いんです…

さらには、唐代や近現代の宰相達よりも多いページ数を割かれています。ちょっとシャレ入ってますね〜

本当は生理について書かれてるっぽい本が欲しかったんです。それらしき題名(女性の歴史、みたいな)のもあったのですが、分厚すぎて三冊セットだったりするので断念しました。

ところで、中国は猛スピードで発展しています。
高層ビル建ちまくり、100元札普及しまくりです。
むだいさんが行かれた5年前でもまだ100元札は使いにくかったでしょう?
でもこの勢いだと千元札が登場するのも夢じゃない?ような気がします。

生活様式や個人主義など、変わっていない部分は変わっていないのですが、随分「歓迎光臨〜」と言うお店が増え、また店員さん達も自然な笑顔が似合うようになってきたなぁ〜と思いました。

本当は(コーエー三国志でいっぱい人材が出てくる)許昌へも足を伸ばしたかったのですが、風邪を引いてしまい、断念しました。

また(いつか)旅行記ができ上がったら、遊びに来て下さいね〜


文字化けさせちゃいました、ごめんなさい
[786]Mulan [ Mail ] [ HOME ] 2004年09月08日 (水) 02時17分
【はてな】になっているのは、かきん君としょうえん君です。


[787]むだい [ Mail ] [ HOME ] 2004年09月08日 (水) 21時30分
>諸葛亮伝が曹操伝を抜いて一番長い
孔明マジックですね。本当に。
贔屓の引き倒しになっている感も否めませんが。

>100元札
仰るとおりで、100元札はホテル等で事前に細かくしていった記憶があります。物価も上がっているのでしょうね。
ただ、店員さんの愛想が悪かったり、法外な値段を吹っかけられたりしたのは友諠商店ばかりに連れて行かれたのと、「いかにも」なツアー観光客でしたから、そのテの土産物売りの良いカモにされていたことにもよるのではないかと思います。







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