No.3088 死ぬ経験 投稿者:木器 投稿日:2025年12月07日 (日) 09時29分 [ 返信] |
穏やかならざる題名を付けてしまいましたが、昨日、「死ぬ経験」をしてきました。 何のことはない、胃カメラ検査のとき打つ鎮静剤のことです。
経験者は多いと思いますが、最初、この鎮静剤、全身麻酔と同じものと思っていました。 医学的には別ものらしく、全身麻酔は自発呼吸はできないので吸入を行うとか、鎮静剤はうとうと状態なので自発呼吸はもちろん、無意識ながら呼びかけへの反応もできる、とか言います。
このところ飲み会・食べ会・歌い会が続き、ちょっと胃をやられまして、さっぱり調子が戻らないので胃カメラで検診しました。結果は何にも悪い兆候は認められず、いくらなんでもそこまで使いすぎることはナイゾウという内蔵酷使に対するナイゾウ反逆だったのではないか、と反省しています。
しかし変なもので、木器の場合、この胃カメラのときの鎮静剤というのが、非常に「楽しみ」といってはいけないのかもしれませんが、「興味」を感じてしかたないのです。
看護師にベッドでの横たわり方を指導され、背中を後ろの手すりにぴったりくっつけるように横向きになって医者を待ちます。 次に口にマウスピースをくわえさせられ、注射を打ちますよ、と言われて、ああこれが効くと意識を失うんだよな、と思って興味深く己の意識の消失経過を意識します。 そして次に横向きの姿勢がちょっと窮屈なので、姿勢を直そうとすると、あれ?寝ている場所が違う、そうだ!もうすべて終わったんだ、と身じろぎして、荷物かごに入れてあったスマホを見ると、すでにベッドに昇った時間から2時間近く経過しています。
この2時間、自分という存在はまったく意識されないで、ある意味では「死んでいた」わけです。 注射が効いてくるかなと思った瞬間、まったく意識に捉えられることなく意識が失われる、まあ、当然のことながら意識がなくなるということは、意識がなくなること自体を意識できない、つまり人間は死ぬときには自分の死を認識できないわけですから、「自分にとっての死は存在しない」という哲学者の言葉に納得します。
そして言い換えれば、逆説的ですが、これこそが、絶対経験できないはずの「自分の死」の経験ということになるだろうとベッドで再認識しました。
|
|